「アントウェルペン」を編集中
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=== 近世 === |
=== 近世 === |
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[[File:Maxime_Lalanne_Börse_von_Antwerpen.jpg|thumb|400px|1531年に完成した{{仮リンク|アントウェルペン証券取引所|en|Bourse_of_Antwerp|preserve=1}}。歴史上初めての[[先物取引]]と言われている{{仮リンク|アンウエルス万国博覽会|en|Antwerp_Trade_Fair|preserve=1}}が開催された。]] |
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[[ファイル:Marchionatus Sacri Romani Imperii - Antwerpen, het markgraafschap en de belangrijkste gebouwen (Claes Jansz. Visscher, 1624).jpg|サムネイル|アントウェルペンの地図 1624年]] |
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このような商業網の変化に加え、[[ズウィン]]が土砂の堆積によって航行困難となったこともあり、中世後期におけるネーデルラント経済の中心[[ブルッヘ]]が衰退していき、それに代わってスヘルデ河畔のアントウェルペン(当時は[[ブラバント公国]]の支配下)が重要性を増すことになった。ライン川沿いの[[ケルン]]商人との結びつきを強めたことでヨーロッパ商業網における地位は一層強化され、15世紀末には外国商館がブルッヘからアントウェルペンへと移転し始めた。1501年にはスヘルデ河岸に[[ポルトガル王国|ポルトガル]]船が香辛料などを積んで到来し<ref>中澤勝三『アントウェルペン国際商業の世界』同文館、p.66</ref>、1508年にはポルトガル王のもとで商館が設立され<ref>フェルナン・ブローテル『世界時間1 物質文明・経済・資本主義15-18世紀III-1』村上光彦訳、みすず書房、1996年、pp.186-187</ref>、1510年におけるイングランド商館についての記載も史料に残されている。 |
このような商業網の変化に加え、[[ズウィン]]が土砂の堆積によって航行困難となったこともあり、中世後期におけるネーデルラント経済の中心[[ブルッヘ]]が衰退していき、それに代わってスヘルデ河畔のアントウェルペン(当時は[[ブラバント公国]]の支配下)が重要性を増すことになった。ライン川沿いの[[ケルン]]商人との結びつきを強めたことでヨーロッパ商業網における地位は一層強化され、15世紀末には外国商館がブルッヘからアントウェルペンへと移転し始めた。1501年にはスヘルデ河岸に[[ポルトガル王国|ポルトガル]]船が香辛料などを積んで到来し<ref>中澤勝三『アントウェルペン国際商業の世界』同文館、p.66</ref>、1508年にはポルトガル王のもとで商館が設立され<ref>フェルナン・ブローテル『世界時間1 物質文明・経済・資本主義15-18世紀III-1』村上光彦訳、みすず書房、1996年、pp.186-187</ref>、1510年におけるイングランド商館についての記載も史料に残されている。 |
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=== 近現代 === |
=== 近現代 === |
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[[File:Maxime_Lalanne_Börse_von_Antwerpen.jpg|thumb|[[アントワープ証券取引所]] 1886年頃]] |
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1800年頃、アントウェルペンは最も停滞した時期を迎え、当時の人口は4万人以下にまで沈んだ。しかし[[ナポレオン・ボナパルト]]は、アントウェルペンの戦略的重要性から、防波堤と2つのドックを建設するために港の拡張を図り、スヘルデ川にもっと大きな船舶が接岸できるように川底を掘り下げようとした。ナポレオンは、アントウェルペンの港をヨーロッパ屈指のものとすることで、ナポレオンと対立するイギリスの[[ロンドン]]港に対抗し、イギリスの力を抑えようとしたのである。しかし、[[ワーテルローの戦い]]で失脚したため、この構想は実現しなかった。<ref> Dunton, Larkin (1896). The World and Its People. Silver, Burdett. p. 164.</ref> |
1800年頃、アントウェルペンは最も停滞した時期を迎え、当時の人口は4万人以下にまで沈んだ。しかし[[ナポレオン・ボナパルト]]は、アントウェルペンの戦略的重要性から、防波堤と2つのドックを建設するために港の拡張を図り、スヘルデ川にもっと大きな船舶が接岸できるように川底を掘り下げようとした。ナポレオンは、アントウェルペンの港をヨーロッパ屈指のものとすることで、ナポレオンと対立するイギリスの[[ロンドン]]港に対抗し、イギリスの力を抑えようとしたのである。しかし、[[ワーテルローの戦い]]で失脚したため、この構想は実現しなかった。<ref> Dunton, Larkin (1896). The World and Its People. Silver, Burdett. p. 164.</ref> |
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== 経済 == |
== 経済 == |
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[[ファイル:Zicht op het Delwaidedok.jpg|サムネイル|アントワープ港のコンテナ埠頭]] |
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=== アントワープ港 === |
=== アントワープ港 === |
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全米港湾当局協会 ([[:en:American Association of Port Authorities|American Association of Port Authorities]]) によれば、2020年時点で[[アントウェルペン港]]はトン数で世界第14位<ref name="top25_ports">{{Cite web|url=https://www.lloydsloadinglist.com/freight-directory/news/China%E2%80%99s-megaports-strengthen-grip-on-box-trade/78481.htm|title=China’s megaports strengthen grip on box trade|publisher=Lloyd's Loading List|accessdate=2021-02-24}}</ref>の港湾であり、ヨーロッパ内でも[[ロッテルダム港]]に続く2位となっている。同港は高価値のジェネラルカーゴ(雑貨物)やプロジェクトカーゴ(重量貨物)、また[[ばら積み貨物|バルクカーゴ]]を大量に取り扱っている点で重要である。アントウェルペンの港湾地区には5つの[[石油精製|石油精製所]]があり、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[テキサス州]][[ヒューストン]]に次ぐ規模の[[石油化学]]工業製品の集積地となっている。 |
全米港湾当局協会 ([[:en:American Association of Port Authorities|American Association of Port Authorities]]) によれば、2020年時点で[[アントウェルペン港]]はトン数で世界第14位<ref name="top25_ports">{{Cite web|url=https://www.lloydsloadinglist.com/freight-directory/news/China%E2%80%99s-megaports-strengthen-grip-on-box-trade/78481.htm|title=China’s megaports strengthen grip on box trade|publisher=Lloyd's Loading List|accessdate=2021-02-24}}</ref>の港湾であり、ヨーロッパ内でも[[ロッテルダム港]]に続く2位となっている。同港は高価値のジェネラルカーゴ(雑貨物)やプロジェクトカーゴ(重量貨物)、また[[ばら積み貨物|バルクカーゴ]]を大量に取り扱っている点で重要である。アントウェルペンの港湾地区には5つの[[石油精製|石油精製所]]があり、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[テキサス州]][[ヒューストン]]に次ぐ規模の[[石油化学]]工業製品の集積地となっている。 |
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=== 港湾 === |
=== 港湾 === |
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*[[アントウェルペン港|アントワープ港]] |
*[[アントウェルペン港|アントワープ港]] |
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== 観光 == |
== 観光 == |