「花柳芳次郎」の版間の差分
m編集の要約なし |
|||
12行目: | 12行目: | ||
==二代目== |
==二代目== |
||
初代の長男([[弘化]]2 |
初代の長男([[弘化]]2年([[1845年]]) - [[明治]]6年([[1873年]])[[8月29日]])。歌舞伎役者瀬川路之丞として著名だったが、29歳で没す。 |
||
==三代目== |
==三代目== |
||
初代の養子︵明治3 |
初代の養子︵明治3年︵[[1870年]]︶[[10月]] -?︶。明治3年深川大工町にて、[[銀座 (歴史)#銀座の組織|銀座役人]]福島惣右衛門の三男・惣吉として生まれる<ref name="kaneko">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/915257/35 ﹃踊の秘訣 : 花柳界名家﹄] 兼子伴雨 編 (大屋書房, 1912) p34</ref>。父親が転業し、日本橋区元大阪町︵現・日本橋人形町1丁目辺り<ref>[http://www.seishintan.co.jp/column006.html 清心丹・創業の地 ~江戸期の日本橋・元大坂町]清心丹</ref>︶にて茶会席﹁浪速屋﹂を開店、9歳のとき客前で踊りの手振りなどをしていたところ、初代花柳寿輔から誘いがあり、養子となって寿輔のもとで舞踏家として育つ<ref name="kaneko"/>。初代没後養子縁組解消。
|
||
==四代目== |
==四代目== |
||
花柳つる︵初代寿輔の養女︶の養子︵明治36 |
花柳つる︵初代寿輔の養女︶の養子︵明治36年︵[[1903年]]︶[[5月18日]] - [[昭和]]46年︵[[1971年]]︶[[9月6日]]︶<ref name="kotobank"/>。本名は花柳幾太郎。旧姓金子<ref name="kotobank">[https://kotobank.jp/word/%E8%8A%B1%E6%9F%B3%E8%8A%B3%E6%AC%A1%E9%83%8E%284%E4%BB%A3%29-1101775 花柳芳次郎(4代) はなやぎ よしじろう]日本人名大辞典+Plus</ref>。
|
||
東京日本橋の生まれ、幼くして初代花柳徳太郎︵明治11年生まれ。初代寿輔の親戚で養子<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/915257/42 ﹃踊の秘訣 : 花柳界名家﹄] |
東京日本橋の生まれ、幼くして初代花柳徳太郎︵明治11年生まれ。初代寿輔の親戚で養子<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/915257/42 ﹃踊の秘訣 : 花柳界名家﹄] 兼子伴雨 編 (大屋書房, 1912) p48</ref>︶の弟子となり、[[1927年]]に芳次郎を襲名。[[1967年]]に花柳芳瞠を名乗った。戦時中以降活動の拠点が上方であった。著作に﹃夙川夜話﹄<ref name="kotobank"/>。
|
||
==五代目== |
==五代目== |
||
四代目芳次郎の長男・花柳寛(1931-)。1967年に五代目芳次郎襲名、2007年に[[花柳壽輔 (4世)|四代目花柳壽輔]]となる。 |
四代目芳次郎の長男・花柳寛(1931年-)。1967年に五代目芳次郎襲名、2007年に[[花柳壽輔 (4世)|四代目花柳壽輔]]となる。 |
||
==六代目== |
==六代目== |
||
五代目芳次郎の妹の孫・花柳創右(1992-)。2007年に[[花柳芳次郎 (6代目)]]を襲名、2016年に五代目花柳壽輔となる。 |
五代目芳次郎の妹の孫・花柳創右(1992年-)。2007年に[[花柳芳次郎 (6代目)]]を襲名、2016年に五代目花柳壽輔となる。 |
||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
* 河村常雄 『河村常雄の家元探訪』読売新聞、2007年。 |
* 河村常雄 『河村常雄の家元探訪』読売新聞、2007年。 |
||
* 柴崎四郎 ﹃通史花柳流 花の流れ一世紀﹄59頁、96頁、136-138頁。 自由国民社、1985年。ISBN 978-4-426-50018-4
|
* 柴崎四郎 ﹃通史花柳流 花の流れ一世紀﹄59頁、96頁、136-138頁。 自由国民社、1985年。ISBN 978-4-426-50018-4
|
||
* 花柳芳次郎(5代目 |
* 花柳芳次郎(5代目) 『舞の道 花柳芳次郎自伝』阪急コミュニケーションズ、2007年。ISBN 978-4-484-07208-1 |
||
* 藤田洋『日本舞踊ハンドブック』三省堂、2001年、ISBN 4-385-41046-1 |
* 藤田洋『日本舞踊ハンドブック』三省堂、2001年、ISBN 4-385-41046-1 |
||
* 藤田洋『日本舞踊ハンドブック改訂版』三省堂、2010年、ISBN 978-4-385-41066-1 |
* 藤田洋『日本舞踊ハンドブック改訂版』三省堂、2010年、ISBN 978-4-385-41066-1 |
2017年6月22日 (木) 14:24時点における版
![]() |
初代
のちの初代花柳壽輔(1821-1903)。吉原の出であることから︵﹁よし﹂を取り︶芳次郎を芸名とす[1]。二代目
初代の長男︵弘化2年︵1845年︶ - 明治6年︵1873年︶8月29日︶。歌舞伎役者瀬川路之丞として著名だったが、29歳で没す。三代目
初代の養子︵明治3年︵1870年︶10月 -?︶。明治3年深川大工町にて、銀座役人福島惣右衛門の三男・惣吉として生まれる[2]。父親が転業し、日本橋区元大阪町︵現・日本橋人形町1丁目辺り[3]︶にて茶会席﹁浪速屋﹂を開店、9歳のとき客前で踊りの手振りなどをしていたところ、初代花柳寿輔から誘いがあり、養子となって寿輔のもとで舞踏家として育つ[2]。初代没後養子縁組解消。四代目
花柳つる︵初代寿輔の養女︶の養子︵明治36年︵1903年︶5月18日 - 昭和46年︵1971年︶9月6日︶[4]。本名は花柳幾太郎。旧姓金子[4]。 東京日本橋の生まれ、幼くして初代花柳徳太郎︵明治11年生まれ。初代寿輔の親戚で養子[5]︶の弟子となり、1927年に芳次郎を襲名。1967年に花柳芳瞠を名乗った。戦時中以降活動の拠点が上方であった。著作に﹃夙川夜話﹄[4]。五代目
四代目芳次郎の長男・花柳寛︵1931年-︶。1967年に五代目芳次郎襲名、2007年に四代目花柳壽輔となる。六代目
五代目芳次郎の妹の孫・花柳創右︵1992年-︶。2007年に花柳芳次郎 (6代目)を襲名、2016年に五代目花柳壽輔となる。参考文献
●河村常雄 ﹃河村常雄の家元探訪﹄読売新聞、2007年。 ●柴崎四郎 ﹃通史花柳流 花の流れ一世紀﹄59頁、96頁、136-138頁。 自由国民社、1985年。ISBN 978-4-426-50018-4 ●花柳芳次郎︵5代目︶ ﹃舞の道 花柳芳次郎自伝﹄阪急コミュニケーションズ、2007年。ISBN 978-4-484-07208-1 ●藤田洋﹃日本舞踊ハンドブック﹄三省堂、2001年、ISBN 4-385-41046-1 ●藤田洋﹃日本舞踊ハンドブック改訂版﹄三省堂、2010年、ISBN 978-4-385-41066-1脚注
- ^ 『踊の秘訣 : 花柳界名家』兼子伴雨 編 (大屋書房, 1912) p41
- ^ a b 『踊の秘訣 : 花柳界名家』 兼子伴雨 編 (大屋書房, 1912) p34
- ^ 清心丹・創業の地 ~江戸期の日本橋・元大坂町清心丹
- ^ a b c 花柳芳次郎(4代) はなやぎ よしじろう日本人名大辞典+Plus
- ^ 『踊の秘訣 : 花柳界名家』 兼子伴雨 編 (大屋書房, 1912) p48
関連項目
外部リンク
- 日本舞踊 花柳流 公式ホームページ - 公式ホームページ
- 六代目 花柳 芳次郎オフィシャルサイト - 公式サイト