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*[[2011年]] [[日本記者クラブ賞]] |
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==著書== |
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*『ここだけは聞いておきたい裁判員裁判 31の疑問に答える』[[片山善博]],[[四宮啓]]共著 日本評論社 2009 |
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:翻訳 |
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*ジェイソン・ゲイズ『ぼくはガンを克服した ある少年の生への闘い イラスト手記』日本放送出版協会 1989 |
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== 脚注 == |
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2013年5月26日 (日) 13:41時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/50/Hiroko_Kuniya.jpg/220px-Hiroko_Kuniya.jpg)
国谷 裕子︵くにや ひろこ、1957年2月3日 - ︶は、日本のフリーのテレビキャスター。
略歴・人物
大阪府出身。幼少期は日本、アメリカ︵ニューヨーク、サンフランシスコ︶、香港で過ごす。帝塚山学院小学校、聖心インターナショナルスクールを経て、アメリカのブラウン大学卒業︵専攻‥国際関係学、副専攻‥国際経済学︶。同大学を卒業後、日本国内の外資系メーカーに就職。商品の販売戦略を担当したが、﹃やりがいを感じられず、一年弱で辞めました。﹄︵本人の言︶。夫は弁護士で大江橋法律事務所の代表社員である国谷史朗。祖父の田附政治郎は実業家、船場八社の一つの田附商店、日清紡ホールディングスの前身会社の一つの湖東紡績、京都大学に財団法人田附興風会、帝塚山学院、大阪市に北野病院を開設している。実父は銀行員。 知人の紹介で1981年、NHKニュースの英語の同時通訳を務めたのを機に、報道の世界に。NHK衛星放送のニューヨーク契約駐在キャスター、帰国後に、総合テレビの﹃NHKニュースTODAY﹄﹃NHKニュース21﹄、衛星放送の﹃ワールドニュース﹄に契約出演。1993年から総合テレビ﹃クローズアップ現代﹄のレギュラーキャスター。 趣味はランニング。都内で夫と暮らす。受賞歴
●1994年 橋田壽賀子賞 ●1996年 放送文化基金賞︵個人・グループ部門︶︵国谷裕子と﹁クローズアップ現代﹂番組制作スタッフ︶ ●1998年 放送ウーマン賞 '97 ●2002年 菊池寛賞︵国谷裕子と﹁クローズアップ現代﹂制作スタッフ︶ ●2011年 日本記者クラブ賞著書
●﹃ここだけは聞いておきたい裁判員裁判31の疑問に答える﹄片山善博,四宮啓共著 日本評論社 2009 翻訳 ●ジェイソン・ゲイズ﹃ぼくはガンを克服した ある少年の生への闘い イラスト手記﹄日本放送出版協会 1989脚注
外部リンク
- NHK クローズアップ現代 - プロフィール