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[[改革派教会|改革派]]の[[ジョン・グレッサム・メイチェン]]の定義によれば自由主義(リベラリズム)自体がキリスト教ではないので、穏やかな自由主義と表現せず、かろうじてキリスト教である部分霊感と非キリスト教の自由主義が区別される。ただし、部分霊感も聖書の権威を部分的にしか認めない事から、メイチェンは部分霊感も正統的なキリスト教から離れた立場と看做している。<ref>[[ジョン・グレッサム・メイチェン]]『キリスト教とは何か-リベラリズムとの対決』[[いのちのことば社]]</ref>そのため、十全霊感を信じない立場の教会を広い意味でリベラル派と総称することがある。<ref>[[宇田進]]『福音主義キリスト教と福音派』[[いのちのことば社]]</ref><ref>[[共立基督教研究所]]『宣教ハンドブック』[[いのちのことば社]]</ref> |
[[改革派教会|改革派]]の[[ジョン・グレッサム・メイチェン]]の定義によれば自由主義(リベラリズム)自体がキリスト教ではないので、穏やかな自由主義と表現せず、かろうじてキリスト教である部分霊感と非キリスト教の自由主義が区別される。ただし、部分霊感も聖書の権威を部分的にしか認めない事から、メイチェンは部分霊感も正統的なキリスト教から離れた立場と看做している。<ref>[[ジョン・グレッサム・メイチェン]]『キリスト教とは何か-リベラリズムとの対決』[[いのちのことば社]]</ref>そのため、十全霊感を信じない立場の教会を広い意味でリベラル派と総称することがある。<ref>[[宇田進]]『福音主義キリスト教と福音派』[[いのちのことば社]]</ref><ref>[[共立基督教研究所]]『宣教ハンドブック』[[いのちのことば社]]</ref> |
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[[日本キリスト教協議会]]に加盟する[[日本基督教団]]等は、[[エキュメニズム]](教会合同運動)にあり、福音主義的ではないとされている<ref>日本福音同盟『はばたく日本の福音派』p.142</ref>。 |
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===エキュメニカル派の立場=== |
===エキュメニカル派の立場=== |
2012年9月10日 (月) 08:32時点における版
福音主義・福音派
宗教改革当時
元来、キリスト教において宗教改革の立場を採る考え方を福音主義と呼んだ。21世紀初頭を代表する英国聖公会の福音派神学者であるアリスター・マクグラスによると﹁﹃福音的︵Evangelical︶﹄と言う言葉は16世紀に遡り、カトリックの思想家の中で、信仰や実践について、中世後期の教会と結びついたものよりも、より聖書的なものに立ち返ろうとする人々﹂のことを指したとされる。プロテスタントが﹁福音主義・福音派﹂と呼ばれたのは、このように教会における権威の所在を﹁聖書のみ﹂とし、神のことばに求めたからであった。近年の用法
マクグラス他によれば﹁福音派﹂は、今日では大きな4つの前提を中心としている﹂とされる。 ●聖書の権威と十分性 ●十字架上のキリストの死による贖いの独自性 ●個人的回心の必要性 ●福音伝道の必要性・正当性・緊急性 マクグラスは﹁他のすべての事柄はアディアフォラ、つまり﹃無関心に事柄﹄とみなされる傾向がある﹂としている。すなわち、上記4点以外については多様な見解・立場を受け入れるのである。[1]教派による福音主義の用語の違い
福音派の立場
福音主義と福音派
日本福音同盟初代理事長の泉田昭牧師は自由主義神学に対して福音主義、エキュメニカル派に対して福音派と定義した。福音派の自己認識は、自らは福音主義であり、福音派だというものである。[2][3] 改革派のジョン・グレッサム・メイチェンの定義によれば自由主義︵リベラリズム︶自体がキリスト教ではないので、穏やかな自由主義と表現せず、かろうじてキリスト教である部分霊感と非キリスト教の自由主義が区別される。ただし、部分霊感も聖書の権威を部分的にしか認めない事から、メイチェンは部分霊感も正統的なキリスト教から離れた立場と看做している。[4]そのため、十全霊感を信じない立場の教会を広い意味でリベラル派と総称することがある。[5][6] 日本キリスト教協議会に加盟する日本基督教団等は、エキュメニズム︵教会合同運動︶にあり、福音主義的ではないとされている[7]。エキュメニカル派の立場
日本基督教団は公式にはプロテスタント主義を掲げるが、日本基督教団内部には﹁教会派﹂と﹁社会派﹂の対立がある。 エキュメニカル派と区別される福音派においては、教会派と社会派の対立はエキュメニカル内部の問題と考えられており、教会派は福音派とみなされていない[8]。 ﹁聖書のみ﹂が宗教改革者マルティン・ルターの原理であったが、現代のプロテスタントがすべてこの原理を受け継いでいるわけではない。プロテスタントの信仰は元々福音主義の名称で語られてきた事実がある。脚注
- ^ マクグラス、アリスター・E・ 『キリスト教神学入門』 教分館、2002年。
- ^ 日本福音同盟『日本の福音派』いのちのことば社
- ^ 宇田進『現代福音主義神学』ISBN 4264020492
- ^ ジョン・グレッサム・メイチェン『キリスト教とは何か-リベラリズムとの対決』いのちのことば社
- ^ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社
- ^ 共立基督教研究所『宣教ハンドブック』いのちのことば社
- ^ 日本福音同盟『はばたく日本の福音派』p.142
- ^ 「日本基督教団をはじめとするエキュメニカルの諸教会は・・社会派と教会派に分極化して行った。それに対し、福音派は一致と協力の道を歩んで行った。」(日本福音同盟『日本の福音派-21世紀に向けて』p.39)
参考文献
- 宇田進 『福音主義キリスト教と福音派』 いのちのことば社 ISBN 9784264014232
- 宇田進 『現代福音主義神学』 いのちのことば社 ISBN 4264020492
- J・G・メイチェン 『キリスト教とは何か-リベラリズムとの対決』 ISBN 9784791201075