ナロードニキ(英語表記)narodniki

デジタル大辞泉 「ナロードニキ」の意味・読み・例文・類語

ナロードニキ(〈ロシア〉narodniki)

 
19  

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精選版 日本国語大辞典 「ナロードニキ」の意味・読み・例文・類語

ナロードニキ

 

(一)   ( [] narodniki ) 1930
 

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改訂新版 世界大百科事典 「ナロードニキ」の意味・わかりやすい解説

ナロードニキ
narodniki


187690使西西

 1848西495057西6170

 ︿Nikolai Vasil'evich Chaikovskii1850-19207074︿姿調76︿︿

 78796︿︿︿1881312

 1882︿

 退20V.M.

 20

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナロードニキ」の意味・わかりやすい解説

ナロードニキ
なろーどにき
народники/narodniki ロシア語


19narod西

 185061186621860()1874

 1876()1878188131220SR()



1975

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百科事典マイペディア 「ナロードニキ」の意味・わかりやすい解説

ナロードニキ

 
1870︿︿︿188121880
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナロードニキ」の意味・わかりやすい解説

ナロードニキ
Narodniki

人民主義者とも呼ばれる。 1860年代から,農民の啓蒙と革命運動への組織化により,帝政を打倒し,自由な農村共同体を基礎に新社会を建設しようとしたロシアの革命家たちの総称。ナロードは農民に代表される一般民衆の意味。 90年の初頭まで,ロシア革命運動の主流をなした。彼らはロシア・インテリゲンチアに属し,「人民のなかへ (ブ・ナロード) !」をスローガンとして農民のなかに入り,地主階級の搾取と抑圧を受ける農民の解放と利益の擁護を目標とし,運動を展開した。彼らはその教義のなかにマルクスの共産主義イデオロギーをかなり取入れたが,工業プロレタリアートの存在を無視し,マルクスの歴史の発展に関する理論を修正した。初期には,M.A.バクーニンを代表とするブンターリ (一揆派) と P.L.ラブロフらのプロパガンジスト (啓蒙派) その他に分れていた。 76年「土地と自由 (党)」が結成され,組織的な政党活動が展開されるかにみえたが,79年には穏健派と急進派との対立が広がり,G.V.プレハーノフらの「全土地割替」派とテロリズムを主張する「人民の意志 (党)」に分裂した。後者による一連の政治テロが仕組まれ,81年3月の皇帝アレクサンドル2世暗殺でナロードニキ運動は絶頂に達した。 90年代に入ると,ロシア内外のナロードニキのグループが合体して,のちの社会革命党 (エス・エル) の基盤がつくられ,これはボルシェビキと並んでロシアの革命運動において大きな役割を果すこととなった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ナロードニキ」の解説

ナロードニキ
narodniki

ロシア語で「人民主義者」。19世紀後半に現れたロシア資本主義批判の独特な思想の持ち主たち。農村共同体をロシア再生の出発点として,ロシアは西欧と異なる道を歩みうると考えるゲルツェンの「農民社会主義」に始まるこの思想は,1870年代に広く青年学生をとらえ,「ヴ・ナロード」,「土地と自由」結社,「人民の意志」派というふうに革命運動として発展した。「土地と自由」派が人民の理想と要求から出発するという主張を掲げていたことから,この名称が生まれた。80年代以後改良的な傾向が主流を占めたが,90年代には革命的ナロードニキも再登場した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ナロードニキ」の解説

ナロードニキ
narodniki

農奴解放後の19世紀後半のロシアで,農民の伝統的共同体の力を背景に帝政を打倒しようとした革命運動の一派。「人民主義者」の意
ゲルツェンが創始とされる。ロシア社会の近代化の不徹底に対し,改革への情熱をいだく学生やインテリゲンツィアの間に,「ヴ−ナロード(人民の中へ)」をスローガンとして農村にはいり,農民の啓蒙にあたろうとする人びとが現れた。しかし,この運動は成功せず,のちアナーキズムやテロリズムにおちいり,アレクサンドル2世は,1881年その犠牲となって殺された。

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世界大百科事典(旧版)内のナロードニキの言及

【人民の中へ】より

…はじめ都市の労働者と出稼ぎ農民の間で宣伝・教育活動を行い,続いて農村に入り農民の間で社会主義の宣伝と革命に向けての農民の蜂起を扇動した。この運動に数千の知識人・学生が参加し,みずからをナロードニキ(人民主義者)と称した。彼らは大別して2派に分かれ,ラブロフ派は革命の宣伝と準備を,バクーニン派は扇動と農民蜂起を訴えた。…

【ナロード】より

…19世紀の中ごろにとくに顕著になった資本主義的傾向に対抗して,チェルヌイシェフスキーもまた農村共同体に期待をかける革命理論を唱えた。 このような思想の影響のもとに生まれたのが1870年代の〈人民の中へ〉の運動であり,その参加者たちはナロードニキと呼ばれた。この運動のばねとなったのは,長年にわたって民衆を抑圧してきたことに対する貴族階級の深い悔悟の念であった。…

※「ナロードニキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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