「ホワイトホール宮殿」の版間の差分
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⚫ | '''ホワイトホール宮殿''' ('''Palace of Whitehall''') は[[ロンドン]]に存在した宮殿。1530年から1698年まで王室の居住地として用いられた。大半は火災により焼失し、[[イニゴ・ジョーンズ]]によって設計された[[バンケティング・ハウス]]のみが現在も残っている。当時の宮殿は部屋数1500におよび[[ヨーロッパ]]一の規模を誇っていた。 |
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⚫ | 宮殿は北を[[ノーサンバーランド・アヴェニュー]]、南は[[ダウニング・ストリート]]から[[ダービー・ゲイト]]、西側は現在の[[ホース・ガーズ]]、東は[[テムズ川]]河畔に囲まれた広大な地区を敷地としていた。総面積は23エーカー (93,000 m |
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⚫ | 宮殿は北を[[ノーサンバーランド・アヴェニュー]]、南は[[ダウニング・ストリート]]から[[ダービー・ゲイト]]、西側は現在の[[ホース・ガーズ]]、東は[[テムズ川]]河畔に囲まれた広大な地区を敷地としていた。総面積は23エーカー (93,000 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]])にも及ぶ。 |
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現在の英国の政治の中心である[[ホワイトホール (ロンドン)|ホワイトホール]]にその名を留めている。 |
現在の英国の政治の中心である[[ホワイトホール (ロンドン)|ホワイトホール]]にその名を留めている。 |
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==歴史== |
== 歴史 == |
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[[ファイル:The Old Palace of Whitehall by Hendrik Danckerts.jpg|thumb|left|300px|[[ヘンドリック・ダンケルツ]]によるホワイトホール宮殿の描写。左に[[バンケティング・ハウス]]が見える。]] |
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13世紀に入り、[[ウェストミンスター宮殿]]がイングランド統治の中心として機能するようになり、王も1049年からこの宮殿に居住していた。この周囲の地域は貴族の所有する邸宅が設けられていた。[[ヨーク大主教]][[ウォルター・ド・グレイ]]は1240年に敷地を買収してヨーク・ |
13世紀に入り、[[ウェストミンスター宮殿]]がイングランド統治の中心として機能するようになり、王も1049年からこの宮殿に居住していた。この周囲の地域は貴族の所有する邸宅が設けられていた。[[ヨーク大主教]][[ウォルター・ド・グレイ]]は1240年に敷地を買収してヨーク・プレイスという館を建設した。 |
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ウェストミンスターで建築工事が行われる期間に国王[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]はしばしばヨーク・ |
ウェストミンスターで建築工事が行われる期間に国王[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]はしばしばヨーク・プレイスに滞在した。16世紀に入り[[枢機卿]][[トマス・ウルジー]]は館を拡張し、ロンドンにおいては[[ランベス宮殿]]と並ぶ規模の大邸宅が完成した。1530年に枢機卿が[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]により解任されると、国王はヨーク・プレイスを買収してこの館で居住するようになった。この際婚約者の[[アン・ブーリン]]を伴って枢機卿が残した財宝を調べ歩いたとされる。
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[[ファイル:Plan of Whitehall Palace 1680.jpg|thumb|300px|1680年の建設計画]] |
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[[ファイル:WhitehallWren.jpg|thumb|right|200px|[[クリストファー・レン]]により1698年に書かれた図面]] |
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ヘンリー |
ヘンリー8世はその治世を通して宮殿の改築を行っている。[[リッチモンド宮殿]]に影響を受け、ボウリング場、[[テニスコート]]、[[闘鶏]]場、[[馬上槍試合]]場などが建設された。1540年代には30,000ポンドが改築の費用として計上されている。ヘンリー8世はこの宮殿において1533年にアン・ブーリンと、1536年には[[ジェーン・シーモア]]とそれぞれ結婚し、1547年に自身が死去している。
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[[ジェームズ1世]]もまた宮殿の拡張を行い、1622年には[[イニゴ・ジョーンズ]]の設計による[[バンケティング・ハウス]]を完成させた。建物の装飾は1634年に[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]︵1649年に宮殿前で斬首された︶の命により、サー・[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]の設計で完成した。1650年の時点ではイングランド最大の建物であり、部屋数は1500に及んでいた。建物群は不規則に配置されており、ジャングルのような様相を呈していたため、宮殿というよりも街に似ていた。
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[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]もまた宮殿の拡張を行い、1622年には[[イニゴ・ジョーンズ]]の設計による[[バンケティング・ハウス]]を完成させた。建物の装飾は1634年に[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]︵1649年に宮殿前で斬首された︶の命により、サー・[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]の設計で完成した。1650年の時点ではイングランド最大の建物であり、部屋数は1500に及んでいた。建物群は不規則に配置されており、ジャングルのような様相を呈していたため、宮殿というよりも街に似ていた。
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1691年および1698年に発生した火事によって宮殿の大半は焼失した。経済的な問題によって再建は断念され、18世紀に入ると敷地跡には[[タウン |
1691年および1698年に発生した火事によって宮殿の大半は焼失した。経済的な問題によって再建は断念され、18世紀に入ると敷地跡には[[タウンハウス (イギリス)|タウンハウス]]が建設されるようになった。 |
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==現在== |
== 現在 == |
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1622年に建設されたバンケティング・ハウスは現在も残っている唯一の建物である。一部は後年に改修されたが、現在のホワイトホール70番地に存在する内閣府建物内の屋内テニス場などはヘンリー8世時代に建設されたものである。 |
1622年に建設されたバンケティング・ハウスは現在も残っている唯一の建物である。一部は後年に改修されたが、現在のホワイトホール70番地に存在する内閣府建物内の屋内テニス場などはヘンリー8世時代に建設されたものである。 |
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1938年からは敷地跡の東に建物が建設され、現在は[[国防省 (イギリス)|国防省]]によって使用されている。この建物の地下部分にはヘンリー8世の[[ワイン貯蔵庫]]として知られるウルジー時代の建築物が残されている。[[第二次世界大戦]]後に再開された建築において元あった場所から9フィート西に、19フィート下に移動された。 |
1938年からは敷地跡の東に建物が建設され、現在は[[国防省 (イギリス)|国防省]]によって使用されている。この建物の地下部分にはヘンリー8世の[[ワインセラー|ワイン貯蔵庫]]として知られるウルジー時代の建築物が残されている。[[第二次世界大戦]]後に再開された建築において元あった場所から9フィート西に、19フィート下に移動された。
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宮殿内の教会におかれていた[[大理石]]の彫刻の一部は1706年にウェストミンスター寺院に移築され、後に1820年[[サマセット州]]のバーンハム・オン・シーにある教会へ再移築されている。 |
宮殿内の教会におかれていた[[大理石]]の彫刻の一部は1706年にウェストミンスター寺院に移築され、後に1820年[[サマセット州]]のバーンハム・オン・シーにある教会へ再移築されている。 |
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==関連== |
== 関連 == |
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*英国王室のロンドンにおける公式居住地 |
*英国王室のロンドンにおける公式居住地 |
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** [[ウェストミンスター宮殿]] - 1049年から1530年まで |
** [[ウェストミンスター宮殿]] - 1049年から1530年まで |
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** [[バッキンガム宮殿]] - 1837年以降 |
** [[バッキンガム宮殿]] - 1837年以降 |
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==外部リンク== |
== 外部リンク == |
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* [http://www.hrp.org.uk/webcode/timeline.asp?ID=73 Palace of Whitehall Timeline] |
* [http://www.hrp.org.uk/webcode/timeline.asp?ID=73 Palace of Whitehall Timeline] |
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[[Category:ロンドンの宮殿]] |
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[[Category:シティ・オブ・ウェストミンスターの建築物]] |
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[[zh:懷特霍爾宮]] |
2022年3月27日 (日) 13:30時点における最新版
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歴史[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/81/The_Old_Palace_of_Whitehall_by_Hendrik_Danckerts.jpg/300px-The_Old_Palace_of_Whitehall_by_Hendrik_Danckerts.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/88/Plan_of_Whitehall_Palace_1680.jpg/300px-Plan_of_Whitehall_Palace_1680.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/WhitehallWren.jpg/200px-WhitehallWren.jpg)
現在[編集]
1622年に建設されたバンケティング・ハウスは現在も残っている唯一の建物である。一部は後年に改修されたが、現在のホワイトホール70番地に存在する内閣府建物内の屋内テニス場などはヘンリー8世時代に建設されたものである。 1938年からは敷地跡の東に建物が建設され、現在は国防省によって使用されている。この建物の地下部分にはヘンリー8世のワイン貯蔵庫として知られるウルジー時代の建築物が残されている。第二次世界大戦後に再開された建築において元あった場所から9フィート西に、19フィート下に移動された。 宮殿内の教会におかれていた大理石の彫刻の一部は1706年にウェストミンスター寺院に移築され、後に1820年サマセット州のバーンハム・オン・シーにある教会へ再移築されている。関連[編集]
- 英国王室のロンドンにおける公式居住地
- ウェストミンスター宮殿 - 1049年から1530年まで
- ホワイトホール宮殿 - 1530年から1698年まで
- セント・ジェームズ宮殿 - 1702年から1837年まで
- バッキンガム宮殿 - 1837年以降