「浄明寺 (能代市)」の版間の差分
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2019年12月17日 (火) 12:24時点における版
浄明寺 | |
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所在地 | 秋田県能代市 |
位置 | 北緯40度10分8.2秒 東経140度6分53秒 / 北緯40.168944度 東経140.11472度座標: 北緯40度10分8.2秒 東経140度6分53秒 / 北緯40.168944度 東経140.11472度 |
山号 | 善城山 |
宗派 | 真宗大谷派 |
法人番号 | 2410005003905 |
浄明寺︵じょうみょうじ︶は秋田県能代市檜山字檜山町に所在する真宗大谷派の寺院。山号は善城山。
檜山安東氏との関係
永正年間︵1504年-1521年︶に創建された檜山安東一族ゆかりの寺院。開祖の西道は、安東一族出身といわれる。また、四世成就坊は秋田実季の次男だとの記録がある。浅利勝頼首塚
浅利勝頼の首塚がある。勝頼は、兄浅利則祐と対立して安東愛季と内応して1562年に兄を扇田長岡城において自害に追い込み、比内郡地方の領主となったが、愛季に信頼されず、1583年に愛季に檜山城に招かれたところを松前慶広に殺害された。文化財
山門は安東氏の居城檜山城より移築されたという伝承があり、従前より﹁城下がりの門﹂と呼ばれていた。切妻造の一間薬医門で、屋根は当初こけら葺であったという。現在は鉄葺である。1995年︵平成7年︶に解体保存修理工事がおこなわれ、その際、部材より﹁寛永11年﹂︵1634年︶の墨書銘が発見され、江戸時代前半の建立であることが判明した。しかし、建造年代の判明した門としては東北地方でも古いものに属し、桃山様式を残す薬医門として貴重な遺構である。1987年︵昭和62年︶3月17日、県の有形文化財に指定されている。 他に能代市の文化財指定を受けている資料が4件ある。 ●聖徳太子御影 ●教如上人寿像 ●秋田実季書状 ●黄瀬戸菊皿3点︵檜山城跡出土︶本尊
慶長11年︵1606年︶、五世浄法の安置。像高60cm、伝安阿弥作。住職
- 秋田篤(第二十三世)
アクセス
参考文献
- 「浄明寺山門」秋田県教育委員会編『秋田の有形文化財』19頁、無明舎出版、2001.12、ISBN 4-89544-295-0
- 「浄明寺山門」秋田県教育委員会編『秋田県の文化財』348頁、秋田県教育委員会、1989.3
- 「浄明寺」秋田魁新報社出版部編『秋田のお寺』231頁、秋田魁新報社、1997.5、ISBN 4-87020-167-4