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渡会 喬久︵わたらい たかひさ︶は、江戸時代後期の大和国芝村藩の家老・画家。通称は采男。
文政8年︵1825年︶11月17日、芝村藩主・織田長宇の七男として大和芝村において誕生。
庶子であることから渡会姓を与えられて、芝村藩士になった。知行は70石、後に80石になった。芝村藩の用人や中老職として、芝村藩主織田長恭・長易父子を補佐し、藩政に参加した。俳句や南画を嗜み、雪山などの雅号を用いた。芝村周辺では南画の三筆として知られた。
明治29年︵1896年︶7月10日、死去。享年72。養子・渡会易簡は、甥の藩主長易の次男である。