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'''原型師'''(げんけいし)とは、量産品の模型の原型となる塑像を製作するという職能を持つ人間である。 |
'''原型師'''(げんけいし)とは、量産品の模型の原型となる塑像を製作するという職能を持つ人間である。 |
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2009年8月28日 (金) 08:08時点における版
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原型師︵げんけいし︶とは、量産品の模型の原型となる塑像を製作するという職能を持つ人間である。
その後、1987年には海洋堂は松村しのぶを新たに原型師として採用。その数年後、松村はアメリカ自然史博物館が海洋堂に発注した恐竜模型﹁アロサウルスVSバロサウルス﹂の製作を担当し、世界的な注目を集めた。 同じく海洋堂の古参の原型師で世界的に知られた人物としては、BOMEが挙げられる。BOMEは1980年代より美少女フィギュアの原型師として活躍していたが、1995年に現代美術作家の村上隆から発注を受けて﹁Project Ko2﹂の原型を製作。これをきっかけとして1998年にはニューヨークで個展を開催するまでになった。その後もBOMEは現代美術界から注目を浴び続けている[2]。
歴史
原型師と呼ばれる職能の歴史は新しく、ガレージキットという概念が一般化した1980年代初頭に、後に原型師と呼ばれることになる造形作家たちが登場したと考えられている[1]。 中でも特筆されるのは、1980年に﹃ホビージャパン﹄誌上で取り上げられた荒木一成の存在である。荒木はこの時、いわゆる﹁恐竜ルネッサンス﹂と呼ばれる恐竜観の一大転換を受けて製作した、当時の恐竜模型の水準を遙かに凌駕する作品群を発表し、注目を浴びた。荒木は海洋堂の社員として、海洋堂の怪獣模型の創生期からその原型となる塑像を製作していた造形作家でもあったが、1981年の時点で海洋堂は荒木を含む数名の造形作家を雇用していた[1]。その後、1987年には海洋堂は松村しのぶを新たに原型師として採用。その数年後、松村はアメリカ自然史博物館が海洋堂に発注した恐竜模型﹁アロサウルスVSバロサウルス﹂の製作を担当し、世界的な注目を集めた。 同じく海洋堂の古参の原型師で世界的に知られた人物としては、BOMEが挙げられる。BOMEは1980年代より美少女フィギュアの原型師として活躍していたが、1995年に現代美術作家の村上隆から発注を受けて﹁Project Ko2﹂の原型を製作。これをきっかけとして1998年にはニューヨークで個展を開催するまでになった。その後もBOMEは現代美術界から注目を浴び続けている[2]。
脚注
- ^ a b 金子隆一『知られざる日本の恐竜文化』詳伝社、2007年、160-161ページ
- ^ 原型師BOMEプロフィール