現代詩
表示
近代詩の形式主義化、耽美化などへの反省により、20世紀初頭に生まれた詩。現象学・実存主義に影響を受けた哲学的な内容、性や暴力など近代詩が扱わなかったタブーへの切り込み、日常とかけ離れた特異な言葉遣いによる異化作用、などが特徴的である。
欧米ではイェイツやエリオットらによって創始され、日本ではWW2以後、盛んになった。その先駆としては、川路柳虹の﹁塵溜﹂が例示されることが多い。
鮎川信夫ら詩誌﹁荒地﹂を中心に集まった詩人、谷村俊太郎、天沢退二郎、などが有名である。
各詩人詩人によって、作風が大きく異なり、共通するものが少ない﹁分散性﹂が現代詩の一つの特徴だが、あえて共通要素をとりだすとしたら、私的性が強いことが挙げられる。
近代詩が社会的、共同体的な要素が強かったのに対し、戦争という大量殺戮をへた現代詩では自分にとって社会とは何か、思想とは何かという反省が表面に出、それは俳諧や短歌の写生論と結合して、日常の中に哲学的深みを見出し、それを徹底して自分というプライベートな観点から咀嚼する、という作業が行われる。
また近代詩によって既に日常言語が手垢にまみれたものになったため、現代詩は奇抜な言語表現や隠喩に頼らざるを得ず、初期でこそ形式に縛られない独創的な表現が頻出したものの、その隠喩がまた手垢にまみれるにつれ、詩人はさらに新奇な表現を求めざるをえず、現代詩は難解で尖鋭的なものになってしまった。80年代から90年代にかけての、ねじめ正一や谷川俊太郎らの﹁ナンセンス詩﹂にその傾向の頂点を見ることが出来よう。
しかし、これら現代詩の手法もまた、形式化、固定化してしまい、現代人の心情からかけ離れたものになってしまった。詩作というものは、気軽に行えるものでも、ありのままにでもなく、奇怪で独善的な﹁詩的境地﹂に自己を落とし込まないと書けないという詩の矮小化が生じてしまったのである。
私秘性、難解性から現代詩は生命力を失い、各詩人が孤立して先細るという状態が現れ、それを打破しようと集団無意識や民俗の世界に回帰しようという動き、形式的な伝統詩を復活させようという動き、インターネットを利用としたコラボレーションの動きが見られるが、その行き先は未明である。
オンライン詩の傾向としては、相対主義や競争否定の考えから、詩に優劣はなく、名人も素人も同等であるとする平等主義が強い。一方そのような考えは芸術の堕落であり、より高質な詩を目指して精進すべきだという考えは紙メディアを中心にして、熟練者を中心に根強い。
その結果として、詩壇はさらに大衆詩と芸術詩の間の亀裂を深めている。