「斎藤茂吉」を編集中
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* かなりの食いしん坊であった。[[鰻]]が大好物で、戦時中戦後の物不足の時期にも事前に購入して蓄えていた鰻の[[缶詰]]を食べていた<ref>齋藤茂吉全集第三十一巻 p.540およびp.681︵岩波書店︶</ref>。[[味噌汁]]の具にも口うるさく注文し、家人から[[ネギ]]もあるので入れるかと聞かれた時は﹁うーむ。﹂としばらく熟考するほど拘った。終戦直後、疎開先で講演を頼まれお礼に鰻をご馳走すると聞いて、元来講演嫌いなのに快諾し、予定時間を超過して話し続けた。
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* かなりの食いしん坊であった。[[鰻]]が大好物で、戦時中戦後の物不足の時期にも事前に購入して蓄えていた鰻の[[缶詰]]を食べていた<ref>齋藤茂吉全集第三十一巻 p.540およびp.681︵岩波書店︶</ref>。[[味噌汁]]の具にも口うるさく注文し、家人から[[ネギ]]もあるので入れるかと聞かれた時は﹁うーむ。﹂としばらく熟考するほど拘った。終戦直後、疎開先で講演を頼まれお礼に鰻をご馳走すると聞いて、元来講演嫌いなのに快諾し、予定時間を超過して話し続けた。
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* 非常な癇癪持ちであったが、患者の前では温厚に振舞っていた。その反動で家族には怒りを露わにすることも多かった<ref>北杜夫﹃どくどるマンボウ青春記﹄</ref>。茂吉が風邪で寝ていた時、是非ともお目にかかりたいという来客の希望に激怒し、病床から起き上がって客のもとに来て﹁俺が本当に風邪で寝ているのがわからんのか。﹂と怒鳴りつけた。あまりの剣幕に客が驚いて帰ったが、翌日、その客の土産の[[カステラ]]を食べた茂吉は﹁あんまり叱るんじゃなかったな。﹂と反省したという。
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* 非常な癇癪持ちであったが、患者の前では温厚に振舞っていた。その反動で家族には怒りを露わにすることも多かった<ref>北杜夫﹃どくどるマンボウ青春記﹄</ref>。茂吉が風邪で寝ていた時、是非ともお目にかかりたいという来客の希望に激怒し、病床から起き上がって客のもとに来て﹁俺が本当に風邪で寝ているのがわからんのか。﹂と怒鳴りつけた。あまりの剣幕に客が驚いて帰ったが、翌日、その客の土産の[[カステラ]]を食べた茂吉は﹁あんまり叱るんじゃなかったな。﹂と反省したという。
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* 癇癪をおさえるためによく神田の古書店に行き、好きな本を物色することで気を紛らわせた。だが、包装のパラフィン紙が上手くケースに収まらず再び癇癪を起 |
* 癇癪をおさえるためによく神田の古書店に行き、好きな本を物色することで気を紛らわせた。だが、包装のパラフィン紙が上手くケースに収まらず再び癇癪を起して紙を丸めて捨てたこともあった。 |
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* 根に持つタイプで、﹁病雁論争﹂では自身の作品をこき下ろした[[太田水穂]]に対し﹁水穂征伐﹂なる反論を書き﹁僕にかりそめにも刃向かうごとき者がゐたなら必ず死ぬ。水穂もそろそろ要心せよ。﹂﹁そんな低級魯鈍者流ではもはや僕の論敵にはなれぬ。﹂などと云ったかなりどぎつい表現を用いて相手に挑んだことがあった。入院患者に頬を平手打ちされたとき、どのようにして仕返ししてやろうか一人妄想にふけっていたと随筆﹁瞬間﹂に記している。留学時代ミュンヘンで[[エミール・クレペリン]]に握手を求めて拒絶されたことを晩年まで恨みに思い、﹁毛唐め!﹂と悪口を言い続けていた。
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* 根に持つタイプで、﹁病雁論争﹂では自身の作品をこき下ろした[[太田水穂]]に対し﹁水穂征伐﹂なる反論を書き﹁僕にかりそめにも刃向かうごとき者がゐたなら必ず死ぬ。水穂もそろそろ要心せよ。﹂﹁そんな低級魯鈍者流ではもはや僕の論敵にはなれぬ。﹂などと云ったかなりどぎつい表現を用いて相手に挑んだことがあった。入院患者に頬を平手打ちされたとき、どのようにして仕返ししてやろうか一人妄想にふけっていたと随筆﹁瞬間﹂に記している。留学時代ミュンヘンで[[エミール・クレペリン]]に握手を求めて拒絶されたことを晩年まで恨みに思い、﹁毛唐め!﹂と悪口を言い続けていた。
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* 粘着性気質で、[[ウイーン]]滞在中、偶然にキスする男女を見つけ、あまりの長さに﹁長いなあ。実に長いなあ。﹂と独り言を言いながら物陰から一時間近くも覗いていた。
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* 粘着性気質で、[[ウイーン]]滞在中、偶然にキスする男女を見つけ、あまりの長さに﹁長いなあ。実に長いなあ。﹂と独り言を言いながら物陰から一時間近くも覗いていた。
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