「澤田正二郎」を編集中
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『国定忠治』、『恩讐の彼方に』の2本を監督した[[マキノ省三]]は沢正のファンだった。[[マキノ雅弘]]によると、当時の活動大写真にチャンバラ、大殺陣の要素が大きく加わったのは、新国劇の正二郎の影響だった。マキノ省三にとって、正二郎のリアルで激しい立ち回りは一つの夢だったという。 |
『国定忠治』、『恩讐の彼方に』の2本を監督した[[マキノ省三]]は沢正のファンだった。[[マキノ雅弘]]によると、当時の活動大写真にチャンバラ、大殺陣の要素が大きく加わったのは、新国劇の正二郎の影響だった。マキノ省三にとって、正二郎のリアルで激しい立ち回りは一つの夢だったという。 |
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正二郎の劇団には、名殺陣師と謳われた段平がおり、[[稲垣浩]]によると、映画で「殺陣師」というものが表面に出てきたのは、この正二郎主演の映画 |
正二郎の劇団には、名殺陣師と謳われた段平がおり、[[稲垣浩]]によると、映画で「殺陣師」というものが表面に出てきたのは、この正二郎主演の映画あたりからだという<ref>『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)</ref>。 |
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正二郎の葬儀は谷中斎場で営まれ、日比谷公園新音楽堂で催された告別追悼会では、菊池寛が司会し、[[山田耕筰]]が追悼の曲を指揮し、その盛大な葬儀では、時の首相・[[田中義一]]、坪内逍遙、[[頭山満]]、[[高田早苗]]早稲田大学総長らが[[弔辞]]を贈っている。墓所は[[谷中霊園]]の甲3号1側にある。 |
正二郎の葬儀は谷中斎場で営まれ、日比谷公園新音楽堂で催された告別追悼会では、菊池寛が司会し、[[山田耕筰]]が追悼の曲を指揮し、その盛大な葬儀では、時の首相・[[田中義一]]、坪内逍遙、[[頭山満]]、[[高田早苗]]早稲田大学総長らが[[弔辞]]を贈っている。墓所は[[谷中霊園]]の甲3号1側にある。 |
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* 『富岡先生』([[国木田独歩]]作、[[真山青果]]脚色)、『勝者敗者』([[広津和郎]]作)、『次郎吉懺悔』([[鈴木泉三郎]]作)、邦楽座 (1926.5) |
* 『富岡先生』([[国木田独歩]]作、[[真山青果]]脚色)、『勝者敗者』([[広津和郎]]作)、『次郎吉懺悔』([[鈴木泉三郎]]作)、邦楽座 (1926.5) |
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* 『敵討以上』『剣』([[金子洋文]]作)、『[[清水次郎長]](荒神山)』邦楽座 (1926.6) |
* 『敵討以上』『剣』([[金子洋文]]作)、『[[清水次郎長]](荒神山)』邦楽座 (1926.6) |
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* 『仇討出世譚』(菊池寛作)、『道化役者』(中村吉蔵作)、『次郎長と石松』/ 『牛と闘ふ男』(中村吉蔵作)、『月形半平太』『時の氏神』/ 『コリオレイナス』(シェイクスピア作、坪内逍遙訳)、帝国劇場 (1926.8) |
* ﹃仇討出世譚﹄︵菊池寛作︶、﹃道化役者﹄︵中村吉蔵作︶、﹃次郎長と石松﹄/ ﹃牛と闘ふ男﹄︵中村吉蔵作︶、﹃月形半平太﹄、﹃時の氏神﹄。/ ﹃コリオレイナス﹄︵シェイクスピア作、坪内逍遙訳︶、帝国劇場 (1926.8)
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* 『安政小唄』『桶狭間』(巌谷三一作)、『父帰る』『三五大切』([[鶴屋南北]]作、松居松翁補)、邦楽座 (1926.9) |
* 『安政小唄』『桶狭間』(巌谷三一作)、『父帰る』『三五大切』([[鶴屋南北]]作、松居松翁補)、邦楽座 (1926.9) |
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* 『[[復活]]』([[レフ・トルストイ|トルストイ]]作、島村抱月脚色)、新橋演舞場 (1926.11) |
* 『[[復活]]』([[レフ・トルストイ|トルストイ]]作、島村抱月脚色)、新橋演舞場 (1926.11) |