デジタル大辞泉 「キリシタン屋敷」の意味・読み・例文・類語 キリシタン‐やしき【キリシタン屋敷】 江戸小石川茗荷谷︵東京都文京区︶にあった、転びバテレンらを収容した牢獄。正保3年︵1646︶宗(しゅ)門(うも)改(んあ)役(らためやく)であった大目付井上政重の下屋敷に設置。寛政4年︵1792︶廃止。山屋敷。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「キリシタン屋敷」の意味・読み・例文・類語 キリシタン‐やしき【キリシタン屋敷】 (一)〘 名詞 〙 江戸前期、キリシタンを収容した獄舎。正保二~三年︵一六四五‐四六︶ごろ、江戸小石川小日向︵東京都文京区小日向︶の大目付井上政重の下屋敷内に設けられた。寛政四年︵一七九二︶廃止。山屋敷。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「キリシタン屋敷」の意味・わかりやすい解説 キリシタン屋敷【キリシタンやしき】 江戸幕府の大目付,宗門改役井上政重の下屋敷。江戸小石川の小日向(こひなた)にあり,別称山屋敷。ここでキリシタンの尋問,処刑が行われた。岡本三右衛門ら︿転(ころ)びキリシタン﹀もここで働き,新井白石の取調べ後シドッチが幽閉された。1724年火災,1792年廃止。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キリシタン屋敷」の意味・わかりやすい解説 キリシタン屋敷キリシタンやしき 山屋敷ともいう。江戸時代,江戸小石川小日向 (文京区茗荷谷) におかれたキリシタン信徒禁錮の場所。正保3 (1646) 年,大目付兼宗門改役井上政重の下屋敷を改造し,キアラ (岡本三右衛門) ら転びバテレンを収容した。宝永5 (1708) 年密航してきたイタリア人宣教師 G.シドッチが新井白石の尋問を受け,その記録が﹃西洋紀聞﹄となったことは有名である。寛政4 (92) 年廃止。その遺跡がある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報