杉原千畝
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杉原千畝(すぎはら ちうね、Sugihara "Sempo" Chiune、1900年1月1日 - 1986年7月31日)は、日本の外交官。海外では、センポ・スギハラとも呼ばれる。
リトアニア共和国で日本総領事代理だった1940年、ナチス・ドイツに追われて逃げてきたため受給資格を欠いていたユダヤ人に、政府の指示にそむいて大量の日本通過ビザを発給した。ビザの枚数は番号のついているものだけで2000番、実際にはその数倍のビザを発給し、一説によれば家族も含め6000人のユダヤ人の国外脱出を助けたといわれる。このため、日本のシンドラーとも呼ばれる。
1944年、ルーマニア公使館勤務中に勲五等瑞宝章を受章。
帰国後、前年から行なわれた﹁行政整理及び、臨時職員令﹂に基づく機構縮小で職員の三分の一が退職する中、1947年に外務省を免官になる。
外務省によると、退職までの間、昇給や昇進は順調で、退職金や年金についても不利な扱いはいっさい受けていなかったという。
その後は貿易商をしたり、大学でロシア語を教えたりした。ユダヤ人の聖地、エルサレムの丘に顕彰碑が立っている。
参考文献
●The Holocaust Oral History Project, The Unlikely Liberators Project 編﹃意外な解放者﹄情報センター出版局、1995年8月。
●中日新聞社会部編﹃自由への逃走―杉原ビザとユダヤ人﹄東京新聞出版局、1995年10月。
●上杉千年﹃猶太(ユダヤ)難民と八紘一宇﹄展転社、2002年2月。