シュトゥルム・ウント・ドラング
(シュトゥルム・ウント・ドランクから転送)
シュトゥルム・ウント・ドラング︵独: Sturm und Drang︶は、18世紀後半にドイツで見られた革新的な文学運動である。
概要[編集]
この名称は、ドイツの劇作家であるフリードリヒ・マクシミリアン・クリンガーが1776年に書いた同名の戯曲に由来している[1]。時期は、1767年から1785年までとする見方がもっぱらであるが、1769年から1786年、もしくは1765年から1795年とする見方もされる。 古典主義や啓蒙主義に異議を唱え、﹁理性に対する感情の優越﹂を主張し、後のロマン主義へとつながっていった。代表的な作品として、ゲーテの史劇﹃ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン﹄︵1773年︶や小説﹃若きウェルテルの悩み﹄︵1774年︶、シラーの戯曲﹃群盗﹄︵1781年︶や悲劇﹃たくらみと恋﹄︵1784年︶など。 日本でのシュトゥルム・ウント・ドラングは﹁疾風怒濤﹂と和訳されたために﹁嵐と大波﹂という意味で理解されることも多いが、ドイツ語から直訳するならば﹁嵐と衝動﹂が正しい。英語では﹁Storm and Stress︵嵐と圧力︶﹂や﹁Storm and Urge︵嵐と衝動︶﹂などと訳されているようである。また片仮名表記では﹁シュトゥルム﹂は﹁シュトルム﹂、﹁ドラング﹂は﹁ドランク﹂とも表記されることがある。ハイドンのシュトゥルム・ウント・ドラング[編集]
1768年から1772年ごろのハイドンの作風についても﹁シュトゥルム・ウント・ドラング﹂という語が用いられる。この時期のハイドンは短調の多用やフーガのような対位法的技法の使用など、前後の時代と異なる作風を持つ。20世紀はじめの音楽学者であるヴィゼヴァが、1772年にハイドンの﹁ロマン的危機﹂があったとして、この語を使用したのが一般化したものである[2]。 しかし、ハイドンのシュトゥルム・ウント・ドラングはクリンガーの戯曲が書かれるより古い時期のものであること、シュトゥルム・ウント・ドラングが主に1770年代後半の文学運動に対する語であること、ヴィゼヴァのいうハイドンの﹁ロマン的危機﹂なるものが根拠を持たないこと、などの批判があり[3]、﹁いわゆるシュトゥルム・ウント・ドラング﹂のように表現されることが多い。 なお、ハイドン以外の同時期のオーストリアの作曲家にも同様の傾向が見られ、モーツァルトもト短調の交響曲第25番 K.183 やニ短調の弦楽四重奏曲第13番 K.173︵いずれも1773年︶を作曲している[3]。脚注[編集]
出典[編集]
- ^ ロックウッド 2010, p. 44.
- ^ フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Revues étrangères - A propos du centenaire de la mort de Joseph Haydn
- ^ a b Webster 2001, p. 179.