「土佐日記」を編集中
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﹃土佐日記﹄について特筆すべき事として、原著者である貫之の自筆本から直接書写した写本が現存していることがある。たとえば﹃[[枕草子]]﹄にせよ﹃[[源氏物語]]﹄にせよ、その作者とされる[[清少納言]]や[[紫式部]]の自筆本は早くに失われ、現存しているそれら伝本はいずれも原作者の自筆本ではない写本を、人から人へと幾度となく書き写して成立したものである。つまりその書写の過程において誤写誤脱や意図的な改変が本文に加わっており、原作者の著した本文からは大変かけ離れたものが、現在伝わっている可能性があるのである。これは﹃枕草子﹄や﹃源氏物語﹄に限ったことではなく、ほかの古い時代に成立した文学作品についても大抵が当てはまる。
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﹃土佐日記﹄について特筆すべき事として、原著者である貫之の自筆本から直接書写した写本が現存していることがある。たとえば﹃[[枕草子]]﹄にせよ﹃[[源氏物語]]﹄にせよ、その作者とされる[[清少納言]]や[[紫式部]]の自筆本は早くに失われ、現存しているそれら伝本はいずれも原作者の自筆本ではない写本を、人から人へと幾度となく書き写して成立したものである。つまりその書写の過程において誤写誤脱や意図的な改変が本文に加わっており、原作者の著した本文からは大変かけ離れたものが、現在伝わっている可能性があるのである。これは﹃枕草子﹄や﹃源氏物語﹄に限ったことではなく、ほかの古い時代に成立した文学作品についても大抵が当てはまる。
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しかし﹃土佐日記﹄では原著者の自筆本が、15世紀ごろというかなり後の時代にまで伝わり、それを直接閲覧して書き写した写本が現存している。これは普通では考えられないような僥倖であり、その価値は単なる文学作品の写本という事に留まらないものである。
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しかし﹃土佐日記﹄では原著者の自筆本が、15世紀ごろというかなり後の時代にまで伝わり、それを直接閲覧して書き写した写本が現存している。これは普通では考えられないような僥倖であり、その価値は単なる文学作品の写本という事に留まらないものである。こんにちは
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== 享受と研究 == |
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