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'''鈴木 文助'''︵すずき ぶんすけ、[[1887年]]︿[[明治]]20年﹀[[1月]] - [[1949年]]︿[[昭和]]24年﹀[[11月8日]]︶は、[[日本]]の[[生物学者]]︵[[生化学]]・[[農芸化学]]︶。[[ |
'''鈴木 文助'''︵すずき ぶんすけ、[[1887年]]︿[[明治]]20年﹀[[1月]] - [[1949年]]︿[[昭和]]24年﹀[[11月8日]]︶は、[[日本]]の[[生物学者]]︵[[生化学]]・[[農芸化学]]︶。[[旧姓]]は﹁荒木﹂︵あらき︶。[[京都大学|京都帝国大学]][[農学部]][[教授]]、[[東京帝国大学農学部|農学部]]教授。
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[[京都帝国大学]][[農学部]][[教授]]、京都帝国大学農学部[[学部長]]、東京帝国大学[[東京帝国大学農学部|農学部]]教授などを歴任した。 |
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== 概要 == |
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[[福島県]]出身の[[生化学者]]、[[農芸化学者]]である。[[油脂]]の[[生化学]]的[[研究]]に取り組んでおり、80種類以上の新たな[[グリセリン脂肪酸エステル]]を分離決定したことでも知られている。また、[[後藤格次]]らとともに[[サルバルサン]]の製法の[[開発]]に取り組んだことでも知られている。長年に渡って[[京都帝国大学]]や[[東京帝国大学]]で教鞭を執るなど、後進の育成にも力を注いだ。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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=== 生い立ち === |
=== 生い立ち === |
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1887年︵[[明治]]20年︶1月、[[福島県]]に生まれた。上京して[[東京大学#沿革|東京帝国大学]]の[[東京帝国大学農科大学|農科大学]]に進学し<ref>[[東京帝国大学]][[東京帝国大学農科大学|農科大学]]は、のちの[[東京大学]][[東京大学農学部|農学部]]の源流となった。</ref>、[[農芸化学科]]にて学んだ<ref>[[東京帝国大学]][[農科大学]][[農芸化学科]]は、のちの[[東京大学]][[東京大学農学部|農学部]]応用生命科学課程生命化学・工学専修の源流となった。</ref>。このとき[[鈴木梅太郎]]に師事し、のちに梅太郎の[[娘婿]]となった。[[1912年]]︵明治45年︶、東京帝国大学の農科大学を卒業。なお、後年に[[博士論文]]﹁﹃ビオス﹄ニ関スル研究﹂<ref name="cinii">﹁書誌事項﹂﹃[https://ci.nii.ac.jp/naid/500000493115/ CiNii 博士論文 - ﹁ビオス﹂ニ関スル研究]﹄[[国立情報学研究所]]。</ref>を執筆し、[[1925年]]︵[[大正]]14年︶に東京帝国大学より[[農学博士]]の学位が授与された<ref name="cinii"/>。
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=== 研究者として === |
=== 研究者として === |
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大学卒業後は[[生物学者]]として研鑽を重ね、[[1923年]]︵大正12年︶に |
大学卒業後は[[生物学者]]として研鑽を重ね、[[1923年]]︵大正12年︶に[[京都大学|京都帝国大学]][[教授]]に就任。京都帝国大学では、[[農学部]][[学部長]]に就任するなど、要職をつとめた。[[1934年]]12月、母校である東京帝国大学に転じ、教授に就任した。東京帝国大学では、[[岳父]]である鈴木梅太郎が主宰した化学第二講座を引き継ぎ<ref name="lbc">﹁HISTORY――研究室沿革﹂﹃[https://park.itc.u-tokyo.ac.jp/biological-chemistry/history/ 生物化学研究室 沿革]﹄[[東京大学|東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻生物化学研究室]]。</ref>、のちに[[名古屋大学]][[学長]]などを歴任する[[芦田淳 (学者)|芦田淳]]や<ref name="ashida1987_34">芦田淳﹁栄養化学と私﹂﹃日本農芸化学会誌﹄61巻、[[日本農芸化学会]]、[[1987年]]、34頁。</ref>、のちに[[豊田工業大学]][[工学部]]教授などを歴任する[[江本榮]]らを育てた<ref name="ariyamaKawakamiEmotoMaruo1987_46">有山恒・[[川上行藏]]・江本榮出席者、[[丸尾文治]]司会﹁鈴木梅太郎先生を語る﹂﹃農芸化学の100年﹄[[日本農芸化学会]]、[[1987年]]、46頁。</ref>。なお、それと並行して[[理化学研究所]][[研究員]]を兼任していた。しかし、病を得て東京帝国大学を退職。それに伴い、化学第二講座は同じく鈴木梅太郎の門下である[[後藤格次]]が引き継ぐことになった<ref name="lbc"/>。[[太平洋戦争]]の戦火の中を生き延びたが、[[1949年]]︵昭和24年︶[[11月]]に死去した。
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== 賞歴 == |
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== 研究内容・業績 == |
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*専門は[[生物学]]であり、特に[[生化学]]についての[[研究]]に従事した。また、大学生の頃は農芸化学科で学んだことからわかるように、[[農芸化学]]についての研究にも取り組んだ。 |
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*[[油脂]]生化学の見地から[[油脂]]について[[分析]]した研究が知られており、80種類以上の新たな[[グリセリン脂肪酸エステル]]を分離決定した。その成果を多くの論文として発表しており、[[グリセリン脂肪酸エステル]]の[[分離]]や[[性質]]に関する研究、[[燐脂質]]に関する研究、[[不飽和脂肪酸]]と[[誘導体]]に関する研究、などがある。これら一連の﹁脂肪酸及之を含有する生物体成分の研究﹂<ref name="ja">﹁第23回﹂﹃[https://www.japan-acad.go.jp/japanese/activities/jyusho/021to030.html 恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧 | 日本学士院]﹄[[日本学士院]]。</ref>が評価され、[[大日本帝国]]で最も権威のある[[学術賞]]であった[[帝国学士院賞恩賜賞]]が贈られることになり<ref>[[帝国学士院賞恩賜賞]]は、のちの[[日本学士院賞恩賜賞]]の源流となった。</ref>、[[1933年]]︵昭和8年︶[[5月11日]]に授与された<ref name="ja"/>。なお、[[岳父]]であり師でもある鈴木梅太郎も[[帝国学士院賞]]を受賞しているが、恩賜賞は授与されていない<ref>﹁第14回﹂﹃[https://www.japan-acad.go.jp/japanese/activities/jyusho/011to020.html 恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧 | 日本学士院]﹄[[日本学士院]]。</ref>。
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*[[後藤格次]]らとともに[[サルバルサン]]の製法の[[開発]]に取り組んだことでも知られている。 |
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=== 門下生 === |
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長年に渡って京都帝国大学並びに東京帝国大学で教鞭を執り、後進の育成にも力を注いだ。 |
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* [[1887年]] - [[福島県]]にて誕生。 |
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* [[1912年]] - [[東京帝国大学]][[農科大学]]卒業。 |
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* [[1923年]] - [[京都帝国大学]][[農学部]][[教授]]。 |
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* [[1934年]] - 東京帝国大学[[東京帝国大学農学部|農学部]]教授。 |
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* 1934年 - [[理化学研究所]][[研究員]]。 |
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* [[1944年]] - 東京帝国大学退職。 |
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* [[1949年]] - 死去。 |
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== 家族・親族 == |
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== 著作 == |
== 著作 == |
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* 全国農業学校長協会編『日本農学発達史』農業図書刊行会、[[1943年]]。 |
* 全国農業学校長協会編『日本農学発達史』農業図書刊行会、[[1943年]]。 |
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* 静岡県科学協会編『黎明期に於ける郷土の科学者』静岡県科学協会、[[1944年]]。 |
* 静岡県科学協会編『黎明期に於ける郷土の科学者』静岡県科学協会、[[1944年]]。 |
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== 門下生 == |
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== 脚注 == |
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=== 註釈 === |
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=== 出典 === |
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== 関連人物 == |
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* [[後藤格次]] |
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[[Category:日本の生物学者]] |
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[[Category:日本学士院賞受賞者]] |
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[[Category:東京大学の教員]] |
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[[Category:京都大学の教員]] |
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[[Category:東京大学出身の人物]] |
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[[Category:福島県出身の人物]] |
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2023年12月19日 (火) 15:10時点における最新版
生誕 |
荒木 文助 (あらき ぶんすけ) 1887年1月 ![]() |
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死没 | 1949年11月8日 |
研究分野 | 生物学 |
研究機関 |
京都帝国大学 東京帝国大学 |
出身校 | 東京帝国大学農科大学卒業 |
博士課程 指導教員 | 農学博士(東京帝国大学・1925年) |
他の指導教員 | 鈴木梅太郎 |
博士課程 指導学生 | 芦田淳 |
他の指導学生 | 江本榮 |
主な業績 |
グリセリドの分離および その性質に関する研究 燐類脂体に関する研究 不飽和脂肪酸および その誘導体についての研究 |
主な受賞歴 | 帝国学士院賞恩賜賞(1933年) |
プロジェクト:人物伝 |