「積算」を編集中
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積算教育の大切さを切々と説いているのは[[大倉喜八郎]]で、明治26年の講演において、「学校出身の人たちは、なかなか良くやりまして働くのも我慢強い。また精神においてすべきことはありますが、ただ如何せん、その[[ソロバン]]上の事となりますと甚だ失礼なことながら、未熟と申さなくてはならぬと考えます。一体この世の中に処しますには正当なるということが眼目である。それは積算・ソロバンに詳しくなければならぬ。ソロバンというものは、私は土木建築上もっとも心要なものであると考える。しかしに学校出身の人たちに私が接しますに、技術の事に熱心しまして学士の名誉という方に概して金銭の勘定をものの数ともしないという頃きがどうも御座います。私が望みますのは、どうかこれを学校の科目にできることかできないことか知らぬが、ソロバンと積算上の事は大分大切に教えて銭勘定をいやしめないようにしてもらいたいとまで、自分は考えています」とし、また「入札者の身になれば、第一に価格は最低であることを要し、第二に損失のなしにとを要する。最低にして損失なしは、二つの矛盾した両点から歩み寄った一点のようなものであり、僅かな粗漏も許されない血の出るようなソロバンを立てる」と、これは一時、[[清水組]]に席を置いた[[佐野利器]]の論稿がある。(“請負業に関係しての所感”「建築世界」第244号、1930年) |
積算教育の大切さを切々と説いているのは[[大倉喜八郎]]で、明治26年の講演において、「学校出身の人たちは、なかなか良くやりまして働くのも我慢強い。また精神においてすべきことはありますが、ただ如何せん、その[[ソロバン]]上の事となりますと甚だ失礼なことながら、未熟と申さなくてはならぬと考えます。一体この世の中に処しますには正当なるということが眼目である。それは積算・ソロバンに詳しくなければならぬ。ソロバンというものは、私は土木建築上もっとも心要なものであると考える。しかしに学校出身の人たちに私が接しますに、技術の事に熱心しまして学士の名誉という方に概して金銭の勘定をものの数ともしないという頃きがどうも御座います。私が望みますのは、どうかこれを学校の科目にできることかできないことか知らぬが、ソロバンと積算上の事は大分大切に教えて銭勘定をいやしめないようにしてもらいたいとまで、自分は考えています」とし、また「入札者の身になれば、第一に価格は最低であることを要し、第二に損失のなしにとを要する。最低にして損失なしは、二つの矛盾した両点から歩み寄った一点のようなものであり、僅かな粗漏も許されない血の出るようなソロバンを立てる」と、これは一時、[[清水組]]に席を置いた[[佐野利器]]の論稿がある。(“請負業に関係しての所感”「建築世界」第244号、1930年) |
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=== 積算が必要な理由 === |
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{{出典の明記| date = 2023年4月| section = 1}} |
{{出典の明記| date = 2023年4月| section = 1}} |
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店頭などで売られている[[商品]]には「[[定価]]」「[[売価]]」などの[[価格|値段]]がついている。この値段とは、その商品を作って売るまでに要した費用([[原価]]、[[コスト]]などという。[[製造]]費、[[運搬]]費、[[保管]]費、[[広告]]費など)に、[[製造]]者や[[販売]]者が受け取る[[利益]]を上乗せして設定しているものである。 |
店頭などで売られている[[商品]]には「[[定価]]」「[[売価]]」などの[[価格|値段]]がついている。この値段とは、その商品を作って売るまでに要した費用([[原価]]、[[コスト]]などという。[[製造]]費、[[運搬]]費、[[保管]]費、[[広告]]費など)に、[[製造]]者や[[販売]]者が受け取る[[利益]]を上乗せして設定しているものである。 |