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'''ズアーブ兵'''︵ずあーぶへい︶は、[[1831年]]に[[アルジェリア]]人、[[チュニジア]]人を基本に編成されたフランスの[[歩兵]]である。当時、[[北アフリカ]]はフランスの植民地だった。[[第一次世界大戦]]でも、[[フランス陸軍]]の精鋭部隊として活躍した。[[第二次世界大戦]]後の北アフリカ植民地の独立により、[[1962年]]に廃止された。
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背中の彫り物、髭、[[ジャケット]]など兵士の風俗に特色がある。特にその軍服のデザインは他国の軍隊でも参考にされた。例えば、[[教皇領]]の軍隊でも採用され、教皇のズアーブ兵(Papal Zouave)と称して[[イタリア統一運動]]に対抗する戦力として用いられた。[[南北戦争|アメリカ南北戦争]]でも、南北両軍にズアーブを称する[[義勇兵]]部隊があった。民間用のファッションにも取り入れられ、ゆったりとしたズアーブパンツ、ズアーブジャケットなどが生まれている。 |
背中の彫り物、髭、[[ジャケット]]など兵士の風俗に特色がある。特にその軍服のデザインは他国の軍隊でも参考にされた。例えば、[[教皇領]]の軍隊でも採用され、教皇のズアーブ兵(Papal Zouave)と称して[[イタリア統一運動]]に対抗する戦力として用いられた。[[南北戦争|アメリカ南北戦争]]でも、南北両軍にズアーブを称する[[義勇兵]]部隊があった。民間用のファッションにも取り入れられ、ゆったりとした[[ズアーブパンツ]]、[[ズアーブジャケット]]などが生まれている。 |
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2009年8月26日 (水) 03:07時点における版
ズアーブ兵︵ずあーぶへい︶は、1831年にアルジェリア人、チュニジア人を基本に編成されたフランスの歩兵である。当時、北アフリカはフランスの植民地だった。第一次世界大戦でも、フランス陸軍の精鋭部隊として活躍した。第二次世界大戦後の北アフリカ植民地の独立により、1962年に廃止された。
背中の彫り物、髭、ジャケットなど兵士の風俗に特色がある。特にその軍服のデザインは他国の軍隊でも参考にされた。例えば、教皇領の軍隊でも採用され、教皇のズアーブ兵︵Papal Zouave︶と称してイタリア統一運動に対抗する戦力として用いられた。アメリカ南北戦争でも、南北両軍にズアーブを称する義勇兵部隊があった。民間用のファッションにも取り入れられ、ゆったりとしたズアーブパンツ、ズアーブジャケットなどが生まれている。
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1858年ころに描かれたズアーブ兵。
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1865年に撮影された教皇領のズアーブ兵。
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アメリカ南北戦争時の北軍ズアーブ兵。
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第一次世界大戦初期の仏軍ズアーブ兵。