ファーティマ朝(読み)ファーティマチョウ(英語表記)Fāṭima

デジタル大辞泉 「ファーティマ朝」の意味・読み・例文・類語

ファーティマ‐ちょう〔‐テウ〕【ファーティマ朝】

 
Fāima90996912退1171  

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改訂新版 世界大百科事典 「ファーティマ朝」の意味・わかりやすい解説

ファーティマ朝 (ファーティマちょう)
Fāṭima


909-1171`Ubayd Allāh al-Mahdī?-93490924西

 972118al-Mustanir1036-94退2121171

 貿1005

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百科事典マイペディア 「ファーティマ朝」の意味・わかりやすい解説

ファーティマ朝【ファーティマちょう】

 
1012909貿111171
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファーティマ朝」の意味・わかりやすい解説

ファーティマ朝
ふぁーてぃまちょう
ima


(9091171)9094(952975)969118(103694)退1211711011西貿西貿

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ファーティマ朝」の意味・わかりやすい解説

ファーティマ朝
ファーティマちょう
Fāṭimid

 
 (9091171)  909 ( 909934)  96911退1171  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ファーティマ朝」の解説

ファーティマ朝(ファーティマちょう)
Fāṭima


9091171

(909934)()969(973)

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旺文社世界史事典 三訂版 「ファーティマ朝」の解説

ファーティマ朝
ファーティマちょう
Fātima

909〜1171
北アフリカからエジプトを支配したシーア派イスラーム王朝
イスマーイール派のウバイド=アッラーフはムハンマドの娘ファーティマの子孫と称してチュニジアで建国した。このときアッバース朝に対抗してカリフを称した。969年エジプトを征服してカイロを建設し,のちに都とした。地中海貿易を独占し,領土はモロッコ・シチリアからシリアにおよんだ。11世紀以後,ベルベル人などの傭兵隊の専横や十字軍の圧力も加わって衰退し,アイユーブ朝のサラディンに実権を奪われて滅亡した。文化や学問が発達し,アズハル学院の建てられたカイロはバグダードに代わるイスラーム文化の中心地となった。

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世界大百科事典(旧版)内のファーティマ朝の言及

【イスラム美術】より


殿殿

【シリア】より


10(9051004)970(9091171)沿9

※「ファーティマ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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