利用者‐会話:Green3558
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著作権
時の旅彦さん、今日は。さて、高浜虚子の件では間違う方が多いのですが、代表句を投稿できるのは没後50年だそうですので、まだ年数が少し欠けるかと思います。議論の経過に依りますが、恐らく代表句を削除した形で記事が復活すると思いますので、その後引き続き加筆をお願いいたします。 けんち 2006年6月8日 (木) 15:04 (UTC)
●俳句の場合、代表句の掲載は、死後50年でないといできないという理解は著作権の理解が間違っているのではないでしょうか。--時の旅彦 2006年6月17日 (土) 00:15 (UTC)
●議論の結果﹁存続﹂となりました。当方の主張が認められたものと、ほっとしています。
俳句の場合は死後50年たたなくても、代表句の選出や、全文引用しての批評・研究が通例です。--時の旅彦 2006年6月24日 (土) 15:49 (UTC)
プレビュー機能のお知らせ
Green3558さんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、プレビュー機能のお知らせをしにきました。投稿する前に﹁プレビューを実行﹂のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで
●マークアップ
●リンク
●誤字脱字
などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--Calvero 2006年8月13日 (日) 09:48 (UTC)
ありがとうございました。プレビュー機能は使っていましたが、履歴の負荷が増大する点については気がつきませんでした。
今後ともよろしくお願いします。--時の旅彦 2006年8月14日 (月) 00:51 (UTC)
復帰依頼について
こんにちは。Wikipedia:管理者を読めば泣きを入れているわけではないことは分かると思いますが︵苦笑︶、Wikipedia:復帰の方針に基づき復帰後削除依頼に再提出していますので、よろしくお願いします。竹麦魚︵ほうぼう︶ 2006年8月18日 (金) 00:19 (UTC)
復帰依頼で理解なさっていないようなコメントがありましたので、こちらにも書かせていただきます。wikipedia:復帰の方針には、削除依頼を経て削除されたものを復帰した場合には、再度削除依頼を出すことになっています。手続きですのでよろしく理解願います。竹麦魚︵ほうぼう︶ 2006年8月18日 (金) 00:45 (UTC)
︵追記︶議論はWikipedia:削除依頼/柳原極堂20060818で行うことになります。理解不足で非難するような発言はご遠慮いただければと存じます。竹麦魚︵ほうぼう︶ 2006年8月18日 (金) 00:47 (UTC)
了解しました。つぎつぎといろいろなページが来ますので、どこで検証、論議すればいいのかそれがまだよく理解できません。いずれにせよ非難の応酬はしたくありませんがは感じていただきたいと存じます。︵削除︶は死刑執行と同じようなものですので--時の旅彦 2006年8月18日 (金) 00:53 (UTC)
Toki-hoと申します。いつも大変お世話になっております。俳句関連のご投稿など、たいへん有意義なものと拝見しております。ありがとうございます。また著作権の議論でも、私とは見解が異なるとはいえ、真摯な議論をしていただき、大変感謝し、尊敬しております。ただ、やはりWikipediaのシステムには十分お慣れになっていないと拝察いたします。とくに上のご発言ですが、削除ボタンをおすのは個々の管理者ですが、削除の判断は、コミュニティーの意思です。そのあたりをご理解いただき、ご発言いただければと存じます。また<﹁削除﹂は死刑執行と同じ︵上のご発言より引用︶>とおっしゃっておられますが、投稿時の注意書きにもありますように、Wikioediaでは﹁あなたの関与したページなどがウィキペディアにおいて不適当と判断された場合︵不適当と判断される理由があなたの関与によるものではない場合を含む︶には削除されることに、予め同意を与えます﹂と投稿時の注意書きに書かれているとおり、コミュニティーが削除相当と思えば削除するということになっております。︵これは、もちろんご存知のことと思いますが、もし削除されたものに不満で、かつ著作権侵害していないという自信がおありでしたら、ご自身でGFDLのもとサイトをたちあげられ、そのページでWikipediaに掲載されたものをGFDL下で利用することも十分できるわけですから︶。miyaさんの会話ページでのご発言も、Wikipediaのシステムに対するご理解が十分になされていないように感じ、あえてここで申させていただきました。差し出た進言ですが、どうかご海容のうえ、ますますWikipediaの充実、発展のためにご尽力くださいますことをお願い申し上げます。Toki-ho 2006年8月29日 (火) 06:25 (UTC)
ご教示ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。﹁ご自身でGFDLのもとサイトをたちあげられ﹂という意味が分かりませんが、自分のホームページの上でということでしょうか。--時の旅彦 2006年8月30日 (水) 00:40 (UTC)
こちらこそよろしくお願いいたします。ご質問の件、個人のサイトにおいても、GFDL著作権形態下での展開は多少面倒ではありますが、十分可能であると認識しています。詳しくはGNU Free Documentation Licenseを御参照ください。またGNUのサイトは こちらで、日本語訳もあります。Toki-ho 2006年8月31日 (木) 08:17 (UTC)
ありがとうございます。繰り返しGFDLを読んでいますが、原著作者を偽ってはいけないということですので、俳句の場合は自由に配布できるということが、一般の著作物と異なるだけで、特に問題にはならないと思います。例えば﹁古池や蛙飛びこむ水の音﹂︵芭蕉︶の﹁古池や﹂を﹁大川や﹂﹂と改変することは自由ですが、これを﹁芭蕉﹂としてはいけないということでしょう。それならば一般の著作権の理解と変わらないと思いますがいかがでしょうか。以上のことからGFDLだから著作権法で許されている引用でもWIKIでは駄目だという論理が、なおかつ理解できません。運用上では同じことになるように思いますが。次々とGFDLになるから、どこかで著作権侵害になるというのなら、俳句に限らずすべての著作物の問題です。これは安全サイドに考えればなにも書けないことになるように思えます。ご教示ください。なおライセンスという言葉を﹁契約﹂といいきれないとの記述がありますが、それなら日本語では﹁指針﹂でしょうね。--時の旅彦 2006年8月31日 (木) 14:28 (UTC)
こんにちは。いま広域ブロックのまきぞえのため、家では書き込めず外で書いておりますので、十分なお返事はできませんことをお許しください。2点だけ簡単に。︵1︶Wikipedia内のGFDLの解釈は積み重ねられた歴史がございます。その点のご理解をぜひお願いしたいと存じます。︵2︶短詩系作品の﹁引用﹂の問題は、井戸端で述べたとおりでございます。俳句雑誌︵サイト︶と、百科事典とではコンテキストが違います。コンテキストが違う場で、片方が公正引用と慣例的にみなされるからといって、もう一方もそうだと全称規定することはできないと、私は考えます。既存の百科事典の俳人、歌人の項目に準じて、引用問題は考えるべきだと思っております。以上、十分納得していただける説明になっていないようでしたら、ほんとうに申し訳ありません。2006年9月1日 (金) 07:04 (UTC)
GFDLはもともとソフトウエアのライセンスを文書に適用したもので、未解決の法的問題︵GNU Free Documentation License 出典︶を多く抱えています。したがいまして何人かの方がGFDLではと﹁明快﹂に述べていることが分かりません。結局、俳句における引用の問題もさらに深く論議して行けばいいことで、GFDL自体が日本の法律とどのように整合するかは、積み重ねはあったとしても、まだまだ未知の問題のように思えます。確かにGDFLは﹁著作権の共有という観点では有用なライセンスの一つであるが﹂として、あまり決め付けないことがいいように思います。﹁代表句の例示が公正引用と慣例的にみなされる﹂と、ここまでは意思の一致が出来たとすれば、これまでの論議が無意味ではなかったと思います。問題は百科辞典としての内容と性格の問題で、これは次の段階です。WikiというWeb上の百科辞典は、自由に拡大することが出来るという利点があります。ところが一般の紙の百科事典︵出版物︶はそういうわけにはまいりません。自ずから紙幅︵ページ数︶という制限があります。ですから代表作を1句2句ということになります。Wikiの場合は百科辞典という性格を考慮しても10句掲出であってもなんの問題もないと判断します。これは、それぞれの項目の利用者にある程度委ねてもいいことでしょう。なにはともあれ一句でも俳句︵短歌︶が引用されているだけで即削除ではあった過去が誤っていたことだけは明確になりましたね。--時の旅彦 2006年9月1日 (金) 23:42 (UTC)
こんにちは。Toki-hoです。広域ブロックにまきぞえになっており、お返事が遅くなって申し訳ありません。わたしの伝え方が悪いのか、誤解があるようですので、その点の明確化をさせていただきます。
●Wikipediaは、あくまでGFDLをウェブの百科事典において使用可能なものとして、それとその解釈に準拠して運営されています。もし、そのこと自体にご反対、または疑問をおもちのようでしたら、Wikipedia:著作権などで、説得的な議論をしていただくほかないと存じます。
●私は﹁代表句の例示が公正引用と慣例的にみなされる﹂とは申しておりません。﹁︵たとえ︶公正引用と慣例的にみなされるからといって﹂というように条件的例示でだしております。俳句雑誌などの場所で、著作権法32条の公正引用と慣例的にみなされるかどうか、それには私は関知いたしません。そしてそういった場で、たとえみなされるとしても、百科事典というコンテキストにおいては、著作権法32条の公正引用とはみなされないだろうと申しております。既存の百科事典で代表句の例示をしていないのは、紙幅に制限があるせいではないと存じます。というのも、以前に井戸端で申しましたように、俳人の説明に代表句の例示をまったくしていない既存の百科事典の項目もあるからです。
●以上により、﹁一句でも俳句︵短歌︶が引用されているだけで即削除ではあった過去︵<上のご発言より︶﹂は、Wikipediaの運営上は誤っていなかったと、私は考えます。
さてGreen3558さんのお考えと、私の考えの違いがあきらかになり、平行線をたどるということが、わかってまいりました。根本には私は、Wikipediaの項目記載においては、Wikipediaの方針が俳句という世界の慣例に超越すると考えており、Green3558さんは、俳句の慣例がWikipediaというシステムに超越するとお考えになっているのではないかと感じました。これは大変残念なことですが、どちらも、Wikipediaの発展のための議論であったことは、明確です。積み重ねられた議論は貴重なものだと存じます。ありがとうございました。以後のことですが、これまでの議論を参考に、コミュニティーの判断にまかすということで、いかがでしょうか。Toki-ho 2006年9月13日 (水) 00:31 (UTC)
ページ「悠仁親王」:同名の著名人について
初めましてAlljalといいます。ページ﹁悠仁親王﹂ですが、同名の著名人という項目は必要でしょうか?他の皇族にはそのような項目はなく、構成的にも不自然だと思います。--Alljal 2006年9月16日 (土) 04:43 (UTC)
●ゆずが載りましたので、追加しました。特にこだわっているわけではありません。みなさんの編集にお任せします。--時の旅彦 2006年9月17日 (日) 00:28 (UTC)
お返事ありがとうございます。この件のようにおめでたいことがあって、マスメディアが騒ぎ立てたことをいちいち記事に起こすというのはいかがなものでしょうか?Wikipediaはその記事名について説明する場であり貴殿の﹁同名の著名人﹂はこれに逸脱していると考えます。--Alljal 2006年9月17日 (日) 05:19 (UTC)
これはそれぞれの編集の自由ということで、ご理解ください。くりかえしますが﹁ゆず﹂は私の記載ではありません。--時の旅彦 2006年9月17日 (日) 12:40 (UTC)
議論が進んでから投稿することのお勧め
こんにちは。さて、引用・転載の問題ですが、議論の最中に同様の投稿をなされますと、また同じように削除依頼等の問題を引き起こすことは十分予想されますし、複数の記事において削除依頼審議中、投稿が一時的に止まってしまうことになります。また、互いに不愉快な感情を持つことも予想されますし、記事の発展という意味でも好ましいものとはいえません。そこで、今後は議論の目処がついたときに、その議論の結果に添った形での投稿をなさるほうがよろしいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。ウィキペディアでは、さまざまなことが執筆者の皆さんの合意というプロセスのもとに進められています。合意を無視することは、編集の制限を含めた厳しい対応が取られることもあります。ご配意いただければ幸いです。竹麦魚︵ほうぼう︶ 2006年9月23日 (土) 00:20 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。合意の下に進めるということについてはまったく異論はありません。ただし、これまでの論議では、繰り返し指摘しても無理解、曲解もあったことは残念です。wikiのシステムでは流れが悪くなると衆愚政治になる可能性もありそうです。まあこれは現実の政治でも同じことですが・・・。柳原極堂の問題ではご迷惑をおかけしましたが、これも削除を強行されました。あと1年で没後50年の方ですよ。まことに残念でした。--時の旅彦 2006年9月23日 (土) 00:44 (UTC)