「エドマンド・パードム」の版間の差分
m 画像などを追加。 |
m 解消済み仮リンクアン・ブライスを内部リンクに置き換えます |
||
(30人の利用者による、間の36版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{ActorActress |
{{ActorActress |
||
| 芸名 = |
| 芸名 = Edmund Purdom |
||
| ふりがな = |
| ふりがな = エドマンド・パードム |
||
| 画像ファイル = Edmund Purdom |
| 画像ファイル = Edmund Purdom by Eric Carpenter.jpg |
||
| 画像サイズ = |
| 画像サイズ = 220 |
||
| 画像コメント = |
| 画像コメント = 1955年宣伝写真 |
||
| 本名 = エドマンド・アンソニー・カトラー・パードム |
| 本名 = エドマンド・アンソニー・カトラー・パードム |
||
| 別名 = |
| 別名義 = |
||
| 出生地 = |
| 出生地 = {{ENG}}<br>[[ハートフォードシャー]]・[[ウェリン・ガーデン・シティ]] |
||
| 死没地 = |
| 死没地 = {{ITA}}・[[ローマ]] |
||
| 国籍 = |
| 国籍 = {{GBR}} |
||
| |
| 身長 = |
||
| 血液型 = |
| 血液型 = |
||
| 生年 = 1924 |
| 生年 = 1924 |
||
| 生月 = 12 |
| 生月 = 12 |
||
23行目: | 23行目: | ||
| 活動内容 = |
| 活動内容 = |
||
| 配偶者 = |
| 配偶者 = |
||
| 家族 = |
| 著名な家族 = |
||
| 事務所 = |
|||
| 公式サイト = |
| 公式サイト = |
||
| 主な作品 = |
| 主な作品 = |
||
| アカデミー賞 = |
|||
| AFI賞 = |
|||
| 英国アカデミー賞 = |
|||
| セザール賞 = |
|||
| エミー賞 = |
|||
| ジェミニ賞 = |
|||
| ゴールデングローブ賞 = |
|||
| ゴールデンラズベリー賞 = |
|||
| ゴヤ賞 = |
|||
| グラミー賞 = |
|||
| ブルーリボン賞 = |
|||
| ローレンス・オリヴィエ賞 = |
|||
| 全米映画俳優組合賞 = |
|||
| トニー賞 = |
|||
| 日本アカデミー賞 = |
|||
| その他の賞 = |
|||
| 備考 = |
| 備考 = |
||
}} |
}} |
||
'''エドマンド・アンソニー・カトラー・パードム'''(Edmund Anthony Cutlar Purdom, [[1924年]][[12月19日]] - [[2009年]][[1月1日]])は、[[イギリス]]出身 |
'''エドマンド・アンソニー・カトラー・パードム'''(Edmund Anthony Cutlar Purdom, [[1924年]][[12月19日]] - [[2009年]][[1月1日]])は、[[イギリス]]出身で、[[イタリア]]で活動した俳優。 |
||
== 略歴 == |
|||
舞台俳優としてデビュー後、[[ブロードウェイ]]で[[ローレンス・オリヴィエ]]と[[ヴィヴィアン・リー]]主催の舞台で共演した後にアメリカで[[1953年]]にデビュー。[[1954年]]の『[[エジプト人 (映画)|エジプト人]]』で当たりを取るが、それ以降は出番が減っていった。 |
|||
[[1945年]]に舞台俳優としてデビュー。[[1951年]]から[[1952年]]にかけて、[[ブロードウェイ]]で上演された[[ローレンス・オリヴィエ]]と[[ヴィヴィアン・リー]]主演の舞台、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の『[[アントニーとクレオパトラ]]』や[[ジョージ・バーナード・ショー]]の『{{仮リンク|シーザーとクレオパトラ (戯曲)|label=シーザーとクレオパトラ|en|Caesar and Cleopatra (play)}}』に出演し、[[ハリウッド]]から注目された。 |
|||
やがて映画にも出演するようになり、[[1953年]]の『[[タイタニックの最期]]』や『[[ジュリアス・シーザー (1953年の映画)|ジュリアス・シーザー]]』で端役を演じ、[[1954年]]の『{{仮リンク|皇太子の初恋|en|The Student Prince (film)}}』では[[アン・ブライス]]の相手役に抜擢された。この役は当初予定されていた[[マリオ・ランツァ]]が、監督と対立して降板したための代役であり、歌唱シーンではランツァの歌声にパードムが[[口パク|リップシンク]]をしている。 |
|||
⚫ | その後仕事の場をイタリアへと移し、[[ソード&サンダル]]や[[マカロニ・ウェスタン]]などのいわゆる[[B級映画]]に多く出演した。 |
||
同じく1954年の『[[エジプト人 (映画)|エジプト人]]』で主役の一人、ファラオの侍医役で名を挙げるが、これも当初予定された[[マーロン・ブランド]]の代役であった。[[1955年]]には聖書劇『{{仮リンク|プロディガル|en|The Prodigal (film)}}』に主演し、同年の {{enlink|The King's Thief|i=on|p=off|s=off}} では再度アン・ブライスと共演するが、それ以降は出番が減っていった。 |
|||
生涯で4度結婚し、4番目の妻とは[[2000年]]に結婚した。 |
|||
⚫ | |||
*[[新ゴッドファーザー]] |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
*[[ド・パードム/リンダ・デイ]] |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
生涯で4度結婚した。 |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
{|class="wikitable" |
|||
|- |
|||
!公開年!!邦題<br/>原題!!役名!!備考 |
|||
|- |
|||
| 1953 || [[ジュリアス・シーザー (1953年の映画)|ジュリアス・シーザー]]<br/>''Julius Caesar'' || || |
|||
|- |
|||
|rowspan="2"|1954 || 皇太子の初恋<br/>''The Student Prince'' || カール・フランツ || |
|||
|- |
|||
| [[エジプト人 (映画)|エジプト人]]<br/>''The Egyptian '' || シヌヘ || |
|||
|- |
|||
| 1955 || プロディガル<br/>''The Prodigal '' || ミカ || |
|||
|- |
|||
| 1959 || エロデ大王<br/>''Erode il grande'' || ヘロデ || |
|||
|- |
|||
|rowspan="2"| 1960 || コザック<br/>''I cosacchi'' || || |
|||
|- |
|||
| 復讐の血戦<br/>''La furia dei barbari'' || || |
|||
|- |
|||
| 1964 || [[黄色いロールスロイス]]<br/>''The Yellow Rolls-Royce'' || ジョン・フェーン || |
|||
|- |
|||
⚫ | |||
|- |
|||
⚫ | | 1975 || ナイトチャイルド/悪魔のチェーンソー<br/>''Il medaglione insanguinato'' || || |
||
|- |
|||
| 1976 || ザ・シシリアン/復讐の挽歌<br/>''I padroni della città'' || || |
|||
|- |
|||
| 1979 || 新ゴッドファーザー<br/>''I contrabbandieri di Santa Lucia'' || || |
|||
|- |
|||
⚫ | |||
|- |
|||
⚫ | | 1985 || ドラキュラ一家・地上げのえじき<br/>''Fracchia contro Dracula'' || || |
||
|- |
|||
|} |
|||
== 外部リンク == |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
{{Normdaten}} |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
[[Category:ソード&サンダル|+はあとむ]] |
|||
⚫ | |||
[[Category:ウェリン・ガーデン・シティ出身の人物]] |
|||
[[Category:1924年生]] |
[[Category:1924年生]] |
||
[[Category:2009年没]] |
[[Category:2009年没]] |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
[[de:Edmund Purdom]] |
|||
[[fr:Edmund Purdom]] |
|||
[[it:Edmund Purdom]] |
|||
[[pl:Edmund Purdom]] |
|||
[[fi:Edmund Purdom]] |
2022年5月27日 (金) 20:56時点における最新版
エドマンド・パードム Edmund Purdom | |
---|---|
![]() 1955年宣伝写真 | |
本名 | エドマンド・アンソニー・カトラー・パードム |
生年月日 | 1924年12月19日 |
没年月日 | 2009年1月1日(84歳没) |
出生地 |
![]() ハートフォードシャー・ウェリン・ガーデン・シティ |
死没地 |
![]() |
国籍 |
![]() |
職業 | 俳優 |
略歴[編集]
1945年に舞台俳優としてデビュー。1951年から1952年にかけて、ブロードウェイで上演されたローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リー主演の舞台、シェイクスピアの﹃アントニーとクレオパトラ﹄やジョージ・バーナード・ショーの﹃シーザーとクレオパトラ﹄に出演し、ハリウッドから注目された。 やがて映画にも出演するようになり、1953年の﹃タイタニックの最期﹄や﹃ジュリアス・シーザー﹄で端役を演じ、1954年の﹃皇太子の初恋﹄ではアン・ブライスの相手役に抜擢された。この役は当初予定されていたマリオ・ランツァが、監督と対立して降板したための代役であり、歌唱シーンではランツァの歌声にパードムがリップシンクをしている。 同じく1954年の﹃エジプト人﹄で主役の一人、ファラオの侍医役で名を挙げるが、これも当初予定されたマーロン・ブランドの代役であった。1955年には聖書劇﹃プロディガル﹄に主演し、同年の The King's Thief では再度アン・ブライスと共演するが、それ以降は出番が減っていった。 その後、仕事の場をイタリアへと移し、1957年以降は、ソード&サンダルやマカロニ・ウェスタンなどのいわゆるB級映画や、テレビ・ドラマなどに多く出演し、また、イタリア映画の外国向け英語版の吹き替え声優として永く活躍した。 生涯で4度結婚した。フィルモグラフィー[編集]
公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1953 | ジュリアス・シーザー Julius Caesar |
||
1954 | 皇太子の初恋 The Student Prince |
カール・フランツ | |
エジプト人 The Egyptian |
シヌヘ | ||
1955 | プロディガル The Prodigal |
ミカ | |
1959 | エロデ大王 Erode il grande |
ヘロデ | |
1960 | コザック I cosacchi |
||
復讐の血戦 La furia dei barbari |
|||
1964 | 黄色いロールスロイス The Yellow Rolls-Royce |
ジョン・フェーン | |
1972 | マフィア・コネクション La gran familia |
||
1975 | ナイトチャイルド/悪魔のチェーンソー Il medaglione insanguinato |
||
1976 | ザ・シシリアン/復讐の挽歌 I padroni della città |
||
1979 | 新ゴッドファーザー I contrabbandieri di Santa Lucia |
||
1982 | 世紀末戦士アトー/炎の聖剣 Ator l'invincibile |
||
1985 | ドラキュラ一家・地上げのえじき Fracchia contro Dracula |