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﹃新論﹄︵しんろん︶は、後漢はじめの桓譚︵かんたん、字は君山︶による書物。本来は29篇あった。現存しないが、清の厳可均による輯佚書が存在する。後漢の学者の合理思想を示す書物として知られる。
﹃後漢書﹄桓譚列伝によると、後漢のはじめに桓譚が当時の物事を論じた著書である﹃新論﹄29篇を光武帝に進上した。しかし琴道篇は未完成であったので、後に章帝が班固に命じて補足させた。
﹃後漢書﹄桓譚列伝の章懐太子注によると、本来は以下の諸篇からなっていた。
●本造
●王覇 上・下
●求輔 上・下
●言体 上・下
●見徴 上・下
●譴非 上・下
●啓寤 上・下
●祛蔽 上・下
●正経 上・下
●識通 上・下
●離事 上・下
●道賦 上・下
●弁惑 上・下
●述策
●閔友
●琴道︵冒頭の1章のみが桓譚による。残りは班固の補作︶
﹃新論﹄が29篇であるという﹃後漢書﹄の記載にくらべて1篇少ないが、厳可均は別に目録があったのだろうという。
﹃新論﹄は完全な形では現存していないが、﹃後漢書﹄桓譚列伝などの注に引用されており、また類書や﹃群書治要﹄﹃意林﹄のようなダイジェスト本にも収録されているため、残った文はかなり多い。
厳可均﹃全上古三代秦漢三国六朝文﹄のうち﹃全後漢文﹄の巻13・14・15に輯佚されている[1]。
僧祐﹃弘明集﹄巻5に収録されている﹁桓君山﹃新論﹄形神﹂条は、霊魂の不滅に関する桓譚の考えを示すものとして有名である︵厳可均は祛蔽篇に含める︶[2]。この論の中で、桓譚は精神と肉体の関係を、火と燭との関係にたとえた。
桓譚を高く評価していた王充の﹃論衡﹄論死篇にもこの思想は引きつがれ、人が死んでも知が残るというのは、火が消えても光が残るというようなものだとして批判した[3]。
この理論はのちに仏教を攻撃するのに用いられた。これに対する仏教側の反論として慧遠の神不滅論︵中国語版︶︵﹃沙門不敬王者論﹄に見える︶などが有名である。
合理主義者として知られる王充は﹃論衡﹄で﹃新論﹄を非常に高く評価している[4]。
外部リンク[編集]
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
新論