利用者‐会話:Nekosuki600/俳句引用
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俳句がらみ
当初、関係者のノートに個別に書いてまわっていましたが、これをやると議論が錯綜したときに厄介なことになりそうなので、サブページにしてまとめました。--Nekosuki600 2006年9月19日 (火) 13:46 (UTC)
どーも。俳句の掲載︵全文引用︶がらみ。関係者それぞれのノートにマルチポストします。
おれの見解では、俳人の紹介目的でその者の俳句の全文引用を行うのは基本的に可なのだが、大量に並べるとなるとどんどん無断転載との境界に近づいていくこともまた確かだろうと思う。Wikipediaの俳人項目にその俳人の作品を網羅する必要はなく、代表作を羅列する必要もなく、サンプルとして提示すれば充分でしょう。せいぜい2~3句程度におさめりゃとにかく、それ以上並べるのはトラブルを引き起こす以上の結果をもたらさない︵しかも、数多く並べたからといってその俳人への理解が深まるというようなものでもあるまい︶。
一方で、著作権についての誤解に基づく教条主義にとしか思えぬ削除依頼には同意できない。しかしもう一方で、大量に俳句を並べるという手法にも賛成はできない。代表句を掲載するという道をふさがぬためにも、代表句を掲載するのだったら、厳選してごく少数のものの掲載にとどめる必要があるのではないかと思う。少なくとも、﹁俳句界の慣習としてこれはOK﹂というような理由付けでは説得力が足らないので、ごく普通の著作権解釈でもOKな範囲にとどめるべきであると考えます。
以上、おれが考えるところの落としどころとして、いちおうお知らせをしておきます。--Nekosuki600 2006年9月19日 (火) 03:52 (UTC)
2日ほど待ちましたが、いまのところリアクションがありません。まず速やかなリアクションがないことについて残念に思うということを表明させていただきます。
さて、今回の俳句の選句をめぐるトラブルですが、一方に﹁選句だけを掲載することに問題はない﹂とする、少なくとも通常の著作権理解においてはかなり問題がある考え方が表明されています。もう一方で、それを指弾する余り通常の著作権理解においては問題がないものについても削除要請が出されるという行き過ぎた反作用も引き起こされています。おれはある程度著作権についてもお勉強をしてきた者ですが、そのおれの知見から判断するに、これは両者ともに間違っており、どちらの見解が通ってもまずいということになります。そこで落としどころをさぐろうと考えて出てきたわけですが。
俳句の引用があるというだけの理由で削除要請が出されるということは間違っているのでそれは阻止したいと考えておりますが、同時にそういった行き過ぎた反作用を引き起こした﹁選句の掲載﹂についても、選句を掲載した方々に見直していただかなければなりません。たとえば俳人単位で選句を掲載したいのであれば、最低限その俳人についての説明を記述し、選句は従として引用の範囲におさめられるようにする必要があるでしょう。おれの観点から別の言い方をすれば、﹁俳人についての説明を記載せず、選句だけを掲載するというのは、手抜きである。説明の記載を怠けたいのならば、そもそもそんな項目を立てるな﹂とでも言えばいいでしょうか。もうちょっと挑発的な言い方をしてみれば、﹁もし本当に俳句について造詣が深いのであれば、解説くらいちょちょいのちょいで書いて見せろ﹂という感じです。解説すら書けない方による選定に信頼性があるとは思えませんし、そんなものには価値がないのじゃないだろうかと。
では、引き続き、ご意見をお待ち申し上げます。--Nekosuki600 2006年9月21日 (木) 09:45 (UTC)
excl-zoo です。おおむね Nekosuki600 さんの意見に賛同します。というか、井戸端の議論の落しどころは上記だと思っていたのですが、私の見当違いだったようですね。公正な引用による選句は和歌の記事を成立させるために認めるべきだと感じます。同時に、俳句界ではない Wikipedia では俳句界の慣例による際限の無い選句は認めるべきではないと考えます。︵この﹁慣例﹂は真実か否かが検証不能なので、非常に怪しいですが ... 。︶
選句に解説を載せないのは手抜きとの意見ですが、私は選句が﹁先発句集のリミックス﹂と言えると感じています。リミックスに原曲の解説を載せないのと同じように、選句に解説を載せないのは﹁選句﹂としては問題ないのではないでしょうか? ただ、Wikipedia はリミックスのような芸術活動をする場ではないので、著作権の話を抜きにしても﹁選句﹂のみでは﹁Wikipediaの記事﹂として問題があると思います。--excl-zoo (会話/履歴) 2006年9月21日 (木) 15:56 (UTC)
excl-zoo さんどうも。
ああ、リミックスねえ。説明の意図がなく、表現者のそういう意図のみで選句が載せられたのだとすると、それはWikipediaの目的の範囲外ですねえ。そんな発表行為の場としてWikipediaを使うという発想がおれにはなかったので、なんかよくわからないでいたのだが。選句の発表の場という意図のみであるなら﹁それをやりたいんだったら自分のサイトでやってくれ﹂ということで早々に決着をつけちゃっていい話のように思います。削除依頼の方も著作権侵害とかなんとかいうややこしく先例になりかねない理由を持ち出さずに﹁明らかに異質な記事﹂ということで処理が可能だし、どちらかというとその方が楽かもしれない。
ま、いずれにせよ、へたな方向に話が行ってしまって﹁俳句・短歌の掲載は一切まかりならん﹂みたいな結論になってしまったら厄介なんで、そうはさせないように努力せにゃならんとは思うわけですけど。--Nekosuki600 2006年9月21日 (木) 16:33 (UTC)
そうですね。それは避けたいです。しかし、周辺が穏やかでなくなってきているのが心配です。皆さんには安易な排斤ではなく冷静な議論を望みます。
ところで、上記のリミックスの例えですが、趣味の発表行為というより﹁歌人、○○○○の業績を示すために、Wikipedia に選句を捧げます。﹂のような感じで投稿しているのではないかと私は感じています。解説がつかない限り投稿者の創作活動の域を出ないので Wikipedia では除去対象なのですが、投稿者は善意なので余計にもめるのかな? と思ったりします。
以上は私の素人感想なので、当事者の方に選句を投稿する真意をぜひ聞きたいですね。興味があります。--excl-zoo (会話/履歴) 2006年9月21日 (木) 17:40 (UTC)
nekosuki600さん、ありがとうございます。当該のページで最近の私の発言を載せてあります。﹁選は創作なり﹂という虚子の言葉もあります。それを紹介すると、今度はWikiは創作の場所ではないという反論が帰ってきますが、これでは際限がありません。虚子のいう﹁創作﹂は大切なことだといった意味合いです。百科辞典あるいは﹁現代俳句大事典﹂︵三省堂︶で、なんにんかの俳人を調べてみてください。必ずといっていいほど代表句があります。削除派のmiyaさんなどは、すでに人身攻撃とも見られる言動があります。--時の旅彦 2006年9月21日 (木) 18:27 (UTC)
時の旅彦さん、いらっしゃいませ&ご説明ありがとうございます。
とりあえず現段階でぼくが理解したところによると、﹁選句は、創作である﹂ということのようです。えーとしかしなんだ、やっぱりそういうことであれば、Wikipediaにとっては場違いであると考えざるを得ません。
たとえばWikipediaに自作の短編小説を掲載したひとがいたとしたらそれは受け入れられるか。受け入れられないです。たとえばWikipediaに自作の詩を掲載したひとがいたらそれは受け入れられるか。受け入れられないです。Wikipediaは﹁百科事典を作ろう﹂というプロジェクトであるからです。
それと同じ理由で、選句が創作としての価値を持っていたとしても、Wikipediaは創作発表の場ではないのですから、やはり受け入れがたいと言わざるを得ません。
Wikipediaは、﹁百科事典を作ろう﹂というプロジェクトです。ですから、特定の俳人・俳句の流派・なんらかの文化などの事象を説明する上で、俳句の引用が充分な意味を持つのであれば、引用することは可能です︵﹁引用は原則としてまかりならん(大意)﹂という意見の方もおいでになるようですが、ぼくはその意見には全くもって同意しません︶。しかしながら﹁百科事典にふさわしい説明を行うため﹂という目的は、執筆者の共通基盤でなければなりません。衝突が起きていたのは、著作権がどーのというところではなく、その目的の部分ではないかという印象が強まっています。このあたりは、おれの印象が正しいかどうか、確認をしていただけると幸いです。
なお、特定の俳人・俳句の流派・なんらかの文化などの事象を説明する上での俳句の引用につきましては、ぼくは引用は可能であるという立場におります︵引用の要件を満たすだけの充実した説明が必要であるというのは前提とした上で、ですが︶。﹁選句だけを放り出すように掲載する﹂のではなく﹁充実した説明とともに代表句を掲載する﹂といったスタイルで執筆していただけるのであれば歓迎しますし、ちゃんとした引用として成立しているものに対して﹁引用はけしからん﹂といった攻撃が加えられるようであれば、それについては時間の許す限り議論に参加しようと思っております。
--Nekosuki600 2006年9月21日 (木) 18:41 (UTC)
俳句︵短歌を含む︶は小説や詩とは異なります。これまでの判例でも﹁俳句﹂が例示されています。代表句の選出もすでに述べたように歴史的に行われていることです。﹁添削﹂問題でも俳句の慣行が認められたように、俳句の引用には紹介、参照を含められます。明らかに引用の範囲と思われる柳原極堂でも、削除されましたが、こうした強行削除はWIKIの自殺行為に思えます。--Ryu1694 2006年9月22日 (金) 14:34 (UTC)
お聞きします。ではその選句をWikipediaに掲載する理由・目的は、どのようなものでしょうか。Wikipediaに選句を掲載することによって、Wikipediaはどのような利益を受け、Wikipediaはどのように充実するとお考えになっているのかをお聞かせください。--Nekosuki600 2006年9月22日 (金) 14:52 (UTC)
ご指摘の﹁Wikipediaは、﹁百科事典を作ろう﹂というプロジェクトです﹂まったくそのとおりです。私が延々と述べてきたことは、そのための論議です。没後50年経ってないからといって、一句も俳句・短歌の載っていない百科事典︵私の場合は俳句事典ですが︶はありません。︵もちろん私は相当数の代表句の掲出は可の立場ですが、少なくとも一句はなんの問題もないでしょう︶どうかご理解ください。--時の旅彦 2006年9月22日 (金) 23:58 (UTC)
禅問答に持ち込まれるのは好みません。
せっかくですので、時の旅彦さんも、選句をWikipediaに掲載する理由・目的は、どのようなものでしょうか。Wikipediaに選句を掲載することによって、Wikipediaはどのような利益を受け、Wikipediaはどのように充実するとお考えになっているのかをお聞かせください。
この部分に明確な回答がないということは、﹁選句の掲載によってWikipediaがどのように充実するのかについて、明確なヴィジョンはない﹂ということになってしまうかと存じます。なんでもそうですけど、リスクとメリットの比較考量というのがありまして、メリットが大きければリスクを甘受すべき範囲が広がります。メリットが提示されなければ、ごくわずかなリスクであっても、﹁それはやめておけ﹂という結論になる可能性もあるわけです。リスクが指摘されている以上、逆に﹁どのようなメリットがあるのか﹂の説明をしなければ、掲載への同意は得らないのではないでしょうか。
--Nekosuki600 2006年9月23日 (土) 03:22 (UTC)
確認‥選句掲載の目的
確認をしたいので、章を分けました。 選句をWikipediaに掲載する方に伺います。選句をWikipediaに掲載する理由・目的は、どのようなものでしょうか。Wikipediaに選句を掲載することによって、Wikipediaはどのような利益を受け、Wikipediaはどのように充実するとお考えになっているのかをお聞かせください。 すでに述べましたが、選句の掲載にはリスクを伴います。そのリスクを上回るメリットがあれば掲載を許すべきという方向に世論は流れるでしょうし、そのリスクを上回るメリットがないということになれば掲載は拒否すべきという方向に世論が流れるでしょう。つきましては、掲載をしたいということであれば、﹁どのような目的があるのか﹂﹁どのようなメリットがあるのか﹂のご説明をいただきたいと思う次第です。 なお、Wikipediaは﹁言論の自由の場﹂ではありませんから、﹁掲載したいという個人的な思い﹂とか﹁掲載する権利がある﹂とか、そういう主張ではあまり説得力がないと思います。そういう主観的な理由ではなく、﹁選句を認めればWikipediaはこのような利益がある﹂﹁選句を認めればWikipediaはこのように充実する﹂といった方向でご説明をいただければと思います。よろしくお願い申し上げます。--Nekosuki600 2006年9月24日 (日) 13:05 (UTC) 時の旅彦さんが23日03:14から一週間ブロックを受けていたため、確認作業が止まっていました。そろそろブロックは明けたものと思いますので、返事をよろしくお願いします。説得力のある﹁選句を掲載することでWikipediaはこのように充実する﹂といった理由の説明をいただければ、選句の掲載について、わたしは賛成することになります。いただけなければ、反対することになります︵わたしだけではなく、この一連を見ている多くの方が同じ判断をするものと思います︶。では、正念場ということで、よろしくどうぞ。--Nekosuki600 2006年9月29日 (金) 05:15 (UTC) 更に二日ほど経過しました。念のために催促を入れておきます。--Nekosuki600 2006年10月1日 (日) 09:07 (UTC) 10日以上が経過し、時の旅彦さんのブロック明けからも一週間が経過しましたが、﹁選句をWikipediaに掲載するとWikipediaにとってどういうメリットがあるのか﹂についての説明はいただけませんでした。とりあえず﹁説明は、いただけなかった﹂ということで話を進めさせてもらいます。--Nekosuki600 2006年10月5日 (木) 06:24 (UTC)ウィキペディア内における引用の扱い
こんにちは、Koba-chanです。少しだけ話題に参加します。 Nekosuki600さん以外の多くの方たちの共通点はNekosuki600さんが意図している落とし所を探そうとする主旨を理解していないのではないかといった印象を受けます。時の旅彦さんに提案します。まず引用・転載ありきの立ち位置を検めて見直してください。Ryu1694さん、強行削除のような貴方自身の考えに基づく言動は大抵が混乱の元になります。常に加除編集が可能なGFDLに縛られたウィキペディアに於ける引用の位置付けを見直してください。 百科事典が扱う多数のジャンルから見れば俳句は一つのジャンルでしかありません。例えば﹁引用﹂という行為について、特定ジャンルに例外を設けて引用行為を可能とした場合、他のジャンルにも波及することの是非論があります。引用の点からGFDLを簡単に解説しますと、ウィキペディアは﹁常に編集・加筆・削除を保証する﹂という契約に合意した寄稿者によって記事が発展していってます。例えば、時の旅彦さんやRyu1694さんが主張する著作権法で保証されている﹁適正引用﹂はある時点では適法なものになるでしょう。しかし、引用した部分が常に引用状態で維持できるとは限らないという危険性に対する考慮がなされていません。幸いにしてウィキペディアは各ページごとがGFDLで公開されていますので、引用した部分の主従関係が崩れたとしても、その項目ページのみを削除すれば他の記事に影響は与えない作りになっています。対して、特定記事のみに着目した場合、初版が特定の俳句のみが記述されていて適正引用を満たさないような解説の場合は、一見して引用にみえたとしても、その抜き出した俳句単体の著作権許諾の問題が発生しますし、場合によっては転載の状態になりそうです。また、初版以降の版はすべて初版からの派生物になります。初版で適法性のある記事は白紙化されるか、記事削除の対象になります。先日のポケモン記事の削除も同様の理由で行なわれました。 ﹁載せたいから載せる﹂という状況がまかり通るほどウィキペディア日本語版は寛容な場所ではないことに気を回してください。 百科事典に代表句の一つでも載せて本文解説に深みを与えたいという気持ちは殆どの方が共通して持っていると思いますが、引用を未来永劫に渡って保証するシステムは現在のウィキペディアには存在しないという点について再度考慮した上でのRyo1694さん、時の旅彦さんのご意見をお待ちします。Koba-chan 2006年9月23日 (土) 11:35 (UTC) 先に時の旅彦さんが﹁百科辞典あるいは﹁現代俳句大事典﹂︵三省堂︶で、なんにんかの俳人を調べてみてください。必ずといっていいほど代表句があります。﹂と書かれていましたので、実家に戻り百科事典︵グランドナポレオン・講談社1972年刊・・ちょっと古いですが︶を調べてみました。代表句を掲載していたのは松尾芭蕉の﹁古池や蛙飛び込む水の音﹂の句のみでした。小林一茶にしても与謝蕪村、正岡子規、問題となった高浜虚子いずれも句など掲載されていませんでした。短歌も然りです。つまり、百科事典においては代表句を掲載しなくとも、その人物について解説することが出来るということなのではないですか?ですから、敢えて著作権問題を孕ませつつ記事を書くべきではなく、記事を書く方法は他に幾らでもあるという事でしょう。Reggaeman 2006年9月23日 (土) 13:14 (UTC) 私の見た百科事典には必ず代表句があります。ちょうど発行が同じ頃の手元の﹃万有大百科事典1文学﹄︵小学館1973年︶の高浜虚子には個別の批評、字の文なしに6句が掲載されています。同じく高浜年尾︵発刊時点では現存者︶にも1句が掲載されています。その他列挙できないほど多くあります。ご確認ください。--緑はるか 2006年9月23日 (土) 13:39 (UTC) Reggaeman さんは﹁代表句の掲載有無﹂を言いたいのではなく、﹁代表句の掲載なしで、歌人・俳人を説明することは可能﹂と言いたいのだと思います。 選句だけでなく引用に関してもWikipedia の記事として内容を精査する必要があるのではないかと私は考えます。もちろん有用な引用であれば記述を残すべきです。--excl-zoo (会話/履歴) 2006年9月23日 (土) 20:30 (UTC) excl-zooさん、ご説明ありがとうございます。私の言わんとするところはそこです。しかし、﹁引用﹂は著作権に抵触しないと言うことになっている以上は、解説付きで代表句を掲載することは可なのでしょう。excl-zooさんの仰るとおり必要性があれば客観的な解説︵その作品が作られた時期であるとか、作者の置かれた状況であるとか、どの点が一般的に支持されたのか等︶を付けて必要最低限掲載可だと思います。正直、中村草田男の記事を書いた際、﹁万緑﹂の季語についての解説に句も掲載すべきではないかと迷いましたが、草田男の句にはまだ著作権が存在しており結局、句は掲載せず記事を書きました。しかし、句を掲載しなかったので具体性に欠ける記事となっています︵後に代表句が列記されましたが︶。この様に新季語が出されたようなケースでは掲載可でしょうね。Reggaeman 2006年9月24日 (日) 0:38 (UTC)現段階における合意形成の提案
なんか白紙化破壊が行われたことから、こういう議論があったのだということを思い出しました。白紙化破壊をしたひと、やぶへびだったね︵ふっ︶。 さて、これまでの議論をふまえて、現段階における合意形成の提案。 (一)引用の絶対禁止という主張については、合意に達していない。 (二)しかしながら、引用の要件を満たさぬ﹁著作物の掲載﹂がWikipedia上では許されないということについても、異論はない。もし俳句業界などでは異なる慣習があるとしても、それはWikipediaでは基準とはできない。 (三)選句を、﹁選ぶことの創作性﹂という観点から重視するという立場は、Wikipediaでは容認されない。また、選句を﹁オマージュ﹂などとして取り扱うことも、同様に容認されない。 ということでいいでしょうか。--Nekosuki600 2007年3月22日 (木) 11:08 (UTC)- 懐かしい議論ですね。合意でよろしいのではないでしょうか。--スのG 2007年3月24日 (土) 15:23 (UTC)
- そういえば、議論途中で中断していましたね。Nekosuki600さんの提案を支持します。--Reggaeman 2007年3月25日 (日) 2:30 (UTC)
議論破壊の記録
なんかあいついで白紙化による議論破壊が行われています。いちおう記録しておきます。
緑はるかさんんは申しわけないんだが、続くようならば対処を考えます。--Nekosuki600 2007年3月25日 (日) 03:53 (UTC)