ノート:イスパーン賞
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1875年の優勝馬について。[編集]
現在記載されている優勝馬一覧では、1875年の優勝馬は Bieville となっています。競走成績は収録されていませんがJBISだと1871年産の Bieville(FR)。ところが [“The Ispahan History: Between two trips” (英語). france-galop.com. フランスギャロ (2021年5月28日). 2024年5月25日閲覧。] の主な馬主のところには“Arthur de Schickler (4 wins): Paradoxe (1875), Embellie (1888), Le Sancy (1889), Le Sagittaire (1896).”と記載されています︵強調引用者︶。
●一覧の元ネタは [“Prix d'Ispahan” (ドイツ語). galopp-sieger.de. 2024年5月25日閲覧。] でしょうか。記載情報は Bieville (GB) のみ。フランス産なんじゃないのか…?
●ほかに [“イスパーン賞”. 優駿達の蹄跡. 2024年5月25日閲覧。] も﹁Bieville/牡4﹂とあります。
一方でフランスギャロと同じく Paradoxe︵JBISに収録なし。pedigreequery.comでは PARADOXE (FR) ch. H, 1872︶を優勝とするサイトも存在します。
●[“Palmarès du PRIX D'ISPAHAN de 1873 à 1889 (groupe I, 3 ans et plus, 1850 m, Longchamp)” (フランス語). galop.courses-france.com. 2024年5月25日閲覧。] には“PARADOXE/Baron Arthur de Schickler”とあります。
●[“イスパーン賞 歴代勝ち馬”. おうまのアイコン wire-to-wire. 2024年5月25日閲覧。] も﹁パラドクス/Paradoxe﹂と記載。
当時の新聞を検索してみました。[“Le Jockey, 8 mai 1875, p.3/5” (フランス語). retronews.fr. フランス国立図書館. 2024年5月25日閲覧。]︵右端の列の中ほど︶で結果が報じられています。“BIÉVILLE, pub. 3 a. 57 1/2 k. West-Australian et Ile-de-France. M. le Baron de Rothschild.....(Wheeler) 1”とあるので優勝馬は Biéville が正しそう。騎手は Henry Wheeler かな。あれ、でも3歳ってどういうことだ。他の古馬が背負ってる59+1⁄2kgと斤量差があるので誤植ではないよね…。
なんにせよ他の出走馬に Paradoxe の名前どころかシークラー男爵の持ち馬はなく降着で入れ替わったというわけではなさそうで、どういう経緯でこの混乱が発生したのか想像つきません。途中で馬名が変更されたとかも考えましたが、馬主が違うのは説明できないですし。フランスギャロのページに間違いがあるとしたら話がややこしくなりそうです。--霧木諒二︵会話︶ 2024年5月25日 (土) 04:20 (UTC)
お疲れ様です。変遷節の1988年に条件が大きく変わり、開催時期は春︵主に5月︶に変わりとの記載から1875年時点ではまだ夏開催なのでは?と同名の競走が後の月にないか探しましたが見当たりませんでした。
代わりに﹁Paradoxe﹂が ﹁Le Jockey, 23 octobre 1875, p2/4﹂(2列目下段)に10月17日の﹁PRIX DE CHATEAU-LAFFITE﹂というハンディキャップレースに出走して着外でした。
これ以前にイスパーン賞想定の競走に勝っていたらこの軽量は考えにくく、これ以降の平地競走も1875年にはなさそうですので﹁Paradoxe﹂の可能性は減ったのではないでしょうか。
ついでにフランスギャロの﹁Prix Vicomtesse Vigier﹂︵古馬限定競走のため3歳馬が出走できない︶において1875年優勝馬が﹁BIÉVILLE﹂となっていますが、﹁Le Jockey﹂の3歳表記が正しければこちらも疑わしい状態になってしまいます。
とは言え、ウィキペディアは真実か否かではなく検証可能かの方が重要ですので、アジャックス (フランスの競走馬)の母父父みたいな出典によって異なる場合は別の出典を根拠に書き換えられかねないことから、注釈などで選ばなかった方も念のために触れておいた方がよいかと。--Taj Dahar︵会話︶ 2024年5月25日 (土) 15:50 (UTC)
報告﹁Le Jockey﹂において馬名で1875年の出走競走を追加調査したところ、﹁PARADOXE﹂が勝ったのは5月の﹁PRIX DU TRPOCADERO﹂ぐらいでした。あと、﹁Bieville﹂はイスパーン賞以外では4歳と記載されている模様…。
●Le Jockey, 17 avril 1875 p4/5 LA COUPE
●Bieville,pn b. 4 a 60 1/2 k. B de Rothschild (Wheeler) 2着
●Le Jockey, 1 mai 1875 p2/4 DIX-SEPTIEME PRIX BIENNAL 1874-1875 (2 ANNEE)
●BIEVILLE,pn b. 4 a 60 k. West-Australian et Ile-de-France. B de Rothschild (Wheeler) 1着
●Le Jockey, 15 mai 1875 p2/5 PRIX DU TRPOCADERO
●PARADOXE pu al 3 a. 50 k. Suzerain et Eureka. M. Davis (Handley) 1着
●Le Jockey, 22 mai 1875 p2/4 PRIX D'APREMONT
●Bieville,pn b. 4 a 58 1/2 k. Baron de Rothschild (Wheeler) x2着(xは同着)
●Le Jockey, 29 mai 1875 p2/4 PRIX DU JOCKEY-CLUB
●Paradoxe pu al. 54 k. M. Davis (Handley) 0(着外)
●Le Jockey, 7 aout p2/4 1875 PRIX PRINCIPAL(3 classe)
●BIEVILLE,pn b. 4 a 62 k. West-Australian et Ile-de-France. Baron de Rothschild (Wheeler) 1着
●Le Jockey, 11 septembre 1875 p2/4 PRIX DE BOIS-ROUSSEL
●Bieville,pn b. 4 a 55 k. baron de Rothschild (H. Wheeler) 2着
●Le Jockey, 25 septembre 1875 p2/4 OMNIUM(handicap)
●Paradoxe pu al. 3a. 53 k. 1/2. M. Davis (Handley) 0(着外)
--Taj Dahar︵会話︶ 2024年5月26日 (日) 02:04 (UTC)
情報提供ありがとうございます。
●Le Soleil, 8 mai 1875, p. 2/4 - 右端の列の上の方
●Biéville, pn. b., 4 ans, 57 k. 1/2, baron de Rotschild (Wheeler). — 1
●Le XIXe siècle, 8 mai 1875, p. 3/4 - 右から2列目の中ほど
●Biéville. par West-Australian et Ile-de-France, à M. de Rothschild (Wheeler). 1
●Le Temps, 8 mai 1875, p. 4/4 - 左端の列の上の方
●Biéville (Vheeler), au baron de Rothschild, 1er. ※騎手名を誤植している
●Le Gaulois, 8 mai 1875, p. 3/4 - 左から2列目の中ほど
●Biéville, pn b., 4 ans, par West-Australian t Ile-de-France, 57 kil. 1/2, à M. le baron de Rothschild (Wheeler)...1
●La Patrie, 8 mai 1875, p. 3/4 - 右端の列の中ほど
●1er, Biéville, poulain bai, quatre ans, 57 kil. 1/2. par West-Australian et Ile-de-France, au baron de Rothschild (Wheeler).
たしかに他紙では4歳馬 Biéville が1着と報じているので、Le Jockey の3歳という記載が誤植と考えるのが妥当そうです。よく見てみると2着 Dictature と3着 Confiance はともに3歳牝馬なのに斤量がそれぞれ52kgに48.5kgとかなり違いましたので、当時は定量戦ではなくハンデ戦だったのかも。
表の勝ち馬は Biéville とし、フランスギャロでは Paradoxe の記載があるというふうに注釈つけるのが良さそうですね。--霧木諒二︵会話︶ 2024年5月26日 (日) 02:07 (UTC)
報告 当時の新聞を出典に Biéville を勝ち馬としつつ、注釈で Paradoxe に触れる形にしました。アドバイスありがとうございました。--霧木諒二︵会話︶ 2024年6月12日 (水) 14:38 (UTC)
情報 1870年代後半の優勝馬がめちゃくちゃでした。
●1876年の優勝馬は Saxifrage︵Fould所有・Hunter騎乗︶ではなく Galba︵ラグランジュ伯所有・Glover騎乗︶。なおフランスギャロのラグランジュの持ち馬一覧に記載がない。
●1877年の優勝馬はフランスギャロに記載されたラグランジュの Gavarni ではなく Pornic︵Desvignes所有・Rolf騎乗︶。なおラグランジュは Braconnier と St Christophe の2頭出しだが、Gavarni はいない。
●1878年の優勝馬は Fitz Plutus︵Say所有・Rolfe騎乗︶。もともと記載されていた Jongleur は出走していない。
●Le Jockey の結果欄は Prix d'Ispahan のままだが、この年はプリンス・オブ・ウェールズの訪仏を記念してプランスドガル賞︵Prix du Prince de Galles、プリンスオブウェールズ賞︶として行われたという。翌年からは5月初頭にプランスドガル賞が、6月のパリ大賞と同日にイスパーン賞が行われるようになったっぽい。これってプランスドガル賞の第1回はどういう扱いになるんだろう…。あとこうなると3歳の活躍馬は賞金が10倍もあるパリ大賞を目指すのが普通だろうから、﹁3歳馬を含めて春競馬で活躍した馬が集うレース﹂という現在の記述は出典がほしいところ。
--霧木諒二︵会話︶ 2024年6月14日 (金) 13:07 (UTC)
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