「利用者‐会話:Nekosuki600/俳句引用」の版間の差分
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*[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1%3ANekosuki600%2F%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E5%BC%95%E7%94%A8&diff=11468368&oldid=11421527 2007年3月24日 (土) 15:17 Goldenv825氏(緑はるか氏)によるもの] |
*[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1%3ANekosuki600%2F%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E5%BC%95%E7%94%A8&diff=11468368&oldid=11421527 2007年3月24日 (土) 15:17 Goldenv825氏(緑はるか氏)によるもの] |
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緑はるかさんんは申しわけないんだが、続くようならば対処を考えます。--[[利用者:Nekosuki600|Nekosuki600]] 2007年3月25日 (日) 03:53 (UTC) |
緑はるかさんんは申しわけないんだが、続くようならば対処を考えます。--[[利用者:Nekosuki600|Nekosuki600]] 2007年3月25日 (日) 03:53 (UTC) |
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*ノートはそれぞれの「利用者」のものと思っていましたが、違っていたようでお詫びします。私にとっては、まってく不要な書込みがあまりにも多く、これを消したかっただけです。これを消すにはどうすればいいのでしょうか。お教えいただければ幸いです。--[[利用者:Goldenv825|緑はるか]] 2007年3月26日 (月) 16:10 (UTC) |
2007年3月26日 (月) 16:10時点における版
俳句がらみ
確認‥選句掲載の目的
確認をしたいので、章を分けました。 選句をWikipediaに掲載する方に伺います。選句をWikipediaに掲載する理由・目的は、どのようなものでしょうか。Wikipediaに選句を掲載することによって、Wikipediaはどのような利益を受け、Wikipediaはどのように充実するとお考えになっているのかをお聞かせください。 すでに述べましたが、選句の掲載にはリスクを伴います。そのリスクを上回るメリットがあれば掲載を許すべきという方向に世論は流れるでしょうし、そのリスクを上回るメリットがないということになれば掲載は拒否すべきという方向に世論が流れるでしょう。つきましては、掲載をしたいということであれば、﹁どのような目的があるのか﹂﹁どのようなメリットがあるのか﹂のご説明をいただきたいと思う次第です。 なお、Wikipediaは﹁言論の自由の場﹂ではありませんから、﹁掲載したいという個人的な思い﹂とか﹁掲載する権利がある﹂とか、そういう主張ではあまり説得力がないと思います。そういう主観的な理由ではなく、﹁選句を認めればWikipediaはこのような利益がある﹂﹁選句を認めればWikipediaはこのように充実する﹂といった方向でご説明をいただければと思います。よろしくお願い申し上げます。--Nekosuki600 2006年9月24日 (日) 13:05 (UTC) 時の旅彦さんが23日03:14から一週間ブロックを受けていたため、確認作業が止まっていました。そろそろブロックは明けたものと思いますので、返事をよろしくお願いします。説得力のある﹁選句を掲載することでWikipediaはこのように充実する﹂といった理由の説明をいただければ、選句の掲載について、わたしは賛成することになります。いただけなければ、反対することになります︵わたしだけではなく、この一連を見ている多くの方が同じ判断をするものと思います︶。では、正念場ということで、よろしくどうぞ。--Nekosuki600 2006年9月29日 (金) 05:15 (UTC) 更に二日ほど経過しました。念のために催促を入れておきます。--Nekosuki600 2006年10月1日 (日) 09:07 (UTC) 10日以上が経過し、時の旅彦さんのブロック明けからも一週間が経過しましたが、﹁選句をWikipediaに掲載するとWikipediaにとってどういうメリットがあるのか﹂についての説明はいただけませんでした。とりあえず﹁説明は、いただけなかった﹂ということで話を進めさせてもらいます。--Nekosuki600 2006年10月5日 (木) 06:24 (UTC)ウィキペディア内における引用の扱い
こんにちは、Koba-chanです。少しだけ話題に参加します。 Nekosuki600さん以外の多くの方たちの共通点はNekosuki600さんが意図している落とし所を探そうとする主旨を理解していないのではないかといった印象を受けます。時の旅彦さんに提案します。まず引用・転載ありきの立ち位置を検めて見直してください。Ryu1694さん、強行削除のような貴方自身の考えに基づく言動は大抵が混乱の元になります。常に加除編集が可能なGFDLに縛られたウィキペディアに於ける引用の位置付けを見直してください。 百科事典が扱う多数のジャンルから見れば俳句は一つのジャンルでしかありません。例えば﹁引用﹂という行為について、特定ジャンルに例外を設けて引用行為を可能とした場合、他のジャンルにも波及することの是非論があります。引用の点からGFDLを簡単に解説しますと、ウィキペディアは﹁常に編集・加筆・削除を保証する﹂という契約に合意した寄稿者によって記事が発展していってます。例えば、時の旅彦さんやRyu1694さんが主張する著作権法で保証されている﹁適正引用﹂はある時点では適法なものになるでしょう。しかし、引用した部分が常に引用状態で維持できるとは限らないという危険性に対する考慮がなされていません。幸いにしてウィキペディアは各ページごとがGFDLで公開されていますので、引用した部分の主従関係が崩れたとしても、その項目ページのみを削除すれば他の記事に影響は与えない作りになっています。対して、特定記事のみに着目した場合、初版が特定の俳句のみが記述されていて適正引用を満たさないような解説の場合は、一見して引用にみえたとしても、その抜き出した俳句単体の著作権許諾の問題が発生しますし、場合によっては転載の状態になりそうです。また、初版以降の版はすべて初版からの派生物になります。初版で適法性のある記事は白紙化されるか、記事削除の対象になります。先日のポケモン記事の削除も同様の理由で行なわれました。 ﹁載せたいから載せる﹂という状況がまかり通るほどウィキペディア日本語版は寛容な場所ではないことに気を回してください。 百科事典に代表句の一つでも載せて本文解説に深みを与えたいという気持ちは殆どの方が共通して持っていると思いますが、引用を未来永劫に渡って保証するシステムは現在のウィキペディアには存在しないという点について再度考慮した上でのRyo1694さん、時の旅彦さんのご意見をお待ちします。Koba-chan 2006年9月23日 (土) 11:35 (UTC) 先に時の旅彦さんが﹁百科辞典あるいは﹁現代俳句大事典﹂︵三省堂︶で、なんにんかの俳人を調べてみてください。必ずといっていいほど代表句があります。﹂と書かれていましたので、実家に戻り百科事典︵グランドナポレオン・講談社1972年刊・・ちょっと古いですが︶を調べてみました。代表句を掲載していたのは松尾芭蕉の﹁古池や蛙飛び込む水の音﹂の句のみでした。小林一茶にしても与謝蕪村、正岡子規、問題となった高浜虚子いずれも句など掲載されていませんでした。短歌も然りです。つまり、百科事典においては代表句を掲載しなくとも、その人物について解説することが出来るということなのではないですか?ですから、敢えて著作権問題を孕ませつつ記事を書くべきではなく、記事を書く方法は他に幾らでもあるという事でしょう。Reggaeman 2006年9月23日 (土) 13:14 (UTC) 私の見た百科事典には必ず代表句があります。ちょうど発行が同じ頃の手元の﹃万有大百科事典1文学﹄︵小学館1973年︶の高浜虚子には個別の批評、字の文なしに6句が掲載されています。同じく高浜年尾︵発刊時点では現存者︶にも1句が掲載されています。その他列挙できないほど多くあります。ご確認ください。--緑はるか 2006年9月23日 (土) 13:39 (UTC) Reggaeman さんは﹁代表句の掲載有無﹂を言いたいのではなく、﹁代表句の掲載なしで、歌人・俳人を説明することは可能﹂と言いたいのだと思います。 選句だけでなく引用に関してもWikipedia の記事として内容を精査する必要があるのではないかと私は考えます。もちろん有用な引用であれば記述を残すべきです。--excl-zoo (会話/履歴) 2006年9月23日 (土) 20:30 (UTC) excl-zooさん、ご説明ありがとうございます。私の言わんとするところはそこです。しかし、﹁引用﹂は著作権に抵触しないと言うことになっている以上は、解説付きで代表句を掲載することは可なのでしょう。excl-zooさんの仰るとおり必要性があれば客観的な解説︵その作品が作られた時期であるとか、作者の置かれた状況であるとか、どの点が一般的に支持されたのか等︶を付けて必要最低限掲載可だと思います。正直、中村草田男の記事を書いた際、﹁万緑﹂の季語についての解説に句も掲載すべきではないかと迷いましたが、草田男の句にはまだ著作権が存在しており結局、句は掲載せず記事を書きました。しかし、句を掲載しなかったので具体性に欠ける記事となっています︵後に代表句が列記されましたが︶。この様に新季語が出されたようなケースでは掲載可でしょうね。Reggaeman 2006年9月24日 (日) 0:38 (UTC)現段階における合意形成の提案
なんか白紙化破壊が行われたことから、こういう議論があったのだということを思い出しました。白紙化破壊をしたひと、やぶへびだったね︵ふっ︶。 さて、これまでの議論をふまえて、現段階における合意形成の提案。 (一)引用の絶対禁止という主張については、合意に達していない。 (二)しかしながら、引用の要件を満たさぬ﹁著作物の掲載﹂がWikipedia上では許されないということについても、異論はない。もし俳句業界などでは異なる慣習があるとしても、それはWikipediaでは基準とはできない。 (三)選句を、﹁選ぶことの創作性﹂という観点から重視するという立場は、Wikipediaでは容認されない。また、選句を﹁オマージュ﹂などとして取り扱うことも、同様に容認されない。 ということでいいでしょうか。--Nekosuki600 2007年3月22日 (木) 11:08 (UTC) 懐かしい議論ですね。合意でよろしいのではないでしょうか。--スのG 2007年3月24日 (土) 15:23 (UTC) そういえば、議論途中で中断していましたね。Nekosuki600さんの提案を支持します。--Reggaeman 2007年3月25日 (日) 2:30 (UTC) 支持します。Uryah 2007年3月25日 (日) 13:24 (UTC) 支持しますが、合意形成というからにはもう少し広い範囲に告知したほうがよいのではないかしら。いうことで文学ポータルにここへのリンクを出しておきます。Wikipedia名前空間への移動もそのうちしたほうがいいのかな。--Aphaia 2007年3月26日 (月) 10:08 (UTC) リンク張りどうもありがとうございます。いやあ、当初ここまで混迷するとは思わなかったんでこんなことになっていますが、ちょっと見通しが甘かったですね・・・コメント依頼かなんかにページを作って展開すべきだったかも。まあ、とりあえずここで合意形成をした上で、更にモメることがあったらそのときには改めてもっとわかりやすいところにページを作ってやろうと思います。あるいは、念押し的文書を作ってどこか目立つところに貼っておくか。--Nekosuki600 2007年3月26日 (月) 10:25 (UTC) 3.選句に相当の創作性が見られる場合は、作者の著作権と選者の編集著作権の双方について権利処理が必要であり、選句に創作性があるからといって作者の権利処理が必要でないという意見は受け入れられない。 じゃないかな。--Ks aka 98 2007年3月26日 (月) 10:14 (UTC) いや、それ以前に﹁Wikipediaは創作発表の場ではないから﹂でいいんじゃないかな。--Nekosuki600 2007年3月26日 (月) 10:25 (UTC) ああ、だとすると、﹁4.投稿者による創作的な﹁選句﹂は、許されない。﹂じゃないかな。--Ks aka 98 2007年3月26日 (月) 10:29 (UTC) cf.Wikipedia‐ノート:削除依頼/俳句の掲示#異質な記事?より 選句が創作的表現手段であるということについては異論はありません︵たとえばおれ、歌詞カードを作るときに、漢字表記や改行を原詩とは違うものにすることがあり、その書き換えたものは原詩をふまえたおれの作品だと考えております。そういう意味で、同じく選句もまた、創作的表現手段であると考えます。もちろん、だからといってそれを独自の著作物と主張することはできないとも考えていますが︶。しかしながら、それが創作的表現手段であるのならば、 Wikipediaは創作の発表の場ではないのだから、そんなもんを持って来られても困りますってことです。 選句単独では百科事典的解説としては成立しません。また、解説のための補強のために代表句を並べるといった場合でも、それは﹁解説対象者の代表句﹂であるべきで﹁選者の創作性﹂は邪魔な要素とならざるを得ないでしょう。いずれにせよ選句が創作的表現手段であるということならば、それは﹁Wikipediaにとっては利益がない投稿﹂という結論になるのではなかろうかと考えております。 --Nekosuki600 2006年9月23日 (土) 03:49 (UTC) おれの感覚だと、この﹁創作発表の場じゃねーから﹂の方が、選句をWikipediaに登録しようとするベクトルへの抑止効果が高いんですよね。でもまあ構成はいろいろあっていいようにも思います。--Nekosuki600 2007年3月26日 (月) 10:36 (UTC) ﹁引用だけならウィキクォートへ﹂という手もあります。でも﹁創作の場でないので﹂と合わせ技にしておくのが吉かな。ウィキクォートの場合でも、NPOVという大枠が外れるわけではないので、行動な創作性を主張される方にはあまり向かないように思います。--Aphaia 2007年3月26日 (月) 10:39 (UTC) んーと、Nekosuki600 さんの言わんとするところは、たぶん把握してる。記憶では、投稿者による選句には創作性があるから作者の著作権が及ばない的な理屈だったと思うです。普通に﹁選句﹂と出てくると、誰かの選句も投稿者の選句も区別つかないと思うですよ。百科事典で取り上げるに足る俳人なり評論家なりが、百科事典で取り上げるに足る独創的な選句をしている場合まで含んでしまうのは避けよう、と。﹁創作発表の場じゃねーから﹂というのも、作句︵っていうのかな︶というのが最初に思い浮かびます。かつての議論も参加してたけど、かなり間が空いてて、当時の流れに乗り切れずに読んでしまうところもあったので、ちょっと表現改めてみた、くらいのことと御理解ください。--Ks aka 98 2007年3月26日 (月) 10:56 (UTC) 了解ですー。 念のための復習でつ。アンソロジーとかの場合、選択や配列に﹁著作権﹂があるのは当然ですが、しかし個々の作品の著作権が消滅するわけではありません︵たとえば複数の作家の小説をまとめたアンソロジー本の場合、そのアンソロジー本の上には選択や配列に基づく新たな著作権が生じますが、個々の小説の著作権が消滅するわけではありません︶。この俳句選句をめぐる争いでは、﹁俳句業界では、この場合、元の俳句の著作権を尊重する必要はないという慣行がある(大意)﹂という主張がなされ、それに対して﹁そんな業界内のローカルルールなんか知らん。検証もできん﹂ということで、ひとつの争点となっていました︵合意事項(2)後段がここについての判断を示すもの。その後調べていないんですが、ほんとにそんな慣行があるんでしょうかねー︶。--Nekosuki600 2007年3月26日 (月) 11:09 (UTC)議論破壊の記録
なんかあいついで白紙化による議論破壊が行われています。いちおう記録しておきます。 ●2007年3月22日 (木) 00:08 Goldenv825氏︵緑はるか氏︶によるもの ●2007年3月24日 (土) 15:17 Goldenv825氏︵緑はるか氏︶によるもの 緑はるかさんんは申しわけないんだが、続くようならば対処を考えます。--Nekosuki600 2007年3月25日 (日) 03:53 (UTC)- ノートはそれぞれの「利用者」のものと思っていましたが、違っていたようでお詫びします。私にとっては、まってく不要な書込みがあまりにも多く、これを消したかっただけです。これを消すにはどうすればいいのでしょうか。お教えいただければ幸いです。--緑はるか 2007年3月26日 (月) 16:10 (UTC)