「津村喬」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Skinsdonna (会話 | 投稿記録) |
|||
5行目: | 5行目: | ||
1970年[[早稲田大学]][[第一文学部]]中退。在学中より評論活動を行い、中国の[[文化大革命]]と[[毛沢東思想|毛沢東主義]]に傾倒、フリーのライターとして今日に至る。﹁[[日中友好協会]]︵正統︶早大支部﹂を名乗り、[[中国研究所]]の機関誌﹃中国研究月報﹄などにも寄稿。
|
1970年[[早稲田大学]][[第一文学部]]中退。在学中より評論活動を行い、中国の[[文化大革命]]と[[毛沢東思想|毛沢東主義]]に傾倒、フリーのライターとして今日に至る。﹁[[日中友好協会]]︵正統︶早大支部﹂を名乗り、[[中国研究所]]の機関誌﹃中国研究月報﹄などにも寄稿。
|
||
各丁に書き込まれているせりふの中身は画面のストーリー上に沿っているものではなく、おおよそ笑いを主としており、洒落や地口、画面上での描かれ様に対しての登場人物自身の感想などがすべての画面に書き込まれている。たとえば、石塔ノ火(せきとう の ひ)は石塔が化けてお歯黒をつけた女の姿になって出没していたものを武士が刀で斬ったという話が描かれているが、そのことを記した短い本文の後に書き込まれたせりふは、武士は大道商人のひとつであった歯磨き売り(大きな刀をふるって通行人をあつめて販売していた)を意識したせりふ、妖怪側はそんな歯磨き売りを知らぬ顔していった通行人という体のせりふがそれぞれ書かれており、画面上での構造(刀を抜いて道で立っている男がいるという図)から連想された喜劇的な展開が描かれている。 |
|||
「広義のメディア批評」を唱え、国際政治から日常料理までを論評しながら、生活主権の確立・拡大のために多方面で活動を行う。 |
|||
1964年第一次訪中で気功療法を体験。1973年[[新日本文学会]]講座「健康道場」企画。 |
|||
1978年岡島自然健康道場に太極拳講師として参加。星野稔とともに中国体育研究会創立。 |
|||
1981年神戸太極拳同好会創設に参加。 |
|||
1983年の[[第13回参議院議員通常選挙]]に[[日本社会党]]の比例代表候補として立候補するが落選。 |
|||
2000年関西気功協会を解散。気功協会(責任者 天野)設立。 |
|||
==主な著書== |
==主な著書== |
2017年6月19日 (月) 01:47時点における版
![]() |
津村 喬(つむら たかし 1948年7月10日 - )は精神世界ニューエイジ運動家。自称ジャーナリスト。気功師。気功懇談会会員。京都気功会講師。東京都出身。元総評事務局長の高野実の二男。ジャーナリストの高野孟は兄。
来歴
1970年早稲田大学第一文学部中退。在学中より評論活動を行い、中国の文化大革命と毛沢東主義に傾倒、フリーのライターとして今日に至る。﹁日中友好協会︵正統︶早大支部﹂を名乗り、中国研究所の機関誌﹃中国研究月報﹄などにも寄稿。 各丁に書き込まれているせりふの中身は画面のストーリー上に沿っているものではなく、おおよそ笑いを主としており、洒落や地口、画面上での描かれ様に対しての登場人物自身の感想などがすべての画面に書き込まれている。たとえば、石塔ノ火︵せきとう の ひ︶は石塔が化けてお歯黒をつけた女の姿になって出没していたものを武士が刀で斬ったという話が描かれているが、そのことを記した短い本文の後に書き込まれたせりふは、武士は大道商人のひとつであった歯磨き売り︵大きな刀をふるって通行人をあつめて販売していた︶を意識したせりふ、妖怪側はそんな歯磨き売りを知らぬ顔していった通行人という体のせりふがそれぞれ書かれており、画面上での構造︵刀を抜いて道で立っている男がいるという図︶から連想された喜劇的な展開が描かれている。主な著書
- 『われらの内なる差別』(三一新書)
- 『魂にふれる革命』(ライン出版)
- 『革命への権利』(せりか書房)
- 『食と文化の革命』(社会評論社)
- 『歴史の奪還』(せりか書房)
- 『革新自治体』(教育社)
- 『全共闘―持続と転形』(五月社)
- 『現地緊急報告 歌いながらの革命―クレムリンを揺がす小国エストニアの闘い! 』(JICC出版)
- 『神戸難民日誌』(岩波ブックレット)
- 『新篇しなやかな心とからだ』(野草社)
- 『からだの言いぶん』(野草社)
- 『別冊宝島・東洋体育の本』(JICC出版)
- 『実践 伝統四大功法のすべて』(学研)
- 『気脈のエコロジー―天人合一と深層体育』(創元社)
- 『戦略とスタイル 増補改訂新版』(航思社)
- 『横議横行論』(航思社)
関連項目
関連文献
- すが秀実『反原発の思想史』(筑摩書房)