日本大百科全書(ニッポニカ) 「タチバナ」の意味・わかりやすい解説
タチバナ
たちばな / 橘
[学] Citrus tachibana Tanaka
ミカン科︵APG分類‥ミカン科︶の常緑低木。台湾から日本列島の暖地の海に近い地方に自生する。日本に古くから野生した唯一の柑橘(かんきつ)で、別名ヤマトタチバナともいう。直立性で高さ4メートル、枝は密生し、長さ3~5ミリメートルの刺(とげ)をもつ。葉は狭卵形で細い鋸歯(きょし)があり、長さ5センチメートル、幅2センチメートル、葉肉は薄く、葉色の緑は中位。花は頂生または葉腋(ようえき)に単生する。萼(がく)は緑色で5裂し、花弁は白色で5枚、半開性である。花径2センチメートル、雌しべは1本、雄しべは約20本で、5~6月に開花する。果実は扁平(へんぺい)で直径3センチメートル、黄色に熟し、6グラム内外、ユズに似た香りがあり、剥皮(はくひ)は容易である。袋数は8内外、果肉は淡黄色で柔らかく、多汁であるが酸味が強く、食用には向かない。種子は大きく、多胚(たはい)性で、胚の色は緑色である。直立性の樹姿は美しく、庭園樹とされる。京都御所紫宸殿(ししんでん)の﹁右近(うこん)の橘(たちばな)﹂は﹁左近(さこん)の桜﹂とともに名高く、野生のタチバナの改良種であるといわれる。
﹇飯塚宗夫 2020年10月16日﹈
文化史
橘は古来、実体に混乱がある。中国では﹃周礼(しゅらい)﹄の﹁考工記(こうこうき)﹂に、﹁橘踰淮而北為枳﹂とあり、橘は華中の淮河(わいが)を越えると枳(からたち)になると書かれている。この橘や枳は現在のタチバナとカラタチでなく、いずれもダイダイの類であるとの見解が、中国でなされている。﹃日本書紀﹄や﹃古事記﹄は垂仁(すいにん)天皇が田道間守(たじまもり)を常世国(とこよのくに)に遣わし、求めさせた非時香菓(ときじくのかくのみ)を橘とする。この橘も現在のタチバナではなく、コウジミカン︵コミカン︶とする見方が古くからあり、田中長三郎はダイダイをあてた。しかしながら、﹃万葉集﹄には68の橘の歌が詠まれているが、多くは花や香りを歌い、果実は珠(たま)に貫く︵薬草を玉にして邪気を払うまじない︶などと取り上げられ、食用にはまったく触れられていない。中国では古代から橘皮(きっぴ)を調味料や薬用にし、﹃斉民要術(せいみんようじゅつ)﹄︵6世紀︶には、53例の橘果皮、3例の橘葉、生橘汁と橘核が各1例、使用法が載る。右近の橘は鎌倉初期の﹃平治(へいじ)物語﹄に﹁左近の桜、右近の橘﹂の記述があり、平安時代には成立していたが、さらにその起源を﹃江談抄(ごうだんしょう)﹄は、桓武(かんむ)天皇が紫宸殿の階(きざはし)の左右にサクラとタチバナを植えたのに始まり、左︵東︶は左近衛府(さこんえふ)、右︵西︶は右近衛府と警護の官人が詰めていたので、そうよばれるようになったと伝える。
﹇湯浅浩史﹈
橘は藤(ふじ)や卯(う)の花とともに時鳥(ほととぎす)に配合され、﹃万葉集﹄の﹁橘の花散る里の時鳥片恋しつつ鳴く日しそ多き﹂︵巻8・大伴旅人(たびと)︶は、﹃源氏物語﹄﹁花散里(はなちるさと)﹂の﹁橘の香(か)をなつかしみ時鳥花散る里をたづねてぞ訪(と)ふ﹂に受け継がれた。﹃古今集﹄の﹁五月(さつき)待つ花橘の香をかげば昔の人の袖(そで)の香ぞする﹂︵夏︶によって、追憶の象徴ともなった。﹃枕草子(まくらのそうし)﹄﹁木の花は﹂の段にもその風情が伝えられている。夏の季語。﹁駿河(するが)路や花橘も茶の匂(にほ)ひ﹂︵芭蕉(ばしょう)︶。
﹇小町谷照彦 2020年10月16日﹈