松尾儀助
表示
松尾儀助︵まつお ぎすけ、1836年 - 1902年1月15日︶は日本の実業家。従五位。
概要
1836年︵天保7年︶、佐賀生まれ。1873年︵明治6年︶ウィーン万国博覧会に茶商として参加。日本パビリオン内に日本庭園を造り日本PRをした。日本庭園を見たイギリスのパーク社が、会期終了後、そのまま買い取ることになった。その際、政府では売買ができないため、大隈重信が儀助に売買を仲介する会社を起こすように促し、日本で最初に会社と名の付く﹁起立工商会社﹂を設立した。 ﹁ウィーン万博博覧会終了後、好評を博した日本庭園を、イギリスのアレキサンドル・パーク社がそっくり買いたいと申し出て、博覧会事務局に商品の保証を求めてきた。しかし、政府として参加している博覧会事務局は関与できず、﹁茶商﹂として派遣されていた松尾儀助が会社をつくる事を提唱し﹁起立工商会社﹂を設立し、自らその社長となり売却した。また、博覧会で売れ残った品々も売買したのである。ウィーン万博の総裁は大熊重信、佐野常民であった。佐賀では、有田焼の海外とのかかわりの紹介では、江戸時代、東インド会社を通じて、世界に出て行ったことが中心的に語られている﹂*幕末・明治の肥前こぼれ話より。関連文献
- 『政商 松尾儀助伝』文芸社
- 『大隈重信と江副廉蔵』洋学堂書店