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正確性タグを貼ったら「ノートを参照」と出たので書いておきます。上にも議論がありますが、熟語自体が「和製」なのか、同形語(文字列)が中国古典にあっても意味が新しいという「和製」なのかが曖昧です。また『万国広法』にある文字列と同じ文字列の熟語が日本で用いられたからといって、その由来が『万国広法』に唯一限定できるかどうかが不明です。タグを貼った理由は以上です。もう1点、中国側で「日本から輸入した」と認識しているからといって日本で製作されたとは限りません。記事にも書きましたが元ネタが漢訳洋書や英華辞典だったりするものがあるからです。日中でお互い「相手がそう言ってるからそうなんだろう」ということでいたずらに語彙集が拡大しているおそれについて陳力衛氏も指摘しています。その他怪しそうな部分について除去等行いました。--КОЛЯ <small>[[利用者‐会話:КОЛЯ|会話]]</small> 2010年6月22日 (火) 20:20 (UTC)
正確性タグを貼ったら「ノートを参照」と出たので書いておきます。上にも議論がありますが、熟語自体が「和製」なのか、同形語(文字列)が中国古典にあっても意味が新しいという「和製」なのかが曖昧です。また『万国広法』にある文字列と同じ文字列の熟語が日本で用いられたからといって、その由来が『万国広法』に唯一限定できるかどうかが不明です。タグを貼った理由は以上です。もう1点、中国側で「日本から輸入した」と認識しているからといって日本で製作されたとは限りません。記事にも書きましたが元ネタが漢訳洋書や英華辞典だったりするものがあるからです。日中でお互い「相手がそう言ってるからそうなんだろう」ということでいたずらに語彙集が拡大しているおそれについて陳力衛氏も指摘しています。その他怪しそうな部分について除去等行いました。--КОЛЯ <small>[[利用者‐会話:КОЛЯ|会話]]</small> 2010年6月22日 (火) 20:20 (UTC)
== 再び表記の問題について ==
記事本文では、次のような表記になっている。
<ref>
(本文から引用)当時、日本に留学していた留学生の彭文祖は強烈な反対派であった。彭は1915年『めくらがめくら馬に乗る
新語論』(中国語名:盲人瞎马新名词)という書籍のなかで、支那、取缔、取消、引渡、手续、目的、宗旨、
权利、义务、代价、法人、当事者、第三者、强制执行、亲属、继承、文凭、盲从、同化、场合、卫生など59個の
新語を「きてれつな」と定義した。中国人がこのような新語を援用することは「恥知らずな行為だ」、日本からの
新語の導入は「亡国滅族」だと罵った。</ref>
1915年の時点において罵りを受けた言葉を、簡体字に表記するのは間違いといっていいのでは。
<references/>
2010年11月25日 (木) 14:54時点における版
す み ま せ ん が 、 W i k i p e d i a ル ー ル の ど こ で 決 め ら れ て い る か 教 え て い た だ け な い で し ょ う か 。 無 い と か 疑 っ て い る わ け で は あ り ま せ ん が 、 正 直 非 常 に 奇 妙 な ル ー ル に 思 え る の で す 。 中 国 史 ・ 中 国 哲 学 ・ 中 国 文 学 と い っ た 日 本 に お け る 中 国 関 係 の 学 会 の 論 文 ・ 研 究 書 で は こ の よ う な ル ー ル は 見 あ た ら な い の で 。 む し ろ 京 大 系 な ど は 簡 体 字 を 繁 体 字 に わ ざ わ ざ 直 し て い る ほ ど で す 。 参 考 資 料 C h i n a 3 [ 1 ] こ の ル ー ル で 行 く と 、 朝 鮮 半 島 出 版 の も の も ハ ン グ ル 表 記 と な り ま す が 、 W i k i p e d i a 参 加 者 に 広 範 に 支 持 さ れ 守 ら れ て い る ル ー ル な の で し ょ う か 。 お 手 数 で す が ご 教 授 く だ さ い 。 - - T e a r s f o r A s i a 2 0 0 7 年 5 月 28 日 ( 月 ) 1 5 : 3 0 ( U T C ) [ 返 信 ]
中 国 語 ・ 朝 鮮 語 文 献 の 脚 注 に つ い て は 詳 し い ル ー ル は な い よ う に 思 い ま す 。 作 る べ き で す ね 。
文 献 の タ イ ト ル は 、 検 索 者 の 便 宜 を 考 え れ ば 、 原 語 の ま ま の 記 載 を 原 則 と す る の が よ い と 考 え ま す 。 た と え ば 、 ﹃ 콘 사 이 스 日 韓 辭 典 ﹄ と い う 辞 典 を ﹃ コ ン サ イ ス 日 韓 辞 典 ﹄ と 表 記 し て し ま う と 、 日 本 の 辞 書 の よ う で 、 原 書 に た ど り 着 き に く く な り ま す ︵ 特 に も と の 言 語 を 知 ら な い 人 に と っ て は ︶ 。 同 様 に 、 ﹃ 中 国 插 图 艺 术 史 话 ﹄ と あ れ ば 簡 体 字 文 献 で あ る こ と が 分 か り ま す が 、 ﹃ 中 国 挿 図 芸 術 史 話 ﹄ と あ れ ば 日 本 語 文 献 か と 思 い ま す 。 原 語 の ま ま の 表 記 は 、 こ う い っ た 混 乱 を 避 け る こ と に な る と 思 い ま す 。 - - H a m l e t 2 0 0 7 年 5 月 29 日 ( 火 ) 0 5 : 4 2 ( U T C ) [ 返 信 ]
中 国 語 参 考 文 献 に 関 す る ル ー ル が な い の で 有 れ ば 、 指 針 を 設 け た 方 が よ い と い う こ と に は 賛 同 し ま す 。
た だ タ イ ト ル は や は り 日 本 語 で 使 用 さ れ て い る 漢 字 を 使 用 す べ き と 考 え ま す 。 ま ず 原 著 に た ど り 着 き に く い と い う 点 に つ い て は 、 I S B N を 必 ず 付 記 す れ ば 問 題 な い で し ょ う し 、 あ る い は ︵ ︶ 内 に 原 著 名 を 付 加 す る よ う に す れ ば 良 い と 思 わ れ ま す 。 ま た 現 在 の 日 本 語 環 境 に お い て 、 中 国 系 書 物 に つ い て 原 語 表 記 す る 慣 習 は ほ と ん ど 見 あ た り ま せ ん 。 上 で 学 会 で の 慣 習 に つ い て 触 れ ま し た が 、 こ れ は 何 も 一 般 で も そ う で あ っ て 、 試 み に 一 般 向 け の 中 国 関 係 の 文 庫 ・ 新 書 や ﹃ 中 国 の 歴 史 ﹄ シ リ ー ズ の 参 考 文 献 リ ス ト を 見 て も ら え れ ば 分 か り ま す が 、 ど れ も わ ざ わ ざ 簡 体 字 や 繁 体 字 表 記 を し て い ま せ ん 。 た と え ば 歴 史 系 で は ﹃ 世 界 歴 史 大 系 中 国 史 ﹄ の シ リ ー ズ や 堀 敏 一 ﹃ 中 国 通 史 ﹄ 、 文 学 系 で は 竹 内 実 ﹃ 北 京 ﹄ な ど 、 枚 挙 に 暇 が あ り ま せ ん 。 少 な く と も 出 版 さ れ て い る も の で 原 語 表 記 を し て い る も の に お 目 に か か る 方 が 希 で し ょ う 。 学 会 や 一 般 で の 慣 行 に 従 う べ き か と 思 い ま す 。 ご 一 考 く だ さ い 。
あ と W i k i p e d i a ‐ ノ ー ト : 出 典 を 明 記 す る で も 、 質 問 し て い る の で そ ち ら も 見 て い た だ け る よ う お 願 い し ま す 。 - - T e a r s f o r A s i a 2 0 0 7 年 5 月 30 日 ( 水 ) 0 3 : 4 8 ( U T C ) [ 返 信 ]
人民
It' not japanese made chinese character,check the link [2] ,which present one paragraph of 明史 --以上の署名 のないコメントは、193.54.193.1 (会話 /Whois )さんが 2007-08-05T13:26 に投稿したものです。
共 和 国 i s n o t j a p a n e s e m a d e c h i n e s e w o r d s , c h e k t h e 1 7 7 7 f o u n d e d e n : L a n f a n g R e p u b l i c , t h e r e w a s a l r e a d y t h e c h i n e s e 共 和 国 - - 以 上 の 署 名 の な い コ メ ン ト は 、 1 9 3 . 5 4 . 1 9 3 . 1 ︵ 会 話 / W h o i s ︶ さ ん が 2 0 0 7 - 0 8 - 0 6 T 1 2 : 4 3 に 投 稿 し た も の で す 。
ま ず 日 本 語 で 失 礼 。 記 事 本 文 の 日 本 語 を 正 確 に 除 去 し て い る の で 書 け な く と も 読 む こ と は で き ま す よ ね 。 ﹁ 共 和 国 ﹂ に つ い て で す が 、 こ れ 誤 っ て い る と 思 い ま す 。 上 の e n : L a n f a n g R e p u b l i c は 漢 字 表 記 と し て ﹁ 共 和 国 ﹂ を 用 い た と い う 意 味 で は な い で し ょ う 。 典 拠 と し て い る 論 文 も ﹁ L o w L a n P a k e s t a b l i s h e d a g o v e r n m e n t , u s i n g h i s c o m p a n y n a m e , c h a n g i n g k o n g s i ( c o m p a n y ) t o r e p u b l i c ﹂ と だ け あ っ て 、 漢 字 表 記 と し て 使 用 し た と は 書 い て い ま せ ん 。 そ も そ も 新 漢 語 に 関 す る 専 門 研 究 で も な い で す し ね 。 信 頼 性 は 、 以 下 に 挙 げ る 研 究 と 比 較 す る と 格 段 に 落 ち ま す 。
﹁ 共 和 国 ﹂ と い う こ と ば は ﹁ 共 和 ﹂ と ﹁ 国 ﹂ と い う こ と ば か ら 成 り 立 っ て い ま す 。 ﹁ 共 和 ﹂ は ﹃ 史 記 ﹄ 周 本 紀 に も 登 場 す る こ と ば で す が 、 王 が 不 在 で 貴 族 が 合 議 制 を 布 い た 時 代 を 意 味 し ‘ r e p u b l i c ’ の 意 味 で は な い こ と は ご 存 じ だ と 思 い ま す 。 通 説 で は ‘ r e p u b l i c ’ に ﹁ 共 和 ﹂ と い う 漢 字 表 記 を 与 え た の は 箕 作 省 吾 の ﹃ 坤 輿 図 識 ﹄ だ と さ れ ま す 。 つ ま り こ れ は 日 本 製 の 漢 語 で す 。 ﹁ 共 和 ﹂ を 日 本 漢 語 と す る 説 を と る も の に は 以 下 の よ う な 新 漢 語 に 関 す る 専 門 研 究 が あ り ま す 。
斎 藤 毅 ﹃ 明 治 の こ と ば ﹄ ︵ 講 談 社 、 1 9 7 7 ︶ 、 高 名 凱 ほ か ﹃ 漢 語 外 来 詞 詞 典 ﹄ ︵ 上 海 辞 書 出 版 社 、 1 9 8 4 ︶ 、 馮 天 瑜 ﹃ 新 語 探 源 - 中 西 日 文 化 互 動 与 近 代 漢 字 述 語 生 成 ﹄ ︵ 中 華 書 局 、 2 0 0 4 ︶ 、 F e d e r i c o M a s i n i ' T h e F o r m a t i o n o f M o d e r n C h i n e s e L e x i c o n a n d i t s E v o l u t i o n t o w a r d a N a t i o n a l L a n g u a g e ' ︵ B e r k l e y 1 9 9 3 ︶
こ の よ う に 日 本 人 研 究 者 だ け で な く 、 中 国 人 研 究 者 も 和 製 漢 語 だ と 認 め て い ま す し 、 最 後 の マ ー シ ー ニ は イ タ リ ア 人 で す が 、 や は り 同 じ く 日 本 製 だ と 指 摘 し て い ま す 。 以 上 は 現 在 の 研 究 成 果 で す が 、 近 代 中 国 に 生 き た 人 々 も 和 製 漢 語 で あ る こ と を 承 知 で 使 っ て い ま し た 。 そ の 端 的 な 例 が 梁 啓 超 の 次 の こ と ば で す 。 ﹁ 全 首 皆 良 用 日 本 訳 西 書 之 語 句 、 如 共 和 ・ 代 表 ・ 自 由 ・ 平 権 ・ 団 体 ・ 帰 納 ・ 無 機 諸 語 皆 是 也 ﹂ ︵ ﹁ 夏 威 夷 游 記 ﹂ ﹃ 飲 氷 室 専 集 ﹄ 22 、 1 9 0 頁 ︶ 。
結 論 を い え ば 、 当 時 の 人 も 、 現 在 の 語 彙 研 究 者 も ﹁ 共 和 ﹂ を 和 製 漢 語 と 見 な し て い ま す 。 よ っ て リ バ ー ト し ま す の で 、 悪 し か ら ず 。 - - T e a r s f o r A s i a 2 0 0 7 年 9 月 17 日 ( 月 ) 1 6 : 4 0 ( U T C ) [ 返 信 ]
私 見 で す が 、 ﹁ 共 和 ﹂ ﹁ 自 由 ﹂ な ど 、 日 本 で 新 し く 英 単 語 の 訳 語 と し て 使 っ た 漢 文 典 籍 に あ っ た 言 葉 に つ い て は 、 日 本 が ﹁ 作 っ た ﹂ わ け で は あ り ま せ ん か ら ﹁ 和 製 漢 語 ﹂ で は な く ﹁ 新 漢 語 ﹂ ﹁ 日 本 漢 語 ﹂ と 呼 ぶ べ き だ と 思 い ま す 。 た し か に 上 記 の 梁 啓 超 の 引 用 も ﹁ 日 本 訳 西 書 之 語 句 ﹂ と 書 い て あ り ま す 。 日 本 製 で は あ り ま せ ん か ら 。 つ ま り 厳 密 的 に 言 え ば 、 ﹁ 日 本 で 成 立 ︵ 定 着 ︶ し た 翻 訳 語 ﹂ と ﹁ 日 本 で 作 ら れ た 言 葉 ﹂ は 違 う 概 念 で す か ら 。 た と え ば 高 島 俊 男 氏 の ﹃ 漢 字 と 日 本 人 ﹄ と い う 本 で も ﹁ 和 製 漢 語 ﹂ と い う 言 葉 を 使 わ な く 、 ﹁ 新 漢 語 ﹂ を 使 っ て い ま す 。 な ん と か 区 別 し た ほ う が よ い で は な い か と 。 い か が で し ょ う か 。 - - B u t T a i w a n 2 0 0 9 年 1 月 1 日 ( 木 ) 1 6 : 1 5 ( U T C ) [ 返 信 ]
も う 議 論 は 終 わ っ て い る の か も し れ ま せ ん が 、 一 言 。 ﹁ 日 本 訳 西 書 之 語 句 ﹂ と い う の は 、 欧 米 の 語 彙 を 翻 訳 す る と き に 訳 語 を 作 っ た と い う 意 味 に 取 る べ き で す 。 そ の 意 味 で 日 本 製 で す 。
又 、 す で に リ ダ イ レ ク ト さ れ て い る よ う で す が 、 個 人 的 に は ﹁ 新 漢 語 ﹂ と す る と 、 ﹃ 万 国 公 法 ﹄ 伝 来 に よ っ て も た ら さ れ た 中 国 製 新 漢 語 な ど が 埋 没 す る お そ れ が あ る の で 、 ﹁ 新 漢 語 ﹂ は そ れ だ け で 項 を 立 て る か 、 ﹁ 漢 語 新 詞 ﹂ と い っ た 項 を 立 て る べ き か な と 感 じ ま す 。 た だ そ れ を し ろ と 言 わ れ て も 、 私 の よ う な 浅 学 の 身 で は 、 ち と 無 理 で す が 。
最 後 に 高 島 俊 男 氏 の ﹃ 漢 字 と 日 本 人 ﹄ な ど は 語 彙 研 究 と し て は 、 ほ と ん ど 引 用 さ れ な い 著 作 な の で 、 学 術 論 文 や 研 究 書 に 依 拠 し た 方 が よ い か と 思 い ま す 。 無 論 、 ﹃ 水 滸 伝 ﹄ 研 究 な ど に 関 し て は 、 彼 の 著 作 を 参 照 す べ き だ と は 思 い ま す が 。 - - 獨 頭 2 0 0 9 年 3 月 1 日 ( 日 ) 1 5 : 1 1 ( U T C ) [ 返 信 ]
﹁ 日 本 訳 西 書 之 語 句 ﹂ す な わ ち ﹁ 和 製 漢 語 ﹂ で は あ り ま せ ん 。 当 時 、 中 国 で も ﹁ 中 国 訳 西 書 之 語 句 ﹂ が 存 在 し て い た わ け で す 。 た と え ば 、 e c o n o m y の 中 国 訳 の 資 生 と 日 本 訳 の 経 済 が 存 在 し て お り 、 両 方 と も 中 国 で 使 わ れ て 、 最 後 に 中 国 語 に は 経 済 が 残 り ま し た 。 ほ か に も l o g i c の 中 国 訳 の 邏 輯 と 日 本 訳 の 論 理 な ど の 例 が あ り 、 こ れ は 最 後 に 中 国 語 に は 邏 輯 が 残 り ま し た 。
﹁ 欧 米 の 語 彙 を 翻 訳 す る と き に 訳 語 を 作 っ た ﹂ で は な く ﹁ 欧 米 の 語 彙 を 翻 訳 す る と き に 訳 語 と し て 既 存 の 言 葉 を 当 て た ﹂ こ と で す 。 ﹁ 和 製 漢 語 ﹂ と ﹁ 日 本 で 成 立 し た 漢 語 の 翻 訳 語 ﹂ を 明 確 に 区 別 す る 必 要 が あ る と 思 い ま す 。 - - B u t 2 0 1 0 年 9 月 17 日 ( 金 ) 0 8 : 5 2 ( U T C ) [ 返 信 ]
意 識 f i r s t a p p e a r e d i n C h i n e s e a s 意 識 ( 仏 教 ) , o n e o f 六 識 w i t h t h e o t h e r s 眼 耳 鼻 舌 身 . S o r r y I a m j u s t a b e g i n n e r i n J a p a n e s e . I t m i g h t b e b e t t e r i f I w r i t e t h i s i n E n g l i s h . - - T r i c i a T a k a n a w a 2 0 0 9 年 2 月 25 日 ( 水 ) 1 8 : 3 9 ( U T C ) [ 返 信 ]
﹁ 意 識 ﹂ と い う 語 彙 は 、 王 充 の ﹃ 論 衡 ﹄ ﹁ 実 知 ﹂ に も 見 え る 語 彙 で す が 、 こ れ は ﹁ 識 見 ﹂ と い う ほ ど の 意 味 で 、 哲 学 的 ・ 心 理 学 的 な 意 味 や 、 状 況 を 自 ら 把 握 す る と い っ た 意 味 合 い で は あ り ま せ ん 。 元 々 あ っ た 熟 語 に 西 周 な ど が 近 代 的 な 意 味 を 付 加 し た タ イ プ の 和 製 漢 語 で す 。 た と え ば ﹃ 漢 語 大 詞 典 ﹄ の ﹁ 意 識 ﹂ の 項 で も 元 来 の 意 味 と 近 代 的 な 意 味 を 分 け て お り 、 後 者 の 典 拠 に は 近 代 以 降 の 書 物 し か 挙 げ ら れ て い ま せ ん 。 語 彙 研 究 と し て は 、 余 又 そ ん ︵ 草 + 孫 ︶ ﹁ 日 訳 学 術 名 詞 沿 革 ﹂ ︵ ﹃ 文 化 与 教 育 旬 刊 ﹄ 69 ・ 70 、 1 9 3 5 ︶ や 劉 正 埮 ・ 高 名 凱 ・ 麦 永 乾 ・ 史 有 為 ﹃ 漢 語 外 来 詞 詞 典 ﹄ ︵ 上 海 辞 書 出 版 社 、 1 9 8 4 ︶ に も 取 り 上 げ ら れ て い ま す 。 と り あ え ず 和 製 漢 語 と し て 扱 っ て も よ い と 思 い ま す 。 - - 獨 頭 2 0 0 9 年 3 月 1 日 ( 日 ) 1 4 : 4 9 ( U T C ) [ 返 信 ]
正確性タグを貼ったら「ノートを参照」と出たので書いておきます。上にも議論がありますが、熟語自体が「和製」なのか、同形語(文字列)が中国古典にあっても意味が新しいという「和製」なのかが曖昧です。また『万国広法』にある文字列と同じ文字列の熟語が日本で用いられたからといって、その由来が『万国広法』に唯一限定できるかどうかが不明です。タグを貼った理由は以上です。もう1点、中国側で「日本から輸入した」と認識しているからといって日本で製作されたとは限りません。記事にも書きましたが元ネタが漢訳洋書や英華辞典だったりするものがあるからです。日中でお互い「相手がそう言ってるからそうなんだろう」ということでいたずらに語彙集が拡大しているおそれについて陳力衛氏も指摘しています。その他怪しそうな部分について除去等行いました。--КОЛЯ 会話 2010年6月22日 (火) 20:20 (UTC) [ 返信 ]
再び表記の問題について
記事本文では、次のような表記になっている。
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1915年の時点において罵りを受けた言葉を、簡体字に表記するのは間違いといっていいのでは。
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(本文から引用)当時、日本に留学していた留学生の彭文祖は強烈な反対派であった。彭は1915年『めくらがめくら馬に乗る
新語論』(中国語名:盲人瞎马新名词)という書籍のなかで、支那、取缔、取消、引渡、手续、目的、宗旨、
权利、义务、代价、法人、当事者、第三者、强制执行、亲属、继承、文凭、盲从、同化、场合、卫生など59個の
新語を「きてれつな」と定義した。中国人がこのような新語を援用することは「恥知らずな行為だ」、日本からの
新語の導入は「亡国滅族」だと罵った。