「マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟」の版間の差分
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* ソルジャー緒形(第四代MA日本ミドル級王者) |
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== 世界マーシャルアーツ連盟(WMAF) == |
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2010年1月25日 (月) 09:39時点における版
マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟︵マーシャルアーツにほんキックボクシングれんめい、Martial Arts Japan Kickboxing Federation︶は、日本のキックボクシング団体である。通称MAキック、MA日本キック、MJKF、MAKF等。
分裂、運営体制の変更等あっても、現在まで組織が存続し活動している。
コミッショナー
●初代 小沢一郎︵のちの民主党党首・当時は自民党所属で自治大臣︶ ●現在 浜田靖一︵防衛大臣︶歴史
創設
マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟︵以下、MAキック︶は、1985年に石川勝将が、同団体から離脱する形で設立した。石川は、日本キックボクシング連盟︵以降、日本キック︶の元理事で、六本木において﹁朋昌﹂という会社を営んでいた実業家だった。日本キックを離脱した石川には、ニシカワジム所属の向山鉄也︵ライト級王者︶がついてきた。ただし、向山以外の他の王者は、東洋・日本を含めて誰もついてこなかった。石川と共に日本キックを離脱したジムには、目黒ジム・市原ジム・太田ジム・ニシカワジム・OGUNIジム・習志野ジム・君津ジムなどがあった。また、当時、日本キックの対立団体だった全日本マーシャルアーツ連盟︵以下、全日本MA︶は事実上の分裂をおこし、いくつか離脱ジムが出た。これらのジムもMAキックに合流した。AKIジム︵全日本マーシャルアーツ連盟の実体であるオールジャパンプロモーションであり、勇気道︵のちの新空手︶総本部である正心館でもある︶・ミツオカジム・不動館︵新拳会︶・山形垂石ジム・富士魅ジムなどである。また、AKIジムは全日本MAの実体であり核のような存在であったため、AKIジムを欠いた全日本マーシャルアーツ連盟はその後しばらくは継続したが、ほぼ活動不可能な状態に陥っていくことになる。MAキックは、最終的にさらに他のジムも新しく加盟させて、活動を開始した。そして、1985年5月17日後楽園ホールに初めて興行が行われた。この興行のメインイベントは、団体分裂のため、石川側から見て空位となった日本フェザー級王者決定戦だった。鹿島龍︵目黒ジム︶と青山隆︵OGUNI︶が対戦した。 当初の運営体制は、理事長は日本キックのときと同じく石川勝将が務めたが、それ以外の体制は完全に変えられた。運営や興行の主催をジム関係者にやらせないようにし、すべて自分の会社で石川の妻が社長を務める日豊企画に行わせた。ただし、1986年になると、ニシカワジム会長の西川純を連盟幹部役員に任命した。リングアナウンサーには伊集院光らを抜擢した。1986年5月に入ると、地上波のテレビで試合の放送が開始された。同年10月24日には、小沢一郎をコミッショナーを任命した。そして翌1987年3月15日には、﹁内閣総理大臣杯﹂が賭けられた試合が行われた︵鈴木秀男対竹山晴友︶。キックボクシング史上、初の、そして唯一の出来事であった。分裂︵全日本キックボクシング連盟︶
1987年6月に、幹部だった西川純が叛乱をおこしたため、MAキックの日本王者全員と加盟ジムの多くが離脱し、新たな団体全日本キックボクシング連盟を設立した。MAキックから一瞬にして王者が全員いなくなり、新団体に流出してしまった。こうして、MAキックは分裂した。 1989年1月14日の興行は士道館主体のものとなり、この興行を最後に、朋昌︵すなわち石川と日豊企画︶はキックボクシングから完全撤退した。そして当連盟は機能を完全に停止したのである。トロイカ体制
1989年7月から興行が再開された。WBCムエタイ王座・ランキングの制定
2009年、国内大手企業のスポンサードのもとで、WBCムエタイルールによるムエタイ日本国内王座決定トーナメント・国内ランキング戦が行われることとなった。ジャパン・プロフェッショナル・ムエタイ・コミッティ︵JPMC︶統括。参加団体はMA日本とニュージャパンキックボクシング連盟︵NJKF︶。WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメントは、2009年7月26日のNJKF興行からスタートし、半年間で全階級の初代日本王者が決定する。フライ級からウェルター級の8階級で実施し、それぞれの階級に4人のトップ選手が出場する。[1][2]。階級
階級 | 重量区分 |
---|---|
ヘビー級 | 86.1kg〜 |
ミドル級 | 〜72.57kg |
ウェルター級 | 〜66.68kg |
ライト級 | 〜61.23kg |
スーパーフェザー級 | 〜59.0kg |
フェザー級 | 〜57.15kg |
バンタム級 | 〜53.52kg |
フライ級 | 〜50.8kg |
主要選手
かつての所属選手
- 竹山晴友
- 神風杏子
- シュガーみゆき(日本人女性初のボクシング世界王者)
- 後藤龍治
- HAYATO
- 内田ノボル
- ツグト“忍”アマラ
- 伊藤隆
- 加藤督朗
- 小野寺力
- 大石亨
- 飛鳥信也
- 新妻聡
- ラビット関
- 村上竜司
- 斉藤京二
- 港太郎
- 山崎通明
- 鴇稔之
- ハンマー松井
- 山口元気
- 早田寛(写真家。ムエタイ専門誌『シンラパ・ムエタイ』主宰)
出場経験のあるフリー選手
但し、士道館・真樹道場らの主催興行︵格闘技の祭典など︶では、プロレスなど他ジャンルから幅広い選手が出場した︵大仁田厚、ジャイアント馬場、マイケル・ジャクソン︵ただし実際には来場せず︶、佐竹雅昭、三沢光晴、青柳館長︵斎藤彰俊の師︶、アブドーラ・ザ・ブッチャーら︶が、当欄ではそれらはすべて割愛した。
レフェリー
●松田利彦︵初代MA日本フライ級王者︶ ●秋谷益男 ●梅沢勝 ●小林利則 ●ソルジャー緒形︵第四代MA日本ミドル級王者︶リングアナウンサー
●細田マサシ︵放送作家︶かつてのリングアナウンサー
●伊集院光 ●若林健治︵日本テレビ在職時代︶世界マーシャルアーツ連盟︵WMAF︶
世界マーシャルアーツ連盟︵World Martial Arts Federation / WMAF︶は、MAキックに所属するプロモーターとアメリカのプロモーターで創設した世界タイトルである。1998年にバンタム級とスーパーウェルター級でそれぞれ世界王者を輩出したが、両選手が引退した為、活動を休止した。その後、2005年7月の初代スーパーフェザー級王者決定戦で再度活動を開始した。現在の目的は他の団体との協力関係を構築することと、それぞれの階級に世界王者を誕生させることで選手のモチベーションをあげることである。ビデオ
クエストから多数発売されたが、それらはVHSビデオカセットである。 最初期の試合は、以下のDVDに収録されている。- 「サムライたちの宴(うたげ)」 - アッパー(キックボクサーの卵からゴング誌に就職し、独立した舟木昭太郎の会社)から発売されている。
脚注
- ^ WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメント開催! NJKF: 2009-6-13. 2009年6月13日閲覧.
- ^ WBCムエタイ日本統一王座トーナメント開催 8階級で制定 スポーツナビ: 2009-6-13. 2009年6月13日閲覧.
関連項目
- マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟王者一覧(WMAF王者の一覧も掲載)
- 全日本キックボクシング連盟王者一覧
- ニュージャパンキックボクシング連盟王者一覧