「義経記」を編集中
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{{Otheruses|軍記物語「ぎけいき」|バンプレストのコンピュータゲーム「よしつねき」|義経紀}} |
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{{Redirect|今剣|架空の日本刀|日本刀一覧#架空}} |
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なお、「源義経(みなもとのよしつね)」の読みは[[訓読み]]で「よしつね」であるが、本書では[[音読み]]で「ぎけいき」と読む。[[森銑三]]は中世・近世期には個人に対する敬意を表す意味で人名を音読みする習慣があったことを指摘し、同様の事例には[[織田信長]]の半生を記した『[[信長公記|信長記]](信長公記、しんちょうき)』の例を挙げている。 |
なお、「源義経(みなもとのよしつね)」の読みは[[訓読み]]で「よしつね」であるが、本書では[[音読み]]で「ぎけいき」と読む。[[森銑三]]は中世・近世期には個人に対する敬意を表す意味で人名を音読みする習慣があったことを指摘し、同様の事例には[[織田信長]]の半生を記した『[[信長公記|信長記]](信長公記、しんちょうき)』の例を挙げている。 |
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== 概説 == |
== 概説 == |
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国文学者の |
国文学者の岡見正雄は本作が軍記物として『[[平家物語]]』に基づいた上で生い立ちと没落の書き加えられた、[[室町時代]]の要素が色濃い義経が描かれていると述べている<ref name=okami_p5>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 5.</ref>。 |
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[[民俗学者]]の[[柳田國男]]は |
[[民俗学者]]の[[柳田國男]]は一部の描写の細かさや義経一行の不自然な回り道から、本作が各部分が別の地域の異なる作者たちによって記されたことや、[[長楽寺 (太田市)|長楽寺]]など[[鎌倉]]、[[中仙道]]、[[奥州街道]]付近[[時宗]]の寺院の関係者が物語の普及に関与した可能性を指摘している<ref>{{Citation|和書|last=柳田|first=国男|title=義経記|journal=柳田國夫全集|publisher=筑摩書房|volume=33|edition=初|date=2005-03-25|page=345|isbn=4-480-75093-2|ncid=BA32787015}}</ref>。
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== あらすじ == |
== あらすじ == |
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{{Wikisource}} |
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{{節スタブ|1=書かれていない節について|date=2019年10月}} |
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=== 第一巻 === |
=== 第一巻 === |
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;義朝都落の事 |
;義朝都落の事 |
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:義経の父[[源義朝|義朝]]は[[平治]]元年︵[[1160年]]︶[[12月27日]]に[[平治の乱]]にて[[藤原信頼]]側に属すも、 |
:義経の父[[源義朝|義朝]]は[[平治]]元年︵[[1160年]]︶[[12月27日]]に[[平治の乱]]にて[[藤原信頼]]側に属すも、京での戦に敗北し、先祖代々仕えてきた家来たちを失い、残り20数騎で成人していた三人の子供を連れて東国へ落ち延びる<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 36.</ref>。嫡子の[[源義平|義平]]は[[越前]]にて北国の加勢を得ようとするも失敗し、[[近江]]の[[石山寺]]に籠城するも平家の追手を差し向けられ、京都の[[六条河原]]にて斬り殺される<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、pp. 36-37.</ref>。次男の[[源朝長|朝長]](16)も山賊の矢で膝を射られ、[[美濃]]の[[青墓宿]]にて没する<ref name=okami_p37>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 37.</ref>。義朝はそれ以外にも多くの子供を儲けていて、熱田大宮司の娘[[由良御前]]との間に[[源頼朝|頼朝]]が、[[九条家|九條院]]の[[常盤御前]]は7歳の今若、5歳の乙若、その年に生まれたばかりの牛若がいた<ref name=okami_p37/>。
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;常盤都落の事 |
;常盤都落の事 |
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=== 第八巻 === |
=== 第八巻 === |
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;判官御自害の事 |
;判官御自害の事 |
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[[十郎権頭兼房]]に促され、義経はいまの劔という刃長6[[寸]]5[[分]]の[[短刀]]を用いて左胸下部を刺し貫き、内臓を抉りだした後に衣服の袖で拭う<ref name=okami_p383>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 383.</ref>。 |
[[十郎権頭兼房]]に促され、義経はいまの劔という刃長6[[寸]]5[[分]]の[[短刀]]を用いて左胸下部を刺し貫き、内臓を抉りだした後に衣服の袖で拭う<ref name=okami_p383>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 383.</ref>。北の方も敵の近づく中嘆きながらも自害し<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、pp. 384-385.</ref>、5歳の亀鶴御前と生後7日の姫君を兼房は切り殺す<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、pp. 385-386.</ref>。義経は北の方の亡骸の手を取り、兼房に宿所を火にかけるよう命じると絶命する<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 386.</ref>。
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== 関連画像 == |
== 関連画像 == |
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ファイル:YoshikazuTengu.jpg|義経鞍馬山之図。鞍馬山での天狗との修行([[月岡芳年]]画) |
ファイル:YoshikazuTengu.jpg|義経鞍馬山之図。鞍馬山での天狗との修行([[月岡芳年]]画) |
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ファイル:Gojo Bridge.jpg|義経記五条橋之図。五条の大橋で戦う義経と弁慶(月岡芳年画) |
ファイル:Gojo Bridge.jpg|義経記五条橋之図。五条の大橋で戦う義経と弁慶(月岡芳年画) |
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ファイル:Taira ghost.jpg|[[大物浦]]平家之亡霊。平家の亡霊に |
ファイル:Taira ghost.jpg|[[大物浦]]平家之亡霊。平家の亡霊に負われる義経一行([[歌川国芳]]画) |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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<!-- 実際に参考にした文献一覧︵本文中の追加した情報の後に脚注を導入し文献参照ページを示して、実際に参考にした出典︿書籍、論文、資料やウェブページなど﹀のみを列挙して下さい。さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献は、﹁関連文献﹂などとセクション名を分けて区別して下さい。︶ -->
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<!-- 実際に参考にした文献一覧︵本文中の追加した情報の後に脚注を導入し文献参照ページを示して、実際に参考にした出典︿書籍、論文、資料やウェブページなど﹀のみを列挙して下さい。さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献は、﹁関連文献﹂などとセクション名を分けて区別して下さい。︶ -->
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*{{Citation|和書|author=岡見正雄(校注)|title=義経記|publisher=岩波書店|edition=新装|date=1992-10|series=日本古典文学大系 歴史文学シリーズ|isbn=4000045008|ncid=BN08465262|ref=岡見 1992}} |
*{{Citation|和書|author=[[岡見正雄]](校注)|title=義経記|publisher=岩波書店|edition=新装|date=1992-10-07|series=日本古典文学大系 歴史文学シリーズ|isbn=4000045008|ncid=BN08465262|ref=岡見 1992}} |
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== 関連文献 == |
== 関連文献 == |
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<!-- 実際には参考にしていないが、さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献︵書籍、論文、資料、ウェブページなど︶一覧︵実際に参考にしているのではないので過多にならないように、多すぎたら除去。宣伝はご遠慮下さい、宣伝は除去。実際に参考にした文献は脚注を導入し﹁参考文献﹂節へ追加して下さい。︶ -->
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<!-- 実際には参考にしていないが、さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献︵書籍、論文、資料、ウェブページなど︶一覧︵実際に参考にしているのではないので過多にならないように、多すぎたら除去。宣伝はご遠慮下さい、宣伝は除去。実際に参考にした文献は脚注を導入し﹁参考文献﹂節へ追加して下さい。︶ -->
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* [[岡見正雄]]校注『[[日本古典文学大系]]37 義経記』 [[岩波書店]]、初版1959年 |
* [[岡見正雄]]校注 『[[日本古典文学大系]]37 義経記』 [[岩波書店]]、初版1959年。 |
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* [[梶原正昭]]校注・訳『[[日本古典文学全集]]31 義経記』 小学館、初版1971年 |
* [[梶原正昭]]校注・訳 『[[日本古典文学全集]]31 義経記』 小学館、初版1971年。 |
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**『新編 日本古典文学全集62 義経記』[[小学館]]、2000年 |
** 『新編 日本古典文学全集62 義経記』 [[小学館]]、2000年。 |
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* [[佐藤謙三]] |
* [[佐藤謙三]]訳 『義経記』(全2巻) [[平凡社東洋文庫]]、1979年、ワイド版2003年。 |
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* [[高木卓]]訳 『現代語訳 義経記』 |
* [[高木卓]]訳 『現代語訳 義経記』 [[河出文庫]] 2004年。 |
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** 元版『古典日本文学全集17 義経記 [[曽我物語]]』 |
** 元版 『古典日本文学全集17 義経記 [[曽我物語]]』 [[筑摩書房]] 1966年。 |
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* [[角川源義]]、高田実 |
* [[角川源義]]、高田実 『源義経』 角川新書 1966年、[[講談社学術文庫]] 2005年。 |
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* [[高橋富雄]] |
* [[高橋富雄]] 『義経伝説 歴史の虚実』 [[中公新書]]、1966年。 |
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* [[五味文彦]] |
* [[五味文彦]] 『[[源義経]]』 [[岩波新書]]、2004年。 |
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* 五味文彦 |
* 五味文彦 『物語の舞台を歩く 義経記』 [[山川出版社]] 2005年。 |
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* 菱沼一憲 |
* 菱沼一憲 『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』 [[角川学芸出版]][角川選書] 2005年。 |
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* [[大塚ひかり]]『大塚ひかりの義経物語』 |
* [[大塚ひかり]]『大塚ひかりの義経物語』 [[角川ソフィア文庫]] 2004年。 |
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* 西津弘美訳、西沢正史監修 『義経記 現代語で読む歴史文学』 |
* 西津弘美訳、西沢正史監修 『義経記 現代語で読む歴史文学』 [[勉誠出版]] 2004年。 |
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* 近藤好和 |
* 近藤好和 『源義経 後代の佳名を貽す者か』 [[ミネルヴァ書房]]〈ミネルヴァ日本評伝選〉 2005年 |
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* 藪本勝治 |
* 藪本勝治 『義経記 権威と逸脱の力学』 [[和泉書院]] 2015年 |
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== 関連項目 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www. |
* [http://www.j-texts.com/sheet/kgikei.html 義経記 - J-TEXTS] |
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* [ |
* [http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri05/ri05_00482/index.html 義経記. 巻第1-8 - 早稲田大学図書館] |
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[[Category:軍記物語]] |
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