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楡井を会長とする研究団体「古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会」は、[[2018年]]1月中旬に、現地の民有地部分に、所有者の協力を得てコンクリートブロック製の階段を設けた<ref name="amc20180206">{{Cite news|newspaper=朝日新聞・朝刊・ちば首都圏|date=2018年2月6日|title=便利?「チバニアン」階段 研究団体、事故起きないよう整備 市原市は困惑|author=石平道典|page=29|quote=}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。これに対して、[[天然記念物]]としての指定を目指していた[[市原市]]は、現状変更にあたるとして困惑していると報じられた<ref name="amc20180206" />。 |
楡井を会長とする研究団体「古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会」は、[[2018年]]1月中旬に、現地の民有地部分に、所有者の協力を得てコンクリートブロック製の階段を設けた<ref name="amc20180206">{{Cite news|newspaper=朝日新聞・朝刊・ちば首都圏|date=2018年2月6日|title=便利?「チバニアン」階段 研究団体、事故起きないよう整備 市原市は困惑|author=石平道典|page=29|quote=}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。これに対して、[[天然記念物]]としての指定を目指していた[[市原市]]は、現状変更にあたるとして困惑していると報じられた<ref name="amc20180206" />。 |
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[[2019年]]5月、楡井は現地の民有地の所有者から前年の内から[[借地権]]を取得していたことを公表し、これを根拠に他の研究者の自由な立ち入りを拒むこともあり得ると述べ、これによって現地への自由な立ち入りが前提となっている[[国際標準模式層断面及び地点]]への登録は極めて困難になったと報じられた<ref>{{Cite web|url=https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20190527/0030329.html|title=首都圏 NEWS WEB “チバニアン”の登録に支障も|publisher=日本放送協会|date=2019-05-27|accessdate=2019-05-27}}</ref>。
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[[2019年]]5月、楡井は現地の民有地の所有者から前年の内から[[借地権]]を取得していたことを公表し、これを根拠に他の研究者の自由な立ち入りを拒むこともあり得ると述べ、これによって現地への自由な立ち入りが前提となっている[[国際標準模式層断面及び地点]]への登録は極めて困難になったと報じられた<ref>{{Cite web|url=https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20190527/0030329.html|title=首都圏 NEWS WEB “チバニアン”の登録に支障も|publisher=日本放送協会|date=2019-05-27|accessdate=2019-05-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190527172623/https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20190527/0030329.html|archivedate=2019-05-27}}</ref>。
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2019年6月6日 (木) 11:00時点における版
楡井 久︵にれい ひさし、1940年10月[1] - ︶は、日本の地質学者、環境学者[2]、茨城大学名誉教授。
経歴
福島県会津地方に生まれ、育つ[3]。山歩きや地層観察に興味をもつようになり、長じて、大阪市立大学で地質学を専攻し、大学院に進む[3]。 1970年に千葉県庁職員となり、以降30年近くにわたり地盤沈下、地質汚染、液状化などに関わった[3]。1994年から1996年にかけては、京都大学客員教授となった[1]。 1976年から就任していた水質保全研究所・地質環境第一研究室室長を最後に県職員を退職し、1998年4月から茨城大学に転じて、広域水圏環境科学教育研究センター陸水域環境自然史分野の初代教授となった[1][2][4][5]。 2006年、茨城大学を退職し、在職中に就任していた特定非営利活動法人日本地質汚染審査機構理事長の専従となった[6]。千葉セクションの国際標準地をめぐって
千葉セクションの国際標準模式層断面及び地点としての登録申請をめぐる動きの中で、当初は楡井も申請を推進する立場から発言していた[3]。ところが、2010年代後半になると、申請を進めようとしていたグループの研究に不適切な部分があり、認められないとする見解を示すようになった[7]。 楡井を会長とする研究団体﹁古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会﹂は、2018年1月中旬に、現地の民有地部分に、所有者の協力を得てコンクリートブロック製の階段を設けた[8]。これに対して、天然記念物としての指定を目指していた市原市は、現状変更にあたるとして困惑していると報じられた[8]。 2019年5月、楡井は現地の民有地の所有者から前年の内から借地権を取得していたことを公表し、これを根拠に他の研究者の自由な立ち入りを拒むこともあり得ると述べ、これによって現地への自由な立ち入りが前提となっている国際標準模式層断面及び地点への登録は極めて困難になったと報じられた[9]。脚注
(一)^ abc“講師のプロフィール” (PDF). エココミュニティ・ジャパン. 2019年5月27日閲覧。
(二)^ ab楡井久 - researchmap
(三)^ abcd“久米宏 ラジオなんですけど 過去ログページです! ゲスト‥楡井久さん︵地質学者︶” (2015年7月18日). 2019年5月27日閲覧。
(四)^ ﹁[1]﹂︵PDF︶﹃広域水圏センター年報﹄第9号、2006年、1頁。
(五)^ “県職員から茨大教授に転身の楡井久さん︵ひと︶”. 朝日新聞・朝刊・千葉. (1998年4月21日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
(六)^ 辻陽明 (2006年11月25日). “︵新市民伝︶きれいな大地を子孫に残す 楡井久さん”. 朝日新聞・朝刊・be週末b3: p. 3. " 見えない地下の汚染に警鐘を鳴らす。市民の側に立つ地質汚染研究の第一人者だ。… 千葉県庁の研究者だった。福島県の会津出身。山歩きと地層の観察が好きで地質学を学んだ。大阪市立大で博士号を取得。70年、30歳のとき、千葉県から声がかかった … この調査法を全国に広めようとNPO法人を設立。茨城大教授を経て今春から専従する。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
(七)^ 小宮山亮磨; 小林舞子 (2018年5月19日). “﹁チバニアン﹂に異議 国際学会の審査中断”. 朝日新聞・朝刊・ちば首都圏: p. 34 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
(八)^ ab石平道典 (2018年2月6日). “便利?﹁チバニアン﹂階段 研究団体、事故起きないよう整備 市原市は困惑”. 朝日新聞・朝刊・ちば首都圏: p. 29 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
(九)^ “首都圏 NEWS WEB “チバニアン”の登録に支障も”. 日本放送協会 (2019年5月27日). 2019年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月27日閲覧。