翻訳|Ossian
ケルト人の古歌。3世紀スコットランドの北部地方を支配していたフィンガル王の最後の生残りの王子オシアンが,一族の戦士たちの思い出を歌ったものといわれる。18世紀後半にスコットランドの詩人マクファーソンが英訳として《古歌の断章》(1760),《フィンガル》(1762),《テモラ》(1763)の3巻を出版したことによりヨーロッパ中に知られるようになった。北方の荒々しい自然を背景に繰り広げられる戦士たちの壮絶な死闘と,彼らを慕う娘たちの愛と死の歌物語は,フランスやイギリスのロマン主義運動に大きな影響を与えたが,ドイツではヘルダーの《オシアン書簡》(1773)によって真価が見いだされたあと,ゲーテの《若きウェルターの悩み》第2部の終りに,その一部がきわめて効果的な仕方で挿入されたことにより,不朽の生命を得ることになった。日本では,1971年の中村徳三郎訳によって作品の全貌が初めて明らかにされた。
執筆者:木村 直司
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…ダビッドの弟子であったジロデ・トリオゾンの《大洪水》や,ドイツのフリードリヒの《希望号の難破》なども,同様の自然の恐ろしさを主題としたものである。また,ホメロスやオウィディウスなどのギリシア・ローマの文学的遺産に対して,北方の民族的伝説を歌い上げた《オシアン》は,アングル,ジロデ・トリオゾン,ジェラールなどに霊感を与え,ナポレオンのエジプト遠征(1798‐99)によって強められたオリエンタリズムは,グロの《ジャファのペスト患者を訪れるナポレオン》やアングルの《オダリスク》などの華やかな異国趣味の世界を生み出した。 しかしながら,これらの画家たちは,主題の扱い方においては新しいロマン主義的傾向を強く見せているが,表現様式においては,なお多くの点で,古典主義の伝統を受け継いだ新古典主義の枠内にあった。…
※「オシアン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...
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