ウォルフ

デジタル大辞泉 「ウォルフ」の意味・読み・例文・類語

ウォルフ(Christian von Wolff)

 
16791754  

ウォルフ(Johann Rudolf Wolf)

[1816~1893]スイスの天文学者。太陽黒点の量を表すウォルフ黒点数を提唱し、黒点の消長周期が11.1年であることを確認した。
 

Caspar Friedrich Wolff

 
17331794  

ウォルフ(Hugo Wolf)

[1860~1903]オーストリアの作曲家。300を超える歌曲は、ドイツロマン派リートを独自の高みに導いた。「スペイン歌曲集」「イタリア歌曲集」もよく知られている。

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精選版 日本国語大辞典 「ウォルフ」の意味・読み・例文・類語

ウォルフ

 

(一)[  ] ( Casper Friedrich Wolff = ) ()
(二)[  ] ( Christian von Wolff = ) 
(三)[  ] ( Hugo Wolf  ) 
(四)[  ] ( Max Franz Joseph Wolf == ) 
 

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百科事典マイペディア 「ウォルフ」の意味・わかりやすい解説

ウォルフ

 
1875退R.18881889189018912189218963189718951887
 
 

 
Wolf=172817291731173417381739
 

ウォルフ

ドイツの生物学者。1759年《発生論》を著し,動物の諸器官は後成的に生ずるという後成説を唱えた。当時は前成説が支配的だったため,ドイツでは受け入れられず,1766年ロシアのペテルブルグ学士院の会員となり,腎臓の発生の研究などを行った。

ウォルフ

スイスの天文学者。1864年チューリヒ天文台長。1849年太陽黒点の活動指標としてウォルフ黒点数を考案,1852年黒点と地磁気の関連を発見。
 

 
1919  

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改訂新版 世界大百科事典 「ウォルフ」の意味・わかりやすい解説

ウォルフ
Christian Wolff(Wolf)
生没年:1679-1754


Breslau1704-16170413︿117281729173117341738-39調退︿︿
=


ウォルフ
Hugo Philipp Jakob Wolf
生没年:1860-1903

オーストリアのリートの作曲家。1875-77年ウィーン楽友協会音楽院に学び,ワーグナーの音楽に接し深い感銘を受ける。一時,ザルツブルクで合唱指揮者をつとめた後,84年よりウィーンで批評家として活動。ブラームスに対して一方的に激しい論争を挑んだが,私恨によるところも大きい。88年の最初の歌曲集の刊行に続き,《メーリケ歌曲集》《アイヒェンドルフ歌曲集》(ともに1889),《ゲーテ歌曲集》(1890),《スペインの歌の本》(1891),2集からなる《イタリアの歌の本》(1892,96)などを発表。その間,たえず神経症に悩まされ,ウィーンの精神病院で終生を送った。ドイツ語の特性を生かした,詩の内容の心理的表現を得意とし,しばしば伝統的な形式からはなれ,自由な形式と半音階的手法を特徴とする。また,詩人ごとに作曲をするのも彼の特徴であるが,300曲をこすリートはシューベルト以来のドイツ・ロマン派リートの伝統のひとつの究極的な姿である。他にオペラや室内楽,交響詩などの作品も残している。なお,ウォルフに対する深い認識と人気を背景に,日本でもウォルフ協会が設立されている。
執筆者:


ウォルフ
Friedrich Wolf
生没年:1888-1953


119181919192328︿192919301929193033姿19331934193619404519501952


ウォルフ
Friedrich August Wolf
生没年:1759-1824


1917832318061795︿550


ウォルフ
Caspar Friedrich Wolf
生没年:1733-94


Theoria generationis1759A.vonC.1767︿︿


ウォルフ
Johann Rudolf Wolf
生没年:1816-93

スイスの天文学者。チューリヒ工科大学を卒業し,1855年に同大学の教授となり,64年にチューリヒ天文台を設立した。太陽黒点の観測を精力的に行って,1848年には現在ウォルフ黒点数といわれる黒点活動の指標を導入し,また52年には,1610年以降の太陽黒点数の極大,極小期を決定して,それが平均11.1年の周期で繰り返されることを見いだした。ウォルフは科学史,天文学史にも通暁し,多くの著述があるが,その晩年の著《天文学要覧--その歴史と文献》全2巻(1890,92)は,古代より1890年までの天文学資料集成として著名である。また56年には《チューリヒ自然科学会誌》を創刊して,その死まで編集長をつとめた。
執筆者:


ウォルフ
Christa Wolf
生没年:1929-


1963T.19681976197919


ウォルフ
Max(imilian)Franz Joseph Cornelius Wolf
生没年:1863-1932

ドイツの天文学者。1888年にハイデルベルク大学で学位を得,93年より同大学で天文学を講じ,1901年教授,また19年からはハイデルベルク天文台長をも兼ねて死ぬまでその職にあった。ウォルフは天体写真の新技術に通じ,みずからもステレオコンパレーターなどを開発して,小惑星,すい星,星雲などの写真観測に活躍した。1891-1932年にかけて225個の小惑星を発見したことは有名である。星雲の研究では暗黒星雲を発見し,ガス状星雲と渦状星雲の違いを指摘し,また分光写真の解析から渦状星雲の回転を検出した。
執筆者:


ウォルフ
Friedrich Wilhelm Wolff
生没年:1809-64

シュレジエン(現,ポーランド領シロンスク)生れの革命家。学生運動組織〈ブルシェンシャフト〉に参加して5年間投獄され,のちブリュッセルへ亡命し,マルクスの影響下で共産主義者同盟の創設に参加した。彼は《新ライン新聞》等でシュレジエンの貧農の悲惨な状況を描き,それを近代ブルジョア的搾取と封建的収奪という二重の関係の下にとらえた。1848年革命後イギリスに亡命。マルクスは《資本論》を彼に献じた。
執筆者:


ウォルフ
Hieronymus Wolf
生没年:1516-80




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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウォルフ」の意味・わかりやすい解説

ウォルフ
Wolff, Christian

 
[]1679.1.24. ()
[]1754.4.9. 
18 Philosophia rationalis (1728) 1 Philosophia prima sive ontologia (29)  Jus naturae methodo scientifica pertractatum (4048)  Jus gentium methodo scientifica pertractatum (49)   
 


Wolf, Christa

 
[]1929.3.18. 
[]2011.12.1. 
 Ihlenfeld219621993西Moskauer Novelle1961Der geteilte Himmel19631964西TNachdenken über Christa T.1968Kindheitsmuster1976Kassandra1983Störfall1987Was bleibt19902002  

ウォルフ
Wolff, Hans Walter

[生]1911.12.17. バルメン
[没]1993.10. ハイデルベルク
ドイツのプロテスタント神学者。旧約聖書学者。ベテル神学大学,ゲッティンゲン大学,ボン大学に学び,ミュンスター,ゾーリンゲン,ゾーリンゲン・ウァルトなどで牧師をつとめたのち,1951年ブッパータール神学大学教授。次いでマインツ大学教授を経て,67~78年ハイデルベルク大学教授。主著は『旧約聖書の人間論』"Anthropologie des Alten Testaments" (1974) のほか,"Die Zitat im Prophetenspruch" (37) ,"Jesaija 53 im Urchristentum" (52) ,"Alttestamentliche Predigten mit hermeneutische Erwägungen" (56) ,"Gesammelte Studien zum Alten Testament" (73) など。
 


Wolff Kaspar Friedrich

 
[]1733.1.18. 
[]1794.2.22. 
17645968  
 


Wolf, Max

 
[]1863.6.21. 
[]1932.10.3. 
 Maximillian Franz Joseph Cornelius Wolf18901893 1902321893 228 1906  

ウォルフ
Wolf, Hugo (Philipp Jacob)

[生]1860.3.13. ウィンディッシュグラーツ(現スロベニグラデツ)
[没]1903.2.22. ウィーン
19世紀オーストリアのロマン派リートの代表的作曲家。 1875年ウィーン音楽院に入学,作曲を学んだが,77年退学。ワーグナーに傾倒し終生熱烈なワーグネリアンとなり,文学や演劇を深く研究してすぐれた審美眼をそなえた。 83年『ウィーン・サロン新聞』の音楽批評を担当し,鋭い筆をふるう。 88年以降,眠っていた彼の楽才は突如として花開き,メーリケの詩による歌曲 (53曲) ,ゲーテ (50曲) ,ハイゼとガイベル (44曲) ,ハイゼ (46曲) ,ミケランジェロ (3曲) など集中的に作曲。しかし,神経を病み,悲惨な狂気と夢想のうちに一生を閉じた。

ウォルフ
Wolf, Friedrich

[生]1888.12.23. ノイビト
[没]1953.10.5. レーニッツ
東ドイツの劇作家,小説家。第1次世界大戦には軍医として従軍,かたわら表現主義の戯曲『マホメット』 Mohammed (1917) を発表して文壇に登場。 1928年共産党に入党,33年以降スイス,フランスを経てソ連に亡命,反ナチス運動に従事した。この間にユダヤ人迫害を批判した戯曲『マムロック教授』 Professor Mamlock (33) ,小説『国境の2人』 Zwei an der Grenze (38) を書いた。第2次世界大戦後は東ドイツに帰国し,文化再建に尽力。

ウォルフ
Wolff

ドイツの通信社。ベルンハルト・ウォルフが 1849年に創設。 75年株式会社に改組してからの正式名称は大陸電報会社。フランスのアバスと並ぶ大通信社であったが,第1次世界大戦でのドイツの敗戦で衰退しはじめ,1933年ナチス・ドイツの DNBに吸収された。

ウォルフ
Wolf, Friedrich August

[生]1759
[没]1824
ドイツの古典学者。 1783~1806年ハレ大学古典文献学教授。ホメロスについての研究で著名。主著『ホメロス序説』 Prolegomena ad Homerum (1795) 。 (→ホメロス問題 )  
 


Wolff Jacob

 
[]1546
[]1612
1617 (15711620)  (161622)   
 


Wolff Paul

 
[]1887
[]1951
35  

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世界大百科事典(旧版)内のウォルフの言及

【通信社】より


AP

 Agence Havas(1835)Wolffs TelegraphenBureau(1849)(1851)1918561

【生命】より


C.F.18

【ホメロス】より


178132(10)100 1795F.A.

【児童文学】より


1896H.WolfgastP.RoseggerW.(1912)1F.Salten(1923)E.(1928)2

【児童文学】より


1896H.WolfgastP.RoseggerW.(1912)1F.Salten(1923)E.(1928)2

【ロマン派音楽】より

… 19世紀の後半,とくにその70年代以降のロマン主義は,〈後期ロマン主義Spätromantik〉の名でよく呼ばれる。ここには普通,ブラームス,ブルックナーに始まってフーゴー・ウォルフ,マーラー,シェーンベルクやR.シュトラウスの初期に豊かな全体が収められる。しかし19世紀後半から20世紀初めにかけての音楽が示す多様な相は,もはやロマン主義の一元で処理することはできない。…

【黒点】より


[黒点周期と黒点相対数]
 H.シュバーベは,その43年間にわたる観測から,黒点出現頻度がほぼ10年の周期で変動することを示した(1843)。この発見を受けてR.ウォルフはガリレイ,シャイナーの古い観測まで含めて,くわしい解析を行い,黒点周期としては11年のほうが近いことを明らかにした。彼が解析に用いた黒点相対数(ウォルフ黒点数,図1)は,黒点の群数の10倍に全黒点数を加えたものであるが,これは黒点の頻度を表すというよりも,太陽の黒点活動を表す指標として,有用性がその後広く受け入れられている。…

【形而上学】より


(1881) 西17JeanBaptiste DuhamelC.

【啓蒙思想】より

…領邦の分立,大土地所有貴族の強固な支配権の残存などのために,英仏両国にたいしてさらに市民社会の形成におくれをとったドイツは,フリードリヒ大王のいわゆる〈上からの啓蒙〉という変則的な形で近代国家の形成に向かわなければならなかった。ライプニッツの哲学を体系化したウォルフ,またウォルフの師でドイツ語をラテン語にかえて学術用語として採用する先駆となったトマジウスなどの大学教師がここでは比較的主導的な役割を演じたが,それらの思想内容はフランスのものほどに過激ではない。ただし,ドイツでは,近代市民社会の未成熟という条件をいわば逆手にとって,思想の展開の時間だけをひとり促成栽培的に早めるといった現象が18世紀末から19世紀はじめにかけて見られる。…

【心理学】より


 C.

【存在論】より

…同世紀半ば,ドイツのデカルト主義者クラウベルクJohann Claubergはこれを〈オントソフィアontosophia〉とも呼び,〈存在者についての形而上学metaphysica de ente〉と解した。存在論を初めて哲学体系に組み入れたのは18世紀のC.ウォルフであり,次いでカントであった。カント以後,存在論は哲学体系から消失したように見えるが,19世紀の終末以来,とりわけ第1次世界大戦後に復活し,今日では認識論と並んで哲学の主要分野を成している。…

【多元論】より

…原語は,〈複数形〉を意味するラテン語pluralitasをエリウゲナが用いたことにさかのぼりうるが,哲学の用語としては,18世紀のC.ウォルフが観念論者を,思惟する単独の自我のみを認める自我論者Egoistenと,複数の思惟する存在者を認める多元論者Pluralistenとに分けたことに始まり,カントにもまったく同じ用法がある。今日では,複数の実在によって世界ないし人生の全体または部分を,とくに変化・多様を顧慮して説明する立場を指し,二元論はその一種で,ともに一元論に対立する。…

【二元論】より


P.(21702)︿2(1710)C.

【目的論】より

…一方,それと対立する機械論的な考え方についていえば,デモクリトス,エピクロスらの古代唯物論以来,特定の目的に規整されることのない広い意味での機械的原因によって万象の生成を説き明かそうとする行き方が見られはしたものの,なんといっても,機械論が時代の思考の動向を左右するほどの有力なパラダイムとして登場するのは近代科学の成立以降のことである。〈目的論〉の語が,18世紀ドイツ啓蒙時代の哲学者であるC.ウォルフによって創始されたことは,目的論的思考法への反省が,近代科学の成立以降の機械論的思考法との対決においてはじめて本格的になされたことを示すものといえよう。
[機械論と目的論]
 近代科学の成立にともなう機械論的思考のパラダイムの全面的適用の典型的な,またもっとも強い影響力をもった例はデカルトにみられる。…

【ライプニッツ=ウォルフ学派】より

…ライプニッツ哲学をいわば独断的に体系化したC.ウォルフの哲学は時代の流行哲学となり,多くの傾倒者を生んだ。それらの弟子たちを総称してライプニッツ=ウォルフ学派と呼ぶ。…

※「ウォルフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」