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「長快 (熊野別当)」の版間の差分

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==生涯==

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長快は、[[寛冶4年]]([[1090年]])に[[白河院]]の熊野御幸の功により熊野別当としては初めて[[法橋]]に叙位され<ref>『[[中右記]]』・『初例抄』など。阪本[2005: 189-190]。</ref>、さらに熊野別当の上に置かれた初代の[[熊野三山検校]]に[[園城寺]]僧の[[増誉]]が任ぜられたことにより、熊野三山は中央寺社勢力の秩序の中に組み込まれた<ref>宮家[1992: 5-6]、小山[2000: 25]、阪本[2005: 33]。</ref>。また同時に、「紀伊国二ケ郡田畠五箇所合百余町」(『帝王編年記』)もしくは「一ケ郡田畠百余町」(『[[百錬抄]]』)が熊野三山に寄進されたことにより、その財政的基礎が確立した<ref>阪本[2005: 33]。</ref>。

長快は、[[寛冶4年]]([[1090年]])に[[白河院]]の熊野御幸の功により熊野別当としては初めて[[法橋]]に叙位され<ref>『[[中右記]]』・『初例抄』など。阪本[2005: 189-190]。</ref>、さらに熊野別当の上に置かれた初代の[[熊野三山検校]]に御幸の先達を務めた[[園城寺]]僧の[[増誉]]がれたことにより、熊野三山は中央寺社勢力の秩序の中に組み込まれた<ref>宮家[1992: 5-6]、小山[2000: 25]、阪本[2005: 33]。</ref>。また同時に、「紀伊国二ケ郡田畠五箇所合百余町」(『帝王編年記』)もしくは「一ケ郡田畠百余町」(『[[百錬抄]]』)が熊野三山に寄進されたことにより、その財政的基礎が確立した<ref>阪本[2005: 33]。</ref>。




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永久5年(1117年)、長快は、白河院の二回目の熊野御幸に際し熊野山で塔供養したことを賞され[[法印]]に叙位された<ref>『濫觴抄』・『初例抄』・『僧綱補任彰考館本』など。阪本[2005: 190]。</ref>。

永久5年(1117年)、長快は、白河院の二回目の熊野御幸に際し熊野山で塔供養したことを賞され[[法印]]に叙位された<ref>『濫觴抄』・『初例抄』・『僧綱補任彰考館本』など。阪本[2005: 190]。</ref>。




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== 脚注 ==

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* 阪本敏行「院政と熊野三山」(『田辺市史 第一巻 通史編Ⅰ』〈田辺市、2003年〉pp379-418)

* 阪本敏行「院政と熊野三山」(『田辺市史 第一巻 通史編Ⅰ』〈田辺市、2003年〉pp379-418)

* 阪本敏行『熊野三山と熊野別当』(清文堂、2005年)ISBN4-7924-0587-4。

* 阪本敏行『熊野三山と熊野別当』(清文堂、2005年)ISBN4-7924-0587-4。

* 阪本敏行「熊野水軍-中世前期を中心にして-」(谷川健一・三石学編『海の熊野』森話社、2011年)ISBN978-4-86405-025-8。

* 阪本敏行「熊野水軍-中世前期を中心にして-」(谷川健一・三石学編『海の熊野』森話社、2011年〉pp119-130)ISBN978-4-86405-025-8。

* 宮家準『熊野修験』(吉川弘文館、1992年)ISBN4-7924-0587-4。

* 宮家準『熊野修験』(吉川弘文館、1992年)ISBN4-7924-0587-4。




2012年7月16日 (月) 01:50時点における版

長快(ちょうかい、1037年1122年)は、平安時代後期の熊野三山の社僧で、承保二年(1075年)に15代熊野別当に補任されたという[1]

生涯


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21114調[5]41116[6]

51117[7]

[8]111821119[9]

4112331122[10]

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脚注



(一)^ 11[2005: 33]

(二)^ [2005: 189-190]

(三)^ [1992: 5-6][2000: 25][2005: 33]

(四)^ [2005: 33]

(五)^ [2011: 119]

(六)^ [2005: 190]

(七)^ [2005: 190]

(八)^ [2003: 385-386][2005: 190-191]

(九)^ [2003: 386][2005: 191210]

(十)^ [2005: 190]

参考文献


2000ISBN4-00-430665-5

  ︿2003pp379-418

2005ISBN4-7924-0587-4

--︿2011pp119-130ISBN978-4-86405-025-8

1992ISBN4-7924-0587-4