「黄金の子牛の礼拝」の版間の差分
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﹃'''黄金の子牛の礼拝'''﹄︵おうごんのこうしのれいはい、{{lang-it-short|''L'Adorazione del Vitello d'oro''}}︶は、[[フランス]][[バロック]]期の画家で主に[[イタリア]]で活動した[[ニコラ・プッサン]]が[[1633年]]から[[1634年]]に制作した絵画である。[[油彩]]。主題は﹃[[旧約聖書]]﹄﹁[[出エジプト記]]﹂32章で語られている[[預言者]][[モーゼ]]が[[唯一神]]から[[十戒]]の記された[[石の板|石板]]を授かった後の物語︵[[黄金の子牛]]︶から取られている。[[ローマ]]の重要な[[パトロン]]の{{仮リンク|カッシアーノ・ダル・ポッツォ|en|Cassiano dal Pozzo}}の従兄弟、アメデオ・ダル・ポッツォ︵Amedeo Dal Pozzo︶から、対作品﹃紅海横断﹄︵{{en|Crossing of the Red Sea}}︶とともに発注された<ref name="倉持">倉持充希 |
﹃'''黄金の子牛の礼拝'''﹄︵おうごんのこうしのれいはい、{{lang-it-short|''L'Adorazione del Vitello d'oro''}}︶は、[[フランス]][[バロック]]期の画家で主に[[イタリア]]で活動した[[ニコラ・プッサン]]が[[1633年]]から[[1634年]]に制作した絵画である。[[油彩]]。主題は﹃[[旧約聖書]]﹄﹁[[出エジプト記]]﹂32章で語られている[[預言者]][[モーゼ]]が[[唯一神]]から[[十戒]]の記された[[石の板|石板]]を授かった後の物語︵[[黄金の子牛]]︶から取られている。[[ローマ]]の重要な[[パトロン]]の{{仮リンク|カッシアーノ・ダル・ポッツォ|en|Cassiano dal Pozzo}}の従兄弟、アメデオ・ダル・ポッツォ︵Amedeo Dal Pozzo︶から、対作品﹃紅海横断﹄︵{{en|Crossing of the Red Sea}}︶とともに発注された<ref name="倉持">{{harvnb|倉持充希|2017|p=5}}</ref>。現在は[[ロンドン]]の[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]に所蔵されている。
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== 主題 == |
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[[File:The Crossing |
[[File:The Crossing ofThe Red Sea.jpg|thumb|240px|対作品﹃紅海横断﹄。[[メルボルン]]、[[ビクトリア国立美術館]]所蔵。]]
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[[File:Nicolas Poussin - Bacchanale devant une statue de Pan.jpg|240px|thumb|1631年から1633年頃の絵画﹃パンの像の前でのバッカス祭﹄。プッサンは[[パーン (ギリシア神話)|パン]]の神像の前で踊る[[バッカス]]の信者たちを反転して本作品に用いている。ナショナル・ギャラリー所蔵。]]
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[[File:Nicolas Poussin - Bacchanale devant une statue de Pan.jpg|240px|thumb|1631年から1633年頃の絵画﹃パンの像の前でのバッカス祭﹄。プッサンは[[パーン (ギリシア神話)|パン]]の神像の前で踊る[[バッカス]]の信者たちを反転して本作品に用いている。ナショナル・ギャラリー所蔵。]]
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[[File:L'Adoration des bergers, 1633, Londres, National Gallery.jpg|thumb|240px|同じくプッサンの1633年頃の絵画﹃羊飼いの礼拝﹄。ナショナル・ギャラリー所蔵。]]
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[[File:L'Adoration des bergers, 1633, Londres, National Gallery.jpg|thumb|240px|同じくプッサンの1633年頃の絵画﹃羊飼いの礼拝﹄。ナショナル・ギャラリー所蔵。]]
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== 参考文献 == |
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* 『週刊グレート・アーティスト65 プッサン その生涯と作品と創造の源』、[[同朋舎出版]](1991年) |
* 『週刊グレート・アーティスト65 プッサン その生涯と作品と創造の源』、[[同朋舎出版]](1991年) |
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* 倉持充希 |
* {{cite thesis|和書|author=倉持充希 |url=https://doi.org/10.14989/doctor.k20643 |title=ニコラ・プッサンと同時代のローマの画家たちの物語画に関する研究 |publisher=京都大学 |series=博士(文学) 甲第20643号 |year=2017 |doi=10.14989/doctor.k20643 |hdl=2433/227566 |naid=500001358650 |ref=harv}} |
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== 外部リンク == |
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[[Category:1630年代の絵画]] |
[[Category:1630年代の絵画]] |
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[[Category:アロン]] |
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[[Category:モーセ]] |
[[Category:モーセを描いた絵画]] |
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[[Category:聖書を題材とした絵画]] |
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[[Category:1634年の作品]] |
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[[Category:美術におけるウシ]] |
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2024年5月27日 (月) 08:13時点における最新版
イタリア語: Adorazione del Vitello d'oro 英語: The Adoration of the Golden Calf | |
作者 | ニコラ・プッサン |
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製作年 | 1633年-1634年 |
種類 | 油彩、キャンバス |
寸法 | 154 cm × 214 cm (61 in × 84 in) |
所蔵 | ナショナル・ギャラリー、ロンドン |
主題[編集]
制作背景[編集]
プッサンのパトロンであったカッシアーノ・ダル・ポッツォの従兄弟アメデオは、予言者モーゼに関する連作をプッサンとピエトロ・ダ・コルトーナに発注した。この注文によってプッサンは﹃黄金の子牛の礼拝﹄および﹃紅海横断﹄を制作し、コルトーナは﹃マナの収集﹄︵The Manna Collection︶と﹃聖所の幕屋の建設﹄︵The construction of the tabernacle︶を制作した︵ただし多忙であったコルトーナは後者を弟子のジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリに任せた︶[1]。作品[編集]
プッサンは祭壇に置かれた黄金の子牛の周囲で飲み食いをし、熱狂的に踊る人々を描いている。黄金の子牛と祭壇は花で飾られている。子牛の崇拝者たちは手をつないで踊り、白いローブをまとったアロンの姿は彼らの中にあって人々を扇動している。それに対してシナイ山から降りてきたモーゼは画面左の背景に小さく描かれており、2つある十戒の石板のうち1つを地面に叩きつけて壊し、さらに2つ目の石板をも壊そうとしている。中景から遠景にいる人々の何人かはモーゼの行為に衝撃を受けている。また画面右側の背景に建っているテントは彼らが旅の果てにこの地にやってきたことを示している。 ローマのドメニキーノのもとで学んだプッサンは、1631年にドメニキーノがナポリに去るとルネサンス期のヴェネツィア派の画家ジョヴァンニ・ベッリーニやティツィアーノ・ヴェチェッリオへの傾倒を強めた。この1630年代のプッサンの作品は色彩が豊かになる[2][3]。謎めいた﹃アルカディアの牧人たち﹄︵Et in Arcadia ego︶、リシュリュー枢機卿のために制作されたバッカスの対作品、あるいは本作品はそうした傑作の1つである。プッサンは﹃パンの像の前でのバッカス祭﹄︵Bacchanal before a Statue of Pan︶の踊る人々を本作品で反転して利用している[4]。この人々はプッサンの古典古代への関心を示しており、黄金の子牛を崇拝する人々の筋肉質の体格や配置に古代の彫刻や壺絵の影響が見て取れる[3]。またフィリップ・ハレの版画との関連性も指摘されている[1]。対作品﹃紅海横断﹄ではアロンのポーズが対比的に描かれている[1]。来歴[編集]
1685年にシュヴァリエ・ド・ロレーヌ︵Chevalier de Lorraine︶によって購入された対作品は、1710年にベニーニュ・ド・ラゴワ・ド・ブルトンヴィエ︵Bénigne de Ragois de Bretonvillers︶によって購入された。その後、1741年に初代フォークストーン子爵ジェイコブ・ブーヴェリー卿はサミュエル︵Samuel︶という男から購入した。彼の息子ウィリアム・ブーヴェリーは初代ラドナー伯爵となり、ラドナー伯爵家は代々対作品を所有した。1945年、ナショナル・ギャラリーはアート・ファンドから50パーセントの寄付を受け、伯爵家から10,000ポンドで本作品を購入した[5]。 絵画は過去に損傷を受けている。2011年7月17日、57歳のフランス人男性が﹃黄金の子牛の礼拝﹄および同じくプッサンの﹃羊飼いの礼拝﹄︵Adoration of the Shepherds︶に赤ペンキのスプレーを吹きつけた[6]。男性の逮捕後、絵画の保全が行われた。現在は同じ場所で展示されている[7]。ギャラリー[編集]
ナショナル・ギャラリーには他に以下のようなプッサンの絵画が所蔵されている。-
『ニンフとサテュロス』
1627年頃 -
『ケファロスとアウロラ』
1630年頃 -
『パンの勝利』1636年頃