「足利安王丸」を編集中
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父の持氏が[[室町幕府]][[征夷大将軍|将軍]][[足利義教]]に反抗した末に、[[永享]]11年︵[[1439年]]︶に自害に追い込まれる︵[[永享の乱]]︶と、兄の[[足利春王丸|春王丸]]とともに[[下野国]][[日光山]]に潜伏する。後に密かに[[結城氏朝]]に居城[[結城城]]に匿われ、義教が自身の子を関東公方に就けようとしたことに反対する氏朝に擁立され籠城するが︵[[結城合戦]]︶、[[上杉持房]]を総大将とする幕府軍により落城する。春王丸とともに[[長尾実景|長尾因幡守]]に捕らえられ、京都護送中に義教の命令により兄とともに[[美濃国]][[垂井宿]]の[[金蓮寺 (岐阜県垂井町)|金蓮寺]]にて殺害される。享年11<ref>﹃[[東寺執行日記]]﹄など。﹃[[師郷記]]﹄では享年10、﹃古河公方系図﹄では享年12、﹃永享記﹄では享年13。</ref>。
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父の持氏が[[室町幕府]][[征夷大将軍|将軍]][[足利義教]]に反抗した末に、[[永享]]11年︵[[1439年]]︶に自害に追い込まれる︵[[永享の乱]]︶と、兄の[[足利春王丸|春王丸]]とともに[[下野国]][[日光山]]に潜伏する。後に密かに[[結城氏朝]]に居城[[結城城]]に匿われ、義教が自身の子を関東公方に就けようとしたことに反対する氏朝に擁立され籠城するが︵[[結城合戦]]︶、[[上杉持房]]を総大将とする幕府軍により落城する。春王丸とともに[[長尾実景|長尾因幡守]]に捕らえられ、京都護送中に義教の命令により兄とともに[[美濃国]][[垂井宿]]の[[金蓮寺 (岐阜県垂井町)|金蓮寺]]にて殺害される。享年11<ref>﹃[[東寺執行日記]]﹄など。﹃[[師郷記]]﹄では享年10、﹃古河公方系図﹄では享年12、﹃永享記﹄では享年13。</ref>。
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辞世の |
辞世の句は「身の行衛 定めなければ 旅の空 命も今日に 限ると思へば」。 |
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== 研究 == |
== 研究 == |