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2015年9月28日 (月) 11:36時点における版
アゴラ︵希:αγορά︶は、市場とも翻訳できるが、古代ギリシアの都市国家ポリスにおいて不可欠な場所である広場を指すギリシア語である。ポリス市民の市場、フォルムとして機能した。
アゴラはまた、古代ギリシアのいかなる国家においても民会の開催場所を意味した。現代語においては、比喩的に複数の関連概念の交わる点か概念を指し、または文字通り複数の実際の道路が出会う地点を指す用語として使用されている。ヘシオドスも、﹃仕事と日﹄の中でアゴラという言葉を集会の場として用いている。
アゴラは、ミケーネ文明の崩壊の後にポリスと共に成立し、ホメーロス︵紀元前8世紀後半頃?︶の時代までには都市の一部として確立した。最も著名なアゴラはアテナイの古代アゴラである。イズミルのアゴラ屋外博物館は、世界で最も良く保存されたアゴラの1つである。
カール・ポランニーは、古代ギリシアの市場はポリス内部の地域市場と対外用の市場に分かれていたとし、対内市場の例としてアゴラ、対外市場にはエンポリウムをあげている。アゴラは中央集権制度にかわって食料の再配分を行なうための制度となり、民衆に食物を供給し、新鮮な食材や調理ずみの食品が売られた。アゴラには、カペーロスという小売人が居住していた。ペリクレスは自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテナイは商業的なアゴラを推進したが、アリストテレスは市場としてのアゴラと政治的なアゴラを分離することを主張した。