「板垣守正」を編集中
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|配偶者= 板垣外子、板垣桃子 |
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|出身校=東京帝国大学文学部}} |
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'''板垣 守正'''︵いたがき もりまさ、[[明治]]33年︵[[1900年]]︶[[3月15日]] - [[昭和]]26年︵[[1951年]]︶[[7月16日]]︶は、 |
'''板垣 守正'''︵いたがき もりまさ、[[明治]]33年︵[[1900年]]︶[[3月15日]] - [[昭和]]26年︵[[1951年]]︶[[7月16日]]︶は、[[劇作家]]、[[士族]]。[[伯爵]][[板垣退助]]の孫、[[板垣鉾太郎|鉾太郎]]の次男。母は[[松本丑太郎]]の長女節子︵せつこ︶。号は青牛。宗旨は[[曹洞宗]]。別名は山内守正。
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== 経歴 == |
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=== 家督相続 === |
=== 家督相続 === |
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大正8年︵[[1919年]]︶[[7月16日]]、祖父退助が[[薨去]]する。退助持論の﹃[ |
大正8年︵[[1919年]]︶[[7月16日]]、祖父退助が[[薨去]]する。退助持論の﹃[[一代華族論]]﹄を実践するため、父鉾太郎は同年[[8月19日]]に廃嫡して爵位を返上した上で、守正が同年[[9月8日]]に[[板垣氏|板垣家]]の[[家督]]を相続する。六高卒業の後、[[東京大学|東京帝国大学]][[文学部]]社会学科に進学。
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=== 廃嫡事件 === |
=== 廃嫡事件 === |
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=== 『自由党異変』その後 === |
=== 『自由党異変』その後 === |
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帝劇側は、守正廃嫡事件が世間の注目を集めれば集めるほど興行業績が伸びるだろうと、考えられていた節があり<ref>﹁一方、舞台協会では守正君の意気に感じあくまでも上演する事に決したといふ。そして恐らく問題が大きくなればなる程、興行政策からいへば望ましい事だらうと芝居仲間では穿つた噂さへしている﹂﹃[[東京朝日新聞]]﹄︵大正14年︵[[1925年]]︶10月20日号︶</ref>、上演に反対する旧自由党の支援者・[[自由民権運動]]の支持者たちからは、上演中止を請願する声が続々と帝劇の大倉社長や山本専務に寄せられていたにも |
帝劇側は、守正廃嫡事件が世間の注目を集めれば集めるほど興行業績が伸びるだろうと、考えられていた節があり<ref>﹁一方、舞台協会では守正君の意気に感じあくまでも上演する事に決したといふ。そして恐らく問題が大きくなればなる程、興行政策からいへば望ましい事だらうと芝居仲間では穿つた噂さへしている﹂﹃[[東京朝日新聞]]﹄︵大正14年︵[[1925年]]︶10月20日号︶</ref>、上演に反対する旧自由党の支援者・[[自由民権運動]]の支持者たちからは、上演中止を請願する声が続々と帝劇の大倉社長や山本専務に寄せられていたにも関わらず無視する構えを見せていた<ref>﹁板垣守正君の﹃自由党異変﹄上演問題では帝劇の山本専務や大倉社長などに対して上演阻止、脅迫状や圧迫がましい運動が盛んなさうだが、帝劇側はこんな事には慣れたもので、ひとりでニヤニヤ笑つてゐる﹂﹃[[東京朝日新聞]]﹄︵大正14年︵[[1925年]]︶[[10月21日]]号︶</ref>。しかし上演前日の大正14年︵[[1925年]]︶[[10月25日]]、板垣家側、舞台協会側双方から条件が示され遂に上演中止が決定された。板垣家側から示された条件は、﹁在学中の[[東京大学|東京帝国大学]]卒業後はその自由を拘束せず、万一再び﹃自由党異変﹄が世に出る時には、旧[[自由党]]員も華々しく応援する<ref>板垣家側の﹁﹃自由党異変﹄が世に出る時には、旧自由党員も華々しく応援する﹂という文言は、﹁上演差止﹂めと﹁守正廃嫡﹂の法的な裁許が下りるまでの時間稼ぎであった可能性が高い。また、守正側は祖父板垣伯の遺品の一部を後継者の実弟・[[板垣正貫]]側に渡さないなどの対抗措置を行っている</ref>﹂というもので、舞台協会側から示された条件は﹁守正氏を動かして、今、遅れている卒業論文を必ず書いて貰つて帝大は必ず卒業させる事﹂というもので双方から条件を出した和解の方式が採られた。さらに﹃[[東京朝日新聞]]﹄︵大正14年︵[[1925年]]︶10月25日号︶では、守正の学費は故板垣伯爵が清貧に甘んじていたため、遺族の収入が充分でなかったのが上聞に達し、特に恩賜の教育賜金によって学費に充てられていたので卒業の如何によっては不敬の極みとならんことを家人が危ぶんだことが載せられている。
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=== 無形社を創設 === |
=== 無形社を創設 === |
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=== 死去 === |
=== 死去 === |
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昭和26年︵[[1951年]]︶、祖父[[板垣退助]]の[[命日]]と同日の[[7月16日]]に死去。享年52︵満51歳没︶<ref>﹃[[毎日新聞]]﹄︵[[昭和26年]][[7月18日]]朝刊︶の記事によると﹁午後8時半 村立診療所で胃癌のため死去。享年52歳。告別式は同21日午後2時から東京芝の[[青松寺]]﹂とあり、﹃[[朝日新聞]]﹄によると﹁大根村鶴巻園の仮宅にて午後10時死去。51歳。夫人桃子さん︵39歳︶と一子があり﹂とある。</ref>。墓は |
昭和26年︵[[1951年]]︶、祖父[[板垣退助]]の[[命日]]と同日の[[7月16日]]に死去。享年52︵満51歳没︶<ref>﹃[[毎日新聞]]﹄︵[[昭和26年]][[7月18日]]朝刊︶の記事によると﹁午後8時半 村立診療所で胃癌のため死去。享年52歳。告別式は同21日午後2時から東京芝の[[青松寺]]﹂とあり、﹃[[朝日新聞]]﹄によると﹁大根村鶴巻園の仮宅にて午後10時死去。51歳。夫人桃子さん︵39歳︶と一子があり﹂とある。</ref>。墓は静岡にある。
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== 家族 == |
== 家族 == |
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***妻:板垣桃子(福士 進の二女) |
***妻:板垣桃子(福士 進の二女) |
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****長男<ref>[[戸籍]]上は、[[板垣鉾太郎]]の四男</ref>:尾崎正<ref>昭和5年([[1930年]])[[1月26日]][[高知県]][[安芸郡 (高知県)|安芸郡]][[北川村]]大字野川 [[尾崎卓爾|尾崎旦]]の養子となる。</ref>(大正15年([[1926年]])[[10月1日]]生, のち[[尾崎旦]]養子) |
****長男<ref>[[戸籍]]上は、[[板垣鉾太郎]]の四男</ref>:尾崎正<ref>昭和5年([[1930年]])[[1月26日]][[高知県]][[安芸郡 (高知県)|安芸郡]][[北川村]]大字野川 [[尾崎卓爾|尾崎旦]]の養子となる。</ref>(大正15年([[1926年]])[[10月1日]]生, のち[[尾崎旦]]養子) |
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****二男<ref>戸籍上は、板垣守正の長男</ref>:板垣正明<ref>{{ |
****二男<ref>戸籍上は、板垣守正の長男</ref>:板垣正明<ref>{{cite web|url=http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/tmp/index_asanumainejiro2_syokan.pdf|title=昭和26年(1951)7月 活版・墨書 1通 父板垣守正 告別式の案内状(差出人 喪主板垣正明・板垣桃子, 宛先 浅沼稲次郎) |publisher=『浅沼稲次郎関係文書(その2)書簡の部目録』国立国会図書館憲政資料室 |date=2012-06-01 |accessdate=2014-06-16}}</ref>(母 板垣桃子) |
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****長女:三島拓子<ref>父守正[[認知]]届出済。のち昭和15年([[1940年]])[[4月6日]][[広島県]][[芦品郡]][[駅家町]]大字服部永谷 三島薫、同人妻美代子の養子となる。</ref>(昭和10年([[1935年]])[[9月30日]]生, 母 旭外子) |
****長女:三島拓子<ref>父守正[[認知]]届出済。のち昭和15年([[1940年]])[[4月6日]][[広島県]][[芦品郡]][[駅家町]]大字服部永谷 三島薫、同人妻美代子の養子となる。</ref>(昭和10年([[1935年]])[[9月30日]]生, 母 旭外子) |
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***弟:[[板垣正貫]] |
***弟:[[板垣正貫]] |
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{{板垣氏当主}} |
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{{板垣会会長}} |
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{{Normdaten}} |
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{{DEFAULTSORT:いたかき もりまさ}} |
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[[Category: |
[[Category:日本の劇作家]] |
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[[Category:満 |
[[Category:満州国の人物]] |
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[[Category:廃嫡された人物]] |
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[[Category:板垣退助家|もりまさ]] |
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[[Category:東京大学出身の人物]] |
[[Category:東京大学出身の人物]] |
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[[Category:旧制第六高等学校出身の人物]] |
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[[Category:東京都区部出身の人物]] |
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[[Category:胃癌で亡くなった人物]] |
[[Category:胃癌で亡くなった人物]] |
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[[Category:1900年生]] |
[[Category:1900年生]] |
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[[Category:1951年没]] |
[[Category:1951年没]] |
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[[Category:冨士霊園に埋葬されている人物]] |