「大御食神社」を編集中
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|名称 = 大御食神社 |
|名称 = 大御食神社 |
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|画像 =[[File:大御食神社正面.jpg|300px]]<br />大御食神社正面 |
|画像 =[[File:大御食神社正面.jpg|300px]]<br />大御食神社正面 |
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|所在地 = [[長野県]][[駒ヶ根市]][[赤穂町 (長野県)|赤穂]]11475︵市場割︶<ref name="nihon-kankou">{{Cite web |
|所在地 = [[長野県]][[駒ヶ根市]][[赤穂町 (長野県)|赤穂]]11475︵市場割︶<ref name="nihon-kankou">{{Cite web |url=https://www.nihon-kankou.or.jp/detail/20210ag2130148628 |title=大御食神社(美女ヶ森) |website=全国観光情報サイト 全国観るなび |publisher=日本観光振興協会 |accessdate=2021-02-06 }}</ref>{{Refnest |group="注" |長野県神社庁﹁神社紹介﹂では当社所在地を﹁駒ケ根市赤穂字美女森11475﹂︵引用︶としている<ref>{{Cite web |url=http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/kamiina.htm |title=神社紹介 上伊那支部 |publisher=長野県神社庁 |accessdate=2021-02-06 }}</ref>。}}
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| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 43 | 緯度秒 = 25 |
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| 経度度 = 137 | 経度分 = 56 | 経度秒 = 55 |
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|ラベル位置 = right |
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|地図 = Japan Nagano |
|地図 = Japan Nagano |
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|祭神 = [[ヤマトタケル|日本武尊]]・[[宮簀媛|五郎姫神]]・[[応神天皇|誉田別尊]]<ref name="komagane-honden">{{Cite web |
|祭神 = [[ヤマトタケル|日本武尊]]・[[宮簀媛|五郎姫神]]・[[応神天皇|誉田別尊]]<ref name="komagane-honden">{{Cite web |url=https://www.city.komagane.nagano.jp/material/files/group/19/20200208omikejinjahonden.pdf |title=大御食神社本殿 |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-06 }}</ref>{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }} |
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|社格 = [[郷社]]<ref name="komagane-honden" />{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }} |
|社格 = [[郷社]]<ref name="komagane-honden" />{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }} |
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|創建 = |
|創建 = [[景行天皇]]58年{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }}{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}{{Refnest |group="注" |name="founded" |﹃[{{NDLDC|1102488/10}} 美社神字解]﹄では神代文字社伝記の当該部分を﹁大足彦忍代別天皇御代八十余八年﹂︵引用、大足彦忍代別天皇は景行天皇のこと︶と解読している{{Sfn |落合直澄 |1936 }}。}}
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|本殿 = [[流造|三間社流造]]<ref name="komagane-honden" /> |
|本殿 = [[流造|三間社流造]]<ref name="komagane-honden" /> |
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|別名 = 美女ヶ森<ref name="nihon-kankou" /><ref name="komagane-honden" /> |
|別名 = 美女ヶ森<ref name="nihon-kankou" /><ref name="komagane-honden" /> |
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* [[応神天皇|誉田別尊]] - [[八幡神|八幡大神]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[元慶]]3年︵[[879年]]︶[[3月15日 (旧暦)]]、[[石清水八幡宮]]より勧請したという{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
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* [[応神天皇|誉田別尊]] - [[八幡神|八幡大神]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[元慶]]3年︵[[879年]]︶[[3月15日 (旧暦)]]、[[石清水八幡宮]]より勧請したという{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
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[[神紋]]は﹁八花形﹂である{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。代々当社[[宮司]]を務める[[社家]]の[[阿智祝部]]︵阿智氏︶の支族・赤須氏は |
[[神紋]]は﹁八花形﹂である{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。代々当社[[宮司]]を務める[[社家]]の[[阿智祝部]]︵阿智氏︶の支族・赤須氏は、[[八意思兼神]]に始まる神の系譜に繋がるとされる<ref>[[宝賀寿男]]編著﹃古代氏族系譜集成﹄中巻、[[古代氏族研究会]]、1986年。</ref>。[[阿智神社 (阿智村)|阿智神社]]が破損した際、改築のため大御食社大足葦津彦が派遣されたという記録から、阿智神社とは古くからの深いつながりがあったとされる{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=323 }}。
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かつての赤須村6地区の総[[氏神]]で、各地区持ち回りで祭事の中心を務める{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。﹃全国神社名鑑﹄︵1977年刊︶によると[[氏子]]4,500戸、崇敬者15,000人{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。北は[[太田切川 (長野県)|太田切川]]から南は片桐︵[[上伊那郡]][[中川村]]︶まで氏子が広く分布していた時期もあったという{{Sfn |下中邦彦 |1979 |p=432 }}。
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かつての赤須村6地区の総[[氏神]]で、各地区持ち回りで祭事の中心を務める{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。﹃全国神社名鑑﹄︵1977年刊︶によると[[氏子]]4,500戸、崇敬者15,000人{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。北は[[太田切川 (長野県)|太田切川]]から南は片桐︵[[上伊那郡]][[中川村]]︶まで氏子が広く分布していた時期もあったという{{Sfn |下中邦彦 |1979 |p=432 }}。
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 沿革 === |
=== 沿革 === |
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その沿革は、[[明治]]5年([[1872年]])に「由緒明らかならず」として郷社に留まっているため、不明である<ref>『実在した「神代の文字」』櫻澤重利 1995年</ref><ref name="#1"/>。 |
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大御食神社には「神代文字社伝記」と呼ばれるいわゆる「[[神代文字]]」で記された社伝記が存在している。これを解読したのは「神代文字」肯定派の[[平田篤胤]]の影響を受けたとされる落合直澄であるが、彼の兄であり同じく平田篤胤の影響を受けていた落合直亮が後に伊勢神宮で和歌等を神代文字で書かせて保存させ偽物騒ぎを起こした人物のため、この神字社伝も捏造された[[偽書]]であるとされた<ref> 『実在した「神代の文字」』櫻澤重利 1995年 </ref>。 |
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在野の歴史家・伴崎史郎が[[駒ヶ根市]]の市史編纂室において、大御食神社の社伝記に言及したところ、編纂室の﹁K氏﹂は﹁神代文字は、皇国史観の産物であり、信用できない﹂と社伝記の真実性を否定している<ref>{{Cite web|和書|url= https://utukusinom.exblog.jp/9656851/ |title=古代文字の真実﹇5﹈”古代文字は皇国史観の産物?”|date=2009-02-20|accessdate=2021-12-12}}</ref>。
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以下は「神代文字社伝記」を参考に記したものである。 |
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* [[景行天皇]]41年 - 日本武尊来臨{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=42 }}。 |
* [[景行天皇]]41年 - 日本武尊来臨{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=42 }}。 |
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* 景行天皇58年 - 創建。日本武尊を奉斎{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }}{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}{{Refnest |group="注" |name="founded" }}。
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* 景行天皇58年 - 創建。日本武尊を奉斎{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }}{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}{{Refnest |group="注" |name="founded" }}。
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* [[寛平]]3年([[891年]])3月15日 (旧暦) - [[大和国]](現・[[奈良県]])の[[春日大社]]より[[流鏑馬]]が伝わる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
* [[寛平]]3年([[891年]])3月15日 (旧暦) - [[大和国]](現・[[奈良県]])の[[春日大社]]より[[流鏑馬]]が伝わる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
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* [[応永]]15年([[1408年]])3月15日 (旧暦) - 流鏑馬神事を境内で行うようになる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
* [[応永]]15年([[1408年]])3月15日 (旧暦) - 流鏑馬神事を境内で行うようになる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
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* [[明和]]4年︵[[1767年]]︶ - 氏子より祭事用獅子頭を寄進される<ref name="komagane-shishineri">{{Cite web |
* [[明和]]4年︵[[1767年]]︶ - 氏子より祭事用獅子頭を寄進される<ref name="komagane-shishineri">{{Cite web |url=https://www.city.komagane.nagano.jp/material/files/group/19/20200509omikejinjanosangokuichi.pdf |title=大御食神社と大宮五十鈴神社の獅子練り |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-07 }}</ref>。
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* [[天明]]2年︵[[1782年]]︶8月 - [[神官]]宅にて[[火災]]、古文書の多くを焼失{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
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* [[天明]]2年︵[[1782年]]︶8月 - [[神官]]宅にて[[火災]]、古文書の多くを焼失{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
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* [[文久]]3年([[1863年]])9月 - 本殿釿始め(おのはじめ)<ref name="komagane-honden" />。 |
* [[文久]]3年([[1863年]])9月 - 本殿釿始め(おのはじめ)<ref name="komagane-honden" />。 |
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[[File:大御食神社景.jpg|thumb|『郷社大御食神社之景』(1901年)]] |
[[File:大御食神社景.jpg|thumb|『郷社大御食神社之景』(1901年)]] |
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* 境内 - 1,500坪{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。 |
* 境内 - 1,500坪{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。 |
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* 本殿 - 9[[坪]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[流造|三間社流造]]で間口は4.2[[メートル]]。[[唐破風|軒唐破風]]をもつ[[屋根]]は[[銅]]板葺で、もとは[[こけら葺]]であった。[[棟札]]から[[文久]]3年︵[[1863年]]︶9月着工、[[元治]]元年︵[[1864年]]︶4月に[[地鎮祭]]・[[上棟式|上棟]]と考えられている。[[棟梁]]は斎藤常吉、彫工は立木音四郎で、ともに[[立川和四郎|立川和四郎冨昌]]の[[弟子]]である。随所に立川流[[彫刻]]の特徴が見られる<ref name="komagane-honden" />。駒ヶ根市指定有形文化財︵建造物︶<ref name="komagane-bunka">{{Cite web |
* 本殿 - 9[[坪]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[流造|三間社流造]]で[[間口]]は4.2[[メートル]]。[[唐破風|軒唐破風]]をもつ[[屋根]]は[[銅]]板葺で、もとは[[こけら葺]]であった。[[棟札]]から[[文久]]3年︵[[1863年]]︶9月着工、[[元治]]元年︵[[1864年]]︶4月に[[地鎮祭]]・[[上棟式|上棟]]と考えられている。[[棟梁]]は斎藤常吉、彫工は立木音四郎で、ともに[[立川和四郎|立川和四郎冨昌]]の[[弟子]]である。随所に立川流[[彫刻]]の特徴が見られる<ref name="komagane-honden" />。駒ヶ根市指定有形文化財︵建造物︶<ref name="komagane-bunka">{{Cite web |url=https://www.city.komagane.nagano.jp/gyosei/kosodate_bunka_sports/rekishi_bunkazai/4102.html |title=指定文化財一覧 |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-06 }}</ref>。
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* 神饌所 - [[1947年]]︵昭和22年︶9月、[[駒ヶ根市立赤穂小学校|赤穂小]]にあった旧[[奉安殿]]を移築したもの{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=324 }}。
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* 神饌所 - [[1947年]]︵昭和22年︶9月、[[駒ヶ根市立赤穂小学校|赤穂小]]にあった旧[[奉安殿]]を移築したもの{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=324 }}。
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* 拝殿 - 30坪。[[大工]]の小口平四郎と、[[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]][[教授]]の矢崎貞之による共同建築である{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[1920年]]︵大正9年︶の建築{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=324 }}。
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* 拝殿 - 30坪。[[大工]]の小口平四郎と、[[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]][[教授]]の矢崎貞之による共同建築である{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[1920年]]︵大正9年︶の建築{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=324 }}。
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* [[狛犬]] - 元禄11年の石狛犬のほか、上段に1952年︵昭和27年︶10月奉納の狛犬がある{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
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* [[狛犬]] - 元禄11年の石狛犬のほか、上段に1952年︵昭和27年︶10月奉納の狛犬がある{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
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* [[灯籠]] - 文化6年のもの1基、慶応戌辰年のもの1基、その他享保4年のもの(神殿前の石灯籠)がある{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。 |
* [[灯籠]] - 文化6年のもの1基、慶応戌辰年のもの1基、その他享保4年のもの(神殿前の石灯籠)がある{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。 |
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* 御蔭杉︵みかげすぎ︶ - [[神木]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。伝承によると[[神功皇后]]5年春3月、[[天安 (日本)|天安]]2年︵[[858年]]︶春の2度にわたって植継ぎを行ったという<ref name="komagane-bijogamori">{{Cite web |
* 御蔭杉︵みかげすぎ︶ - [[神木]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。伝承によると[[神功皇后]]5年春3月、[[天安 (日本)|天安]]2年︵[[858年]]︶春の2度にわたって植継ぎを行ったという<ref name="komagane-bijogamori">{{Cite web |url=https://www.city.komagane.nagano.jp/material/files/group/19/20200506bijogamoridensetsu.pdf |title=美女ヶ森伝説 |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-07 }}</ref>。﹃上伊那郡史﹄︵1921年刊︶には﹁回り二[[丈]]余り﹂とある{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
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* 御手掛石 - 神木周りの[[玉垣]]内に置かれている{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。 |
* 御手掛石 - 神木周りの[[玉垣]]内に置かれている{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。 |
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File:Haidenn.jpg|拝殿 |
File:Haidenn.jpg|拝殿 |
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File:本堂高画質.jpg|本殿 |
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File:御影の杉.jpg|御蔭杉 |
File:御影の杉.jpg|御蔭杉 |
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* 御食津彦社([[オモイカネ|八意思兼尊]]・表春命・五道命・五道山祗命・五道津彦・五道別命・御食津彦) |
* 御食津彦社([[オモイカネ|八意思兼尊]]・表春命・五道命・五道山祗命・五道津彦・五道別命・御食津彦) |
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* 植継社(吾道赤須彦) - 植継大明神とも。 |
* 植継社(吾道赤須彦) - 植継大明神とも。 |
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* 二木社([[天之御中主神]]・[[ |
* 二木社([[天之御中主神]]・[[六孫王経基]]) - 以下の境内社がある。 |
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** [[ミシャグジ|社宮司]]社(建御名方命) |
** [[ミシャグジ|社宮司]]社(建御名方命) |
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** 神若衆社(唯二宮の臣と伝わる) |
** 神若衆社(唯二宮の臣と伝わる) |
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** 大御食神社 [[獅子舞|獅子練り]] - 2017年(平成29年)7月25日指定<ref name="komagane-bunka" />。[[#祭事]]参照。 |
** 大御食神社 [[獅子舞|獅子練り]] - 2017年(平成29年)7月25日指定<ref name="komagane-bunka" />。[[#祭事]]参照。 |
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* 社宝 |
* 社宝 |
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** [[神代文字]]社伝記2冊︵写本︶ - 原本は[[天明]]2年︵[[1782年]]︶8月の[[火災]]で焼失し、写本のみが残された |
** [[神代文字]]社伝記2冊︵写本︶ - 原本は[[天明]]2年︵[[1782年]]︶8月の[[火災]]で焼失し、写本のみが残された{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。縦1[[尺]]、横6[[寸]]8[[分 (数)|分]]の大きさの[[キリ|桐]]製の板に{{Sfn |落合直澄 |1936 }}、[[阿比留草文字]]および[[阿波文字]]で文章が記されている{{Sfn |落合直澄 |1888 }}。上冊は9枚で厚さ約1寸2分、下冊は11枚で厚さ約1寸9分。前後に2枚ずつ添え板がある。綴りひもは[[アサ|麻]]である。外箱は杉・[[ヒノキ]]材で、縦1尺1寸3分、外のり4寸9分。左側の一部に焼け焦げた跡がある{{Sfn |落合直澄 |1936 }}。[[明治維新]]後、当社は[[伊那県]]の要請で社伝記を提出。誰にも読めないとされていたが、[[落合直澄]]が[[平田篤胤]]著﹃神字日文伝﹄を参考に解読した{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。[[1874年]]︵明治7年︶の松本博覧会では社伝記が出展されている{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=316 }}。
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** [[除地]]目録(写本) - [[天明]]2年寅年12月写し(原本は[[元亀]]3年){{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
** [[除地]]目録(写本) - [[天明]]2年寅年12月写し(原本は[[元亀]]3年){{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
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** 除地目録 - [[元禄]]11年{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
** 除地目録 - [[元禄]]11年{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
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== 交通アクセス == |
== 交通アクセス == |
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;[[公共交通機関]] |
;[[公共交通機関]] |
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:[[東海旅客鉄道|JR]][[飯田線]]・[[小町屋駅]]が最寄り。直線距離で1,240メートル<ref>{{Cite web |
:[[東海旅客鉄道|JR]][[飯田線]]・[[小町屋駅]]が最寄り。直線距離で1,240メートル<ref>{{Cite web |url=https://www.mapion.co.jp/phonebook/M06005/20210/ILSP0061170657_ipclm/ |title=大御食神社 |website=[[Mapion]] 電話帳 |publisher=[[ONE COMPATH]] |accessdate=2021-02-06 }}</ref>。または[[駒ケ根駅]]から約2[[キロメートル]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}、[[タクシー]]で10分間<ref name="nihon-kankou" />。
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;[[自家用自動車]] |
;[[自家用自動車]] |
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:[[中央自動車道]]・[[駒ヶ根インターチェンジ]]から[[自動車]]で20分間。普通車15台分の[[駐車場]]がある<ref name="nihon-kankou" />。 |
:[[中央自動車道]]・[[駒ヶ根インターチェンジ]]から[[自動車]]で20分間。普通車15台分の[[駐車場]]がある<ref name="nihon-kankou" />。 |
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** 吾妻路のまかれるわたをすくにせししるし御蔭のすきはこの杉(国克、美濃国){{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }} |
** 吾妻路のまかれるわたをすくにせししるし御蔭のすきはこの杉(国克、美濃国){{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }} |
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** いや高き御かけの杉は足引の屋まとおくなの神代よりして(直虎、尾張国){{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }} |
** いや高き御かけの杉は足引の屋まとおくなの神代よりして(直虎、尾張国){{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }} |
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* 1919年(大正8年)制定の赤穂学校校歌(作詞:小町谷常是)において当社について歌われている<ref>{{Cite web |
* 1919年(大正8年)制定の赤穂学校校歌(作詞:小町谷常是)において当社について歌われている<ref>{{Cite web |url=http://www.e-sasaki-web.com/index.php?mp=blogn&eid=3769 |title=赤穂学校校歌100周年記念・駒ヶ根歴史フットパス |author=佐々木祥二 |date=2018-06-18 |accessdate=2021-02-07 }}</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|765237/24}} |author=佐野重直 |title=南信伊那史料 巻之下 |publisher=佐野重直 |year=1901 |ref=harv }} |
* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|765237/24}} |author=佐野重直 |title=南信伊那史料 巻之下 |publisher=佐野重直 |year=1901 |ref=harv }} |
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* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|965702/521}} |author=唐沢貞治郎 |title=上伊那郡史 |publisher=上伊那郡教育会 |year=1921 |ref=harv }} |
* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|965702/521}} |author=唐沢貞治郎 |title=上伊那郡史 |publisher=上伊那郡教育会 |year=1921 |ref=harv }} |
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* {{Cite book |和書 |title=[[角川日本地名大辞典]] 20 長野県 | |
* {{Cite book |和書 |title=[[角川日本地名大辞典]] 20 長野県 |author=「角川日本地名大辞典」編纂委員会、[[竹内理三]] |publisher=[[角川書店]] |year=1990 |ref=harv }} |
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* {{Cite book |和書 |author=下中邦彦 |
* {{Cite book |和書 |author=[[下中邦彦]] |title=[[日本歴史地名大系]] 20 長野県の地名 |publisher=[[平凡社]] |year=1979 |ref=harv }} |
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* {{Cite book |和書 |author=駒ケ根市誌編纂委員会 |title=駒ケ根市誌 現代篇 下巻 |publisher=駒ケ根市誌刊行会 |year=1974 |ref=harv }} |
* {{Cite book |和書 |author=駒ケ根市誌編纂委員会 |title=駒ケ根市誌 現代篇 下巻 |publisher=駒ケ根市誌刊行会 |year=1974 |ref=harv }} |
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* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|992105/37}} |title=日本古代文字考 2巻 上 |author=落合直澄 |publisher=吉川半七 |year=1888 |ref=harv }} |
* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|992105/37}} |title=日本古代文字考 2巻 上 |author=落合直澄 |publisher=吉川半七 |year=1888 |ref=harv }} |
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[[Category:駒ヶ根市の歴史]] |
[[Category:駒ヶ根市の歴史]] |
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[[Category:駒ヶ根市の建築物]] |
[[Category:駒ヶ根市の建築物]] |
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[[Category:神代文字]] |