「美術史」の版間の差分
10行目: | 10行目: | ||
しかし芸術家や作品を明確な歴史意識のもとに記述する試みが登場するのは、一般にルネサンス期、とくに[[ヴァザーリ]]の﹃芸術家列伝︵[[画家・彫刻家・建築家列伝]]︶﹄ (1550) においてとされる。この著作は﹁列伝﹂︵芸術家の伝記的情報の集成︶の形式を取りながら、全体を時代の流れに沿って3部に分けて、芸術の歴史的発展をも同時に叙述している。それぞれの時代に特有の歴史的枠組みが想定されており、この点で、最初の体系的な︿美術史﹀とも呼ばれる。 <ref>伊藤拓真﹁ヴァザーリの歴史記述の内と外:﹃芸術家列伝﹄の地理的構成--第1部・2部を中心として﹂︵﹃西洋美術研究﹄13号, pp. 18-43, 2007)</ref>ヴァザーリのこの手法および﹁列伝﹂の形式は、オランダの[[カレル・ヴァン・マンデル]]﹃画家の書﹄などに受け継がれた。
|
しかし芸術家や作品を明確な歴史意識のもとに記述する試みが登場するのは、一般にルネサンス期、とくに[[ヴァザーリ]]の﹃芸術家列伝︵[[画家・彫刻家・建築家列伝]]︶﹄ (1550) においてとされる。この著作は﹁列伝﹂︵芸術家の伝記的情報の集成︶の形式を取りながら、全体を時代の流れに沿って3部に分けて、芸術の歴史的発展をも同時に叙述している。それぞれの時代に特有の歴史的枠組みが想定されており、この点で、最初の体系的な︿美術史﹀とも呼ばれる。 <ref>伊藤拓真﹁ヴァザーリの歴史記述の内と外:﹃芸術家列伝﹄の地理的構成--第1部・2部を中心として﹂︵﹃西洋美術研究﹄13号, pp. 18-43, 2007)</ref>ヴァザーリのこの手法および﹁列伝﹂の形式は、オランダの[[カレル・ヴァン・マンデル]]﹃画家の書﹄などに受け継がれた。
|
||
===18世紀〜19世紀後半 - 様式論とイコノグラフィ |
===18世紀〜19世紀後半 - 様式論とイコノグラフィ=== |
||
美術史が明確な方法意識と体系を持った学問として成立するのは、18世紀に入ってからである。[[ヴィンケルマン]]は、『古代美術史』(1764)や『ギリシア芸術模倣論』(1755)において、エジプトやローマなど地域・時代ごとに整理された歴史区分を示し、またそれぞれの区分のなかで様式が展開してゆくとする「様式論」に基づいた美術史像を提出した。 <ref>高階秀爾「美術史と美学」(今道友信『講座美学:5 美学の将来』東京大学出版会、1985, pp. 217-225)</ref> |
美術史が明確な方法意識と体系を持った学問として成立するのは、18世紀に入ってからである。[[ヴィンケルマン]]は、『古代美術史』(1764)や『ギリシア芸術模倣論』(1755)において、エジプトやローマなど地域・時代ごとに整理された歴史区分を示し、またそれぞれの区分のなかで様式が展開してゆくとする「様式論」に基づいた美術史像を提出した。 <ref>高階秀爾「美術史と美学」(今道友信『講座美学:5 美学の将来』東京大学出版会、1985, pp. 217-225)</ref> |
||
16行目: | 16行目: | ||
19世紀後半になると、作品の鑑定技術が長足の進歩をとげ、独立した学問としての美術史の基礎が築かれる。とくにイタリアの[[モレッリ]]は、個々の作品の細部、たとえば絵画作品の中に描かれる人物の手足や耳の形といった部分に画家の癖・特徴が現れると考え、それを広い範囲で比較対照することで、署名のない作品の作者の特定や、偽作のふるいわけを行うための技術を体系化しようと試みた。その集大成﹃イタリア絵画の芸術批判的研究﹄︵1890-93︶では主要な美術館に所蔵される多くの絵画作品を検証してみせ、当時の美術研究者に大きな影響を与える<ref>カルロ・ギンズブルグ﹃神話・寓意・徴候﹄竹山博英訳、せりか書房、1988</ref>。
|
19世紀後半になると、作品の鑑定技術が長足の進歩をとげ、独立した学問としての美術史の基礎が築かれる。とくにイタリアの[[モレッリ]]は、個々の作品の細部、たとえば絵画作品の中に描かれる人物の手足や耳の形といった部分に画家の癖・特徴が現れると考え、それを広い範囲で比較対照することで、署名のない作品の作者の特定や、偽作のふるいわけを行うための技術を体系化しようと試みた。その集大成﹃イタリア絵画の芸術批判的研究﹄︵1890-93︶では主要な美術館に所蔵される多くの絵画作品を検証してみせ、当時の美術研究者に大きな影響を与える<ref>カルロ・ギンズブルグ﹃神話・寓意・徴候﹄竹山博英訳、せりか書房、1988</ref>。
|
||
この視覚的データにもとづく厳密な形態研究が[[バーナード・ベレンソン]]や[[フリートレンダー]]といった研究者に継承されてゆく一方で、19世紀末には写真図版が普及して作品研究に活用されるようになる。また19世紀には、ルネサンス期から肖像画論として継続していた「イコノグラフィ |
この視覚的データにもとづく厳密な形態研究が[[バーナード・ベレンソン]]や[[フリートレンダー]]といった研究者に継承されてゆく一方で、19世紀末には写真図版が普及して作品研究に活用されるようになる。また19世紀には、ルネサンス期から肖像画論として継続していた「イコノグラフィ([[図像学]])」も、キリスト教考古学の発展とともに美術作品の寓意的・象徴的形象を読み解くための方法論として確立されていく。 |
||
===20世紀前半 - イコノロジー=== |
===20世紀前半 - イコノロジー=== |
2012年11月1日 (木) 07:20時点における版
歴史的展開
16世紀以前 - 旅行記と﹁列伝﹂
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/22/Giorgio_Vasari_Selbstportr%C3%A4t.jpg/220px-Giorgio_Vasari_Selbstportr%C3%A4t.jpg)
18世紀〜19世紀後半 - 様式論とイコノグラフィ
美術史が明確な方法意識と体系を持った学問として成立するのは、18世紀に入ってからである。ヴィンケルマンは、﹃古代美術史﹄(1764︶や﹃ギリシア芸術模倣論﹄(1755︶において、エジプトやローマなど地域・時代ごとに整理された歴史区分を示し、またそれぞれの区分のなかで様式が展開してゆくとする﹁様式論﹂に基づいた美術史像を提出した。 [4] 19世紀後半になると、作品の鑑定技術が長足の進歩をとげ、独立した学問としての美術史の基礎が築かれる。とくにイタリアのモレッリは、個々の作品の細部、たとえば絵画作品の中に描かれる人物の手足や耳の形といった部分に画家の癖・特徴が現れると考え、それを広い範囲で比較対照することで、署名のない作品の作者の特定や、偽作のふるいわけを行うための技術を体系化しようと試みた。その集大成﹃イタリア絵画の芸術批判的研究﹄︵1890-93︶では主要な美術館に所蔵される多くの絵画作品を検証してみせ、当時の美術研究者に大きな影響を与える[5]。 この視覚的データにもとづく厳密な形態研究がバーナード・ベレンソンやフリートレンダーといった研究者に継承されてゆく一方で、19世紀末には写真図版が普及して作品研究に活用されるようになる。また19世紀には、ルネサンス期から肖像画論として継続していた﹁イコノグラフィ︵図像学︶﹂も、キリスト教考古学の発展とともに美術作品の寓意的・象徴的形象を読み解くための方法論として確立されていく。20世紀前半 - イコノロジー
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c4/Aby_Warburg.jpg/220px-Aby_Warburg.jpg)
美術史批判と方法論の多様化
様式論とイコノロジーを中心として、分析のための視点や技術を深化させてきた美術史学は、20世紀後半になって大きな転換点を迎えた。とりわけ﹁巨匠による傑作﹂が、主題や表現様式によって時代を画する﹁カノン︵=規範的作品︶﹂として叙述の中心を占めてきたことに対しては、厳しい批判が行われるようになった[7] 。 また﹁傑作﹂﹁歴史﹂といった概念が西欧世界において規定されており、したがって﹁美術史﹂も西欧の視点に大きく偏っていること、男性中心の社会や文化が生み出した価値観が作品分析に大きく影響していることなどが批判され、女性やマイノリティ、非西欧世界、労働者階級といった観点からのアプローチが積極的に追求されるようになった[8]。 こうした美術史再編の動向は、旧来の美術史の克服をめざすものとして﹁ニュー・アート・ヒストリー﹂と呼ばれる。T・J・クラークやマイケル・バクサンドール、スヴェトラーナ・アルパースといった研究者が主導したこの潮流の中で、﹁美術﹂の範囲そのものも拡大する。 伝統的なアカデミズムの理論に沿った絵画や彫刻などの﹁ハイカルチャー (en: High culture﹂を中心にしてきたことが批判され、たとえば映画や写真、ビデオといった新しい視覚表現が新たに研究対象に加わったため、﹁美術史﹂に代えて、広く視覚的な現象全般を対象にする﹁視覚文化研究﹂︵Visual Study または en:Visual Culture︶という名称も多く用いられるようになった。 このように旧来の美術史の枠組みそのものの問い直しが活発に進められ、学問の基盤となる概念や研究目的、その方法論と分析視覚は、現在でも多様化を続けている[9]。美術史の制度
●美術史家 近年では、美術史家を専門領域でさらに細分化し、﹁写真史家﹂﹁建築史家﹂などという呼び方も用いられる。写真評論家、建築評論家も参照[10]。- 専門誌、学会
- 教育研究機関
- 美術館と美術展
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
美術史の方法論
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
日本の美術史学
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
脚注
- ^ 「美術史」(『日本国語大辞典』第2版、小学館、2002);"Art history" (Grove Dictionary of Art, Oxford UP, 1996)
- ^ 高階秀爾「美術史と美学」(今道友信『講座美学:5 美学の将来』東京大学出版会、1985, pp. 217-225)
- ^ 伊藤拓真「ヴァザーリの歴史記述の内と外:『芸術家列伝』の地理的構成--第1部・2部を中心として」(『西洋美術研究』13号, pp. 18-43, 2007)
- ^ 高階秀爾「美術史と美学」(今道友信『講座美学:5 美学の将来』東京大学出版会、1985, pp. 217-225)
- ^ カルロ・ギンズブルグ『神話・寓意・徴候』竹山博英訳、せりか書房、1988
- ^ 神林恒道「様式史としての美術史」(神林恒道ほか編『芸術学ハンドブック』勁草書房、1989, pp. 22-27)
- ^ Jonathan Harris, Art History: The Key Concepts (London: Routledge, 2006, pp. 45-46)
- ^ ハンス・ベルティング『美術史の終焉?』元木幸一訳、勁草書房, 1991. [原著 1895年、英語版1987年]
- ^ 荒川裕子「"『美術史』におけるヒストリオグラフィーをめぐって"」(『法政大学キャリアデザイン学部紀要』2011年3月, pp. 69-84
- ^ 欧米の美術史家については、"Dictionary of Art Historians" を参照
文献リスト
- パノフスキー「イコノグラフィとイコノロジー」(中森義宗ほか訳『視覚芸術の意味』岩崎美術社、1971, pp. 37-66)
- 神林恒道ほか編『芸術学ハンドブック』勁草書房、1989.
- ウード・クルターマン『芸術論の歴史』神林恒道ほか訳、勁草書房、1993.
- 若桑みどり『イメージを読む 美術史入門』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2005. [親本 1993]
- 三浦篤「西洋美術史学の方法と歴史」(高階秀爾・三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館、1997, pp. 194-217).
- ロバート・S・ネルソンほか編『美術史を語る言葉:22の理論と実践』秋庭史典ほか訳、ブリュッケ、2002.
- V・ハイドマイナー『美術史の歴史』吉城寺尚子ほか訳、ブリュッケ、2003.
- ダナ・アーノルド『美術史 〈1冊でわかる〉シリーズ』鈴木杜幾子訳、岩波書店, 2006.
- 永井隆則編『フランス近代美術史の現在:ニュー・アート・ヒストリー以後の視座から』三元社, 2007.
外部リンク
- "美学美術史学関係のリンク集"(関西学院大学・加藤哲弘)
- "木村三郎ゼミ:美術史・図像学・アートドキュメンテーション"(日本大学・木村三郎)
- "美術史リンク集"(日本大学・安室加奈子)
- "Dictionary of Art Historians" (Lee R. Sorensen et al., Duke University)