「十字架の道 (リスト)」を編集中
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[[グレゴリオ聖歌]]からの影響が強く、晩年のリストに典型的な単純化され簡潔な旋律や和声と、半音階的で不安定な音楽が特徴的で、中世ヨーロッパの教会音楽、ドイツの古風な音楽、19世紀ドイツ・ロマン派の和声、半音階的で調性感の希薄な音楽が並存するユニークな曲である。 |
[[グレゴリオ聖歌]]からの影響が強く、晩年のリストに典型的な単純化され簡潔な旋律や和声と、半音階的で不安定な音楽が特徴的で、中世ヨーロッパの教会音楽、ドイツの古風な音楽、19世紀ドイツ・ロマン派の和声、半音階的で調性感の希薄な音楽が並存するユニークな曲である。 |
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[[1878年]]から[[1879年]]にかけて作曲されたこの曲には調性感の欠如した曲がいくつも現れるが、第2次ウィーン楽派の[[無調]]に比べると﹃十字架の道﹄はもっと古典的な手法 (例えば、[[ヨハン・セバスティアン・バッハ|バッハ]]が一部の曲で使った、あるいはより古くは[[カルロ・ジェズアルド|ジェズアルド]]が使用した[[半音階]]による調性感の不安定化) を使っている。しかし、当時存命の作曲家で1879年と言えば、[[ブラームス]]は[[交響曲第2番_(ブラームス)|交響曲第2番]] (1877年) や[[ヴァイオリン協奏曲_(ブラームス)|ヴァイオリン協奏曲]] (1878年)、[[ドヴォルザーク]]は[[スラブ舞曲]]第1集 (1878年)、[[チャイコフスキー]]が[[交響曲第4番_(チャイコフスキー)|交響曲第4番]] (1877-78年) やオペラ﹃[[エフゲニー・オネーギン (オペラ)|エウゲニー・オネーギン]]﹄(1878年)、[[ブルックナー]]が[[交響曲第5番_(ブルックナー)|交響曲第5番]] (1875年-1878年) を書いていた頃、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]はオペラ﹃[[オテロ_(ヴェルディ)|オテロ]]﹄を完成させて間もない時期である。[[グスタフ・マーラー|マーラー]]や[[ドビュッシー]]はまだ学生時代、[[ツェムリンスキー]]は音楽学生にすらなっておらず、[[シェーンベルク]]に至っては5歳の幼児である。それを考えると、この時期にこれほど調性から外れた作品を書いたリストはきわめて先進的だったと言って過言ではない。
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== 作曲の経過 == |
== 作曲の経過 == |