素晴らしき遺産
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素晴らしき遺産 | |
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Laughter in Paradise | |
監督 | マリオ・ザンピ |
脚本 |
ジャック・デイヴィス マイケル・パートウィー |
製作 | マリオ・ザンピ |
出演者 |
アリスティア・シム フェイ・コンプトン ガイ・ミドルトン ヒュー・グリフィス ジージ・コール オードリー・ヘプバーン |
音楽 | スタンリー・ブラック |
撮影 | ウィリアム・マクレオド |
編集 | ジウリオ・ザンピ |
製作会社 | トランスオーシャン・フィルム |
配給 |
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公開 |
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上映時間 | 93分 |
製作国 |
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言語 | 英語 |
﹃素晴らしき遺産﹄︵すばらしきいさん、原題‥Laughter in Paradise︶は、1950年に撮影され、1951年に公開されたイギリス映画。オードリー・ヘプバーンが煙草売りの娘として2シーンだけ出演している。日本未公開。
概要[編集]
イギリスでの公開は﹃若気のいたり﹄の後になったが、この作品はオードリー・ヘプバーンがイギリスに渡って最初に撮影した作品である[1][2][3]。ここでのオードリー・ヘプバーンの役は小さなものであるが、この作品が果たした役割は非常に大きい。この作品でのヘプバーンを見たパラマウントのロンドン製作部長のリチャード・ミーランドが、アメリカの本社にオードリー・ヘプバーンを﹃ローマの休日﹄での王女役に推薦したからである[1][2][4]。 また、この作品は評価も高く、1951年に英国で最大の興行収入をあげたイギリス映画になった[1][5]。1970年にはイギリスで﹃Some Will, Some Won't﹄の題名でリメイクされている[5]。 日本では劇場未公開のままで、2009年にオードリー・ヘプバーン生誕80周年としてDVDが発売されるまでは、原題どおり﹃天国の笑い声﹄として伝記本などでは紹介されている[1][2][4]。キャスト[編集]
●デニストン・ラッセル‥アリスティア・シム ●アグネス・シム‥フェイ・コンプトン ●ルシル・グレイソン‥ビアトリス・キャンベル ●ジョアン・ウエブー‥ヴェロニカ・ハースト ●サイモン・ラッセル‥ガイ・ミドルトン ●ハーバート・ラッセル‥ジョージ・コール ●サー・チャールズ・ロブソン‥A.E.マシューズ ●エリザベス・ロブソン‥ジョイス・グレンフェル ●ロジャー・ゴットフリー‥アンソニー・スティール ●ゴードン・ウェブ‥ジョン・ローリー ●シーラ・ウィルコット‥エレノア・サマーフィールド ●ミスター・ワグスタッフ‥ロナルド・アダム ●軍曹‥レスリー・デューワー ●エンディコット‥アーネスト・センジャー ●ヘンリー・ラッセル‥ヒュー・グリフィス ●ステュワート‥マイケル・バートウィー ●煙草売りの娘‥オードリー・ヘプバーン ●ベンソン‥マッケンジー・ワード ●エセル‥シャーロット・ミッチェル製作[編集]
英国のアソシエイティッド・ブリティッシュ映画社︵ABC︶で配役部長をしていたロバート・レナードは、﹃素晴らしき遺産﹄の準備でロンドンへ来ていたイタリアの監督マリオ・ザンピにオードリー・ヘプバーンを推薦した[1][2]。当時昼間の舞台﹃ソース・ピカント﹄に出ていたヘプバーンは、夜はロンドンで最高級のナイトクラブである﹁シロズ﹂でも﹃ソース・ピカント﹄のいくつかの寸劇で構成した短いレヴューを演じていた[1][2]。ロバート・レナードもシロズでヘプバーンを見て気に入っていたのだった[1][2]。シロズに見に言ったザンピと脚本のマイケル・パートウィーはヘプバーンを見て﹁僕らは息をのんだよ﹂という[2]。その後ザンピはヘプバーンに夢中になり、﹃ソース・ピカント﹄を14回も見たと言って、﹃素晴らしき遺産﹄の主役の座をヘプバーンに提供した[1][2][4]。 しかしヘプバーンはショーの短期巡業公演にサインをしたところだと言って断った[1][2][4]。当時ヘプバーンが付き合っていたマルセル・ル・ボンが計画した﹃ソース・ピカント﹄の仲間たちと新しいキャバレー・ショーをやる予定だったからだった[1][2][4]。ところが巡業へ出ようとした矢先に興行が中止、マルセル・ル・ボンは責任を感じてひどく落ち込み、アメリカ行きの船に乗って逃げてしまった[1][2][4]。 ショーの頓挫後、ヘプバーンは急いでザンピの所へ行って、﹁あの役がまだ決まってなくて、私が断ったことをひどく怒ってなければ、ぜひやらせていただきたいんですが。﹂と言った[1][2]。ザンピは怒ってはおらず、なぜ決定をもう少し延ばさなかったのか悔やんだが、すでにその役はビアトリス・キャンベルに決まった後だった[2][1][4]。﹁残っているのは端役の煙草売りだけだが、やってみるかね?﹂とザンピは訊いて、ヘプバーンはぜひやりたいと答えて決定した[1][2]。たった1日で済む仕事であった[2]。 ﹁マリオ・ザンピが特別な新人を発見したことに、みんな気づいていた﹂と共演者のジョージ・コールは後で言った[2]。またエレノア・サマーフィールドも﹁パインウッド撮影所を興奮が駆け抜けたわ。オードリーのシーンの編集用プリントを見た人たちは、新しいスターがやって来たと確信したのよ﹂と付け加えた[2]。 マリオ・ザンピは1951年1月号の映画週刊誌﹁シネマ﹂で﹁彼女はいつか大物スターになるだろう﹂と語っている[4]。 また、端役にもかかわらず、ヘプバーンは煙草売りの衣装でイギリスの﹁フィルムレビュー﹂誌で公開前の1951年3月号の表紙を単独で飾っている[6][7]。脚注[編集]
(一)^ abcdefghijklmnバリー・パリス﹃オードリー・ヘプバーン 上巻﹄集英社、1998年5月4日初版発行、111-117,139頁。
(二)^ abcdefghijklmnopqイアン・ウッドワード﹃オードリーの愛と真実﹄日本文芸社、1993年12月25日初版発行、90-94,118頁。
(三)^ 日本コロムビアや20世紀フォックスからDVDが発売され、BS11でも放送された﹃想い出のオードリー・ヘプバーン﹄でヘプバーン自身が︵英国での︶最初の作品だと語っている。
(四)^ abcdefghアレグザンダー・ウォーカー﹃オードリー リアル・ストーリー﹄株式会社アルファベータ、2003年1月20日初版発行、72-73,91頁。
(五)^ abジェリー・バーミリー﹃スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン﹄シンコー・ミュージック、1997年6月13日初版発行、70頁。
(六)^ ﹃マイ ファニーフェイス/オードリー・ヘプバーン﹄p4. 近代映画社. (2009年12月15日初版発行)
(七)^ ﹃AUDREY HEPBURN INTERNATIONAL COVER GIRL﹄p21. TITAN BOOKS. (2009年10月初版発行)