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== 参考文献 == |
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* 河村常雄 『河村常雄の家元探訪』読売新聞、2007年。 |
* 河村常雄 『河村常雄の家元探訪』読売新聞、2007年。 |
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* 柴崎四郎 ﹃通史花柳流 花の流れ一世紀﹄59頁、96頁、136-138頁。 自由国民社、1985年。ISBN 4-426- |
* 柴崎四郎 ﹃通史花柳流 花の流れ一世紀﹄59頁、96頁、136-138頁。 自由国民社、1985年。ISBN 978-4-426-50018-4
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* 花柳芳次郎(5代目) 『舞の道 花柳芳次郎自伝』阪急コミュニケーションズ、2007年。ISBN 4-484-07208-1 |
* 花柳芳次郎(5代目) 『舞の道 花柳芳次郎自伝』阪急コミュニケーションズ、2007年。ISBN 978-4-484-07208-1 |
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* 藤田洋『日本舞踊ハンドブック』三省堂、2001年、ISBN 4-385-41046-1 |
* 藤田洋『日本舞踊ハンドブック』三省堂、2001年、ISBN 4-385-41046-1 |
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* 藤田洋『日本舞踊ハンドブック改訂版』三省堂、2010年、ISBN 4-385-41066-1 |
* 藤田洋『日本舞踊ハンドブック改訂版』三省堂、2010年、ISBN 978-4-385-41066-1 |
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2011年7月16日 (土) 00:55時点における版
花柳 芳次郎︵はなやぎ よしじろう︶は、日本舞踊・花柳流における名跡のひとつである。花柳流を創流した初代花柳壽輔が、壽輔を名乗る前の名前に由来し、花柳流においては花柳壽輔に次ぐ由緒ある名跡とされる。
2代目芳次郎は初代壽輔の長男であり、瀬川路之丞の名で歌舞伎役者となったが、1873年に29歳で病死する。初代壽輔は養子を迎え3代目芳次郎を継がせたが、この養子とは1904年頃に離縁し、芳次郎の名跡は初代壽輔の養女花柳ツルが預かることとなった。
名跡が継がれたのは1926年で、ツルの養子である花柳幾太郎が4代目芳次郎となった。4代目花柳芳次郎︵1903年5月18日 - 1971年9月6日︶は旧姓を金子といい、1909年に6歳で入門し、翌1910年にツルの養子となった人物である。当時の花柳流家元2世花柳壽輔が東京にある
中、4代目芳次郎は襲名とともに分家を立て、当時花柳流の勢力が弱かった関西に強固な地盤を築いた。その後1967年に、長男の寛に芳次郎の名跡を継ぐとともに花柳芳瞠︵はなやぎ ほうどう︶を名乗った。
5代目芳次郎は、襲名前から本名の花柳寛の名で東宝歌舞伎などの芝居やテレビドラマに出演しており、また振付師としても宝塚歌劇団などで振付をしていた。襲名後は家元3世花柳壽輔の後見を2代目花柳壽楽とともに務め、流派を支えた。芳次郎は2007年に一線を退くと共に名跡を譲り、自らは花柳寛應︵はなやぎ かんおう︶に改名する予定であった。しかし寛應襲名披露の直前に3世壽輔が急逝したため、4世壽輔を継ぎ家元となった。6代目は5代目芳次郎︵4世壽輔︶の孫、花柳創右が襲名している。