コペルニクス(読み)こぺるにくす(英語表記)Nicolaus Copernicus

デジタル大辞泉 「コペルニクス」の意味・読み・例文・類語

コペルニクス(〈ラテン〉Nicolaus Copernicus)

 
14731543  

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精選版 日本国語大辞典 「コペルニクス」の意味・読み・例文・類語

コペルニクス

 

(一)( [] Nicolaus Copernicus  ) 
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コペルニクス」の意味・わかりやすい解説

コペルニクス
こぺるにくす
Nicolaus Copernicus
(1473―1543)


Mikołaj Kopernik10Lucas Waczenrode144715121491Albert Brudzewski1445149710

 1496Domenico Maria Novara14541504149715001

 150115031506

 

 10150615121514退1

 1516152617()

 2030稿15307Nicolaus von Schönberg14721537

 15391稿Andreas Osiander14981552便

 151915211528



1965F1974

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改訂新版 世界大百科事典 「コペルニクス」の意味・わかりやすい解説

コペルニクス
Nicolaus Copernicus
生没年:1473-1543


Mikołaj Kopernik14919615011543

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コペルニクス」の意味・わかりやすい解説

コペルニクス
Copernicus, Nicolaus

 
[]1473.2.19. 
[]1543.5.24. 
 (1491)  (97)  (1501)  (03)  1497 (05) D. 1543  

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百科事典マイペディア 「コペルニクス」の意味・わかりやすい解説

コペルニクス

ポーランドの天文学者。1491年クラクフ,1496年よりボローニャ,パドバで学ぶ。1505年故国にもどって教会で働き,1512年からフラウエンブルクの聖堂参事職。アリスタルコスの説からヒントを得て地動説を信じるようになったといわれ,1530年ごろ概説《コンメンタリオルス》を書いて友人に送った。友人ギーゼやレチクスの勧めにより《天球の回転について》を1543年出版,これが完成したときすでに死の床にあった。本書は天文学に革命的影響を与え,近代科学成立の契機となった。
→関連項目クラクフ大学コペルニクス的転回

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コペルニクス」の解説

コペルニクス
Nicolaus Copernicus

1473~1543

ポーランドの天文学者で近世地動説の提唱者。1495~1505年イタリアに留学中,古代地動説に接し,以後その体系化に生涯を捧げ,1543年主著『天球回転論』を刊行した。彼は天動説の体系を倒立させて地動説の土台のうえに再建,惑星の相対距離を導き,惑星の逆行をみごとに説明できたが,数値的には天動説と変わらず,地動説を立証することはできなかった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「コペルニクス」の解説

コペルニクス
Nicolaus Copernicus

 
14731543

 

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世界大百科事典(旧版)内のコペルニクスの言及

【宇宙】より

…12世紀以降アリストテレス主義と結んだキリスト教神学がスコラ学としてギリシア的な宇宙像を受け入れたとき,半ば意識的に拒否されたプラトン,新プラトン主義関係の文献が,フィレンツェを中心に15世紀後半にラテン語に翻訳され,一つの思想運動に発展すると,その中にはさまれていたヘリオス信仰(ヘルメス主義や新プラトン主義に強く見られる)が西欧世界をふうびすることになった。フィレンツェ・プラトニズムの雄M.フィチーノは《太陽と光についてDe sole et lumine》を著して,その先鞭をつけたが,こうした新傾向の洗礼を受けた一人にN.コペルニクスがいた。まさしく天体の中でももっとも神聖な太陽こそ,そして中心からすべてを〈流出〉する源としての太陽こそ,宇宙の中心にあるべきであるとするコペルニクスやJ.ケプラーが,プトレマイオス流の地球中心的宇宙モデルを太陽中心的モデルに書き換えることになったのは,そうした太陽崇拝思想の結果としてむしろ自然なことであった。…

【数学】より

…M.ルターが宗教改革を開始したのは1517年であった。43年は,N.コペルニクスの《天球の回転について》とA.ベサリウスの《人体の構造》が発表された年である。それぞれ近代的な天文学,解剖学の出発点となったものであるが,数学に関係するのはとくに前者である。…

【天球の回転について】より

…ポーランドの天文学者N.コペルニクスの著書で,1543年にニュルンベルクで刊行されたが,本書の主要部分は1530年ころに完成されていたものとされ,また,それ以前にコペルニクスは《要綱Commentariolus》を書いて友人らに配っている。本書の見本刷りはフラウエンブルクで臨終の床にあったコペルニクスに届けられたと報じられている。…

【天文学】より

…天文学が古くから高い段階の学問として成長したのは,それが民衆の生活に必要な知識を提供したばかりでなく,天体の運動にみられる整然さの中に人々が法則性をつかみとることができたからである。 近世における天文学はコペルニクスの地動説に始まり,ケプラー,ガリレイを経てニュートンに至って大きく進歩した。彼が発見した一般の力学法則および万有引力則に基づいて,18世紀には天体力学が著しく発達した。…

【フロムボルク】より

…長さ80kmの細長い砂州で囲まれたビスワ湖に臨む小さな漁港で,サナトリウムが多い保養地でもある。1278年以来の古いワルミア地方の町で,コペルニクスが40年にわたってこの地で活動し,その功績を記念した博物館がある。のちにドイツ騎士修道会が勢力を増し,東プロイセン領となった。…

※「コペルニクス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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