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[[東京府]][[愛宕 (東京都港区)|芝愛宕下]]生まれ。小学校を中退後、職を転々としながら短歌や[[小説]]の執筆に励む。16歳より電報新聞︵後の[[毎日新聞]]︶の[[短歌]]欄に投稿を始め、[[窪田空穂]]の選を受ける。空穂選歌欄を母体に組織された﹁十月会﹂に参加し、[[半田良平]]や[[植松寿樹]]と出会う。﹁十月会﹂から発展した歌誌﹃[[国民文学]]﹄の編集に[[1917年]]より携わり、[[1937年]]には空穂の推薦により編集・発行人となる<ref>[https://www.kokuminbungakuhp.com/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/ 国民文学の歴史]</ref>。[[自然主義文学]]の影響による破調歌を経て、歌集﹃やますげ﹄から[[写実]]的歌風を確立する<ref>{{コトバンク}}</ref>。
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[[東京府]][[愛宕 (東京都港区)|芝愛宕下]]生まれ。小学校を中退後、職を転々としながら短歌や[[小説]]の執筆に励む。16歳より電報新聞︵後の[[毎日新聞]]︶の[[短歌]]欄に投稿を始め、[[窪田空穂]]の選を受ける。空穂選歌欄を母体に組織された﹁十月会﹂に参加し、[[半田良平]]や[[植松寿樹]]と出会う。﹁十月会﹂から発展した歌誌﹃[[国民文学]]﹄の編集に[[1917年]]より携わり、[[1937年]]には空穂の推薦により編集・発行人となる<ref>[https://www.kokuminbungakuhp.com/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/ 国民文学の歴史]</ref>。[[自然主義文学]]の影響による破調歌を経て、歌集﹃やますげ﹄から[[写実]]的歌風を確立する<ref>{{コトバンク}}</ref>。
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生涯にわたって定職は持たず、短歌雑誌の編集などに従事。[[1917年]]、[[尾山篤二郎]]とともに史上初の短歌の総合誌﹃短歌雑誌﹄刊行にも参画した。日本歌人クラブや[[現代歌人協会]]の設立に尽力し、名誉会員となった。[[1959年]]、﹃松村英一全歌集﹄で第5回日本歌人クラブ推薦歌集︵現・[[日本歌人クラブ賞]]︶特別賞受賞。[[読売新聞]]歌壇選者、宮中[[歌会始]]選者も務めた。門下に[[山本友一 (歌人)|山本友一]]、[[千代國一]]、[[生方たつゑ]]など。1981年、91歳で没する |
生涯にわたって定職は持たず、短歌雑誌の編集などに従事。[[1917年]]、[[尾山篤二郎]]とともに史上初の短歌の総合誌﹃短歌雑誌﹄刊行にも参画した。日本歌人クラブや[[現代歌人協会]]の設立に尽力し、名誉会員となった。[[1959年]]、﹃松村英一全歌集﹄で第5回日本歌人クラブ推薦歌集︵現・[[日本歌人クラブ賞]]︶特別賞受賞。[[読売新聞]]歌壇選者、宮中[[歌会始]]選者も務めた。門下に[[山本友一 (歌人)|山本友一]]、[[千代國一]]、[[生方たつゑ]]など。1981年、91歳で没する。
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==著書== |
==著書== |