「メルキオール・ブルーデルラム」の版間の差分
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ReijiYamashina777 (会話 | 投稿記録) →ディジョンの祭壇画: 内と外が逆です。当方が1981年にディジョンで観たときも外側が絵画だったので鑑賞しにくい状態でした |
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==ディジョンの祭壇画== |
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[[file:Melchior Broederlam 003.jpg|thumb|シャンモル修道院祭壇画の右パネル「神殿奉献」と「エジプトへの逃避」, フレームを含んだサイズは167cm x 125cm]]ブルーデルラムが手がけた、現在残っているおそらく最後の作品が外側に二枚の翼(パネル)を持つ、板に描かれた[[祭壇画]]である。フィリップ2世がディジョンの[[シャンモル修道院]]のために作らせたもので、両翼の |
[[file:Melchior Broederlam 003.jpg|thumb|シャンモル修道院祭壇画の右パネル「神殿奉献」と「エジプトへの逃避」, フレームを含んだサイズは167cm x 125cm]]ブルーデルラムが手がけた、現在残っているおそらく最後の作品が外側に二枚の翼(パネル)を持つ、板に描かれた[[祭壇画]]である。フィリップ2世がディジョンの[[シャンモル修道院]]のために作らせたもので、両翼の内側に彫刻家ジャック・ドゥ・ベアズによる詳細な解説が彫刻されており、外側には金箔が貼られてブルーデルラムの手による絵画が描かれている<ref>Snyder, 73 discusses and rejects other possible works - see below also.</ref>。現在はディジョン美術館の所蔵となっており、フィリップ2世によって同時期に発注された別の祭壇画とともに展示されている。こちらの祭壇画にもブルーデルラムによる装飾と絵画があったと考えられており<ref name="dijon">{{cite web | url=http://www.framemuseums.org/jsp/fiche_oeuvre.jsp?STNAV=&RUBNAV=&CODE=O115641018672761&LANGUE=1&RH=MUSEEsFR&OBJET_PROVENANCE=COLLECTION&PAGE_NAVIGATION=1 | publisher=Musée des Beaux-Arts de Dijon | title=Retable de la Crucifixion (Altarpiece of the Crucifixion) | language=French | accessdate=2009年11月18日 | year=2002 | first=Sophie | last=Jugie | archiveurl=https://web.archive.org/web/20110726063640/http://www.framemuseums.org/jsp/fiche_oeuvre.jsp?STNAV=&RUBNAV=&CODE=O115641018672761&LANGUE=1&RH=MUSEEsFR&OBJET_PROVENANCE=COLLECTION&PAGE_NAVIGATION=1 | archivedate=2011年7月26日 | deadurldate=2017年9月 }} {{fr icon}} </ref>、外側に彫刻された人物像にブルーデルラムが彩色をしたとされているが現存していない。当時の[[ギルド]]の規則では彫刻家と画家はそれぞれ別のギルドに所属する職人が担当することになっていた<ref>Snyder, 292-3</ref>。 |
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[[file:Melchior Broederlam 002.jpg|left|thumb|左パネル「受胎告知」に描かれているあずま屋]] |
[[file:Melchior Broederlam 002.jpg|left|thumb|左パネル「受胎告知」に描かれているあずま屋]] |
2021年3月22日 (月) 01:13時点における版
メルキオール・ブルーデルラム | |
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![]() シャンモル修道院祭壇画の左パネル「受胎告知」と「聖母のエリザベト訪問」(1393年 - 1399年) | |
誕生日 | 1350年頃 |
出生地 | ベルギー、イーペル? |
死没年 | 1409年以降 |
死没地 | ベルギー、イーペル? |
芸術分野 | 油彩 |
後援者 | ブルゴーニュ公フィリップ2世、ブルゴーニュ公ジャン1世 |
生涯
ブルーデルラムはキャリア初期に長期間イタリアに滞在している。イタリアで空間の表現手法と、トレチェント期の影響を受けた立体表現とを身に着けた。1381年からフランドル伯ルイ2世とブラバント公爵家の宮廷画家となり、ルイ2世が死去した1384年からはルイ2世の娘婿で後継者のブルゴーニュ公フィリップ2世に仕えた。ブルーデルラムはイーペルを拠点に活動していたが、北部フランスのエダンにあった、現在は残っていないフィリップ2世の城の装飾に大きな役割を果たした[3]。 ヤン・ファン・エイクのような他の宮廷画家と同様に、1387年にまずフィリップ2世の近侍 (en:valet de chambre) の地位を与えられ、1391年には宮廷画家に昇進した。フィリップ2世の長男で後継者のブルゴーニュ公ジャン1世にも引き続き仕えたが、1409年を最後にブルゴーニュ公家の記録からは姿を消しておりその後の消息は伝わっていない。ディジョンの祭壇画
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Melchior_Broederlam_003.jpg/220px-Melchior_Broederlam_003.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ee/Melchior_Broederlam_002.jpg/220px-Melchior_Broederlam_002.jpg)
他の作品
ディジョンの祭壇画以外にもブルーデルラムかその工房の作品ではないかといわれているものはあるが、研究者たちの見解の一致を見ていない[8]。特に、もともとシャンモル修道院にあり、現在はアントワープとボルチモアに所蔵されている2枚の祭壇画は、幾度もブルーデルラムの作品であるとされてきた。しかしこの祭壇画の六つの場面を描いた絵画は、その人物描写や様式からみてブルーデルラムではなく、マース川やライン川流域で発展したロマネスク様式 (en:Mosan art) の作品であると考えられる[9]。脚注
- ^ a b Jugie, Sophie (2002年). “Retable de la Crucifixion (Altarpiece of the Crucifixion)” (French). Musée des Beaux-Arts de Dijon. 2011年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月18日閲覧。
- ^ See Gardner's Art Through the Ages, Janson, and Levey, for example
- ^ Vaughan,p.205
- ^ Snyder, 73 discusses and rejects other possible works - see below also.
- ^ Snyder, 292-3
- ^ Snyder, 72-3, and History of Art By Horst Woldemar Janson, Anthony F. Janson
- ^ Snyder, 73
- ^ List from the Centre for the Study of fifteenth-century Painting in the Southern Netherlands and the Principality of Liege Archived 2008年12月25日, at the Wayback Machine.
- ^ Snyder, 72-73;One of the Baltimore panels - the first photo is the Annunciation - the Baptism of Christ is shown in the enlarged view. All the panels (bottom of page) Archived 2008年8月29日, at the Wayback Machine..
参考文献
- Anne Hagopian van Buren, "Broederlam, Melchior," Grove Art Online, Oxford University Press
- Snyder, James; Northern Renaissance Art, 1985, Harry N. Abrams, ISBN 0136235964
- Vaughan, Richard; Philip the Bold, The Formation of the Burgundian State, Boydell Press, 2002, ISBN 085115915X