中村歌昇
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中村 歌昇︵なかむら かしょう︶は、歌舞伎役者の名跡。屋号は播磨屋、三代目は一時期萬屋。定紋は揚羽蝶、替紋は蔓片喰。
●初 代 中村歌昇
●三代目中村歌六の養子。1876–1909。
●二代目中村種太郎 → 初代中村歌昇 → 二代目中村時蔵
●二代目 中村歌昇
●三代目中村時蔵の長男。1925–73。病気で舞台に立てなくなり役者を廃業、以後脚本家として名をあげる。死後8年目に四代目中村歌六を追贈。
●三代目中村種太郎 → 二代目中村歌昇 → 小川貴智雄 → 贈四代目中村歌六
●三代目 中村歌昇
●二代目の次男。1956– 。
●中村光輝 → 三代目中村歌昇︵播磨屋→1971年‥萬屋→2010年9月‥播磨屋[1]︶→ 三代目中村又五郎
●四代目 中村歌昇
●三代目の長男。1989– 。当代。
●四代目中村種太郎 → 四代目中村歌昇
中村歌昇。明治33年に東京新富座で初舞台後、翌年中村歌扇と改名し、 浅草の娘芝居で人気をえた[2]
中村 歌昇︵なかむら かしょう︶は、新派女優の名跡。屋号は松鶴屋。
- 中村歌昇
- 娘芝居出身、1889–1942。明治から昭和初期に活躍。
- 中村歌昇 → 中村歌扇
脚注
(一)^ “歌六、歌昇の屋号が﹁播磨屋﹂へ ─新橋演舞場﹁秀山祭九月大歌舞伎﹂”. ニュースリリース(歌舞伎美人) (松竹株式会社). (2010年7月13日) 2022年2月16日閲覧。 "20歳の時︵1971年︶に、叔父の初代中村錦之助︵1972年に萬屋錦之介と改名︶らと供に萬屋に改名させていただきました。以来39年、萬屋として" by五代目歌六発言
(二)^ 中村歌扇︵読み︶なかむらかせんコトバンク