出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…街区ごとに宗派別の住み分けが行われるようになるのは,キリスト教徒十字軍のエジプト侵攻とスンナ派復活の影響が現れる12世紀半ば以降のことである。 ファーティマ朝の宰相となって実権を掌握したサラーフ・アッディーン(サラディン)はアイユーブ朝(1169‐1250)を創始し,国家の宗旨をシーア派からスンナ派に変更するとともに,それまでセルジューク朝やザンギー朝で実施されていたイクター制をエジプトに導入し,これを軍隊編制と農村支配のための基本制度に定めた。ナイル川流域のエジプトは政府による統治が容易であったから,水利機構の管理・維持は比較的よく行われ,その結果,農業生産は安定し,商品作物であるサトウキビも下エジプトから上エジプトへとしだいに拡大していった。…
…翌年,ダマスクスで没。武人として優れた才能を発揮したばかりでなく,イスラムの慣行に基づいて異教徒を公正に扱い,その博愛主義のゆえにヨーロッパの文芸作品にもサラディンSaladinの名でしばしば登場する(レッシングの《賢者ナータン》やW.スコットの《タリズマン》など)。財政難に苦しみながらも,カイロにモスクやマドラサを盛んに建設して,イスラム諸学の振興に努めた。…
…これは当時ファーティマ朝が弱体化しており,一方では北部から中部シリアにかけてセルジューク・トルコの流れをくむトルコ系諸勢力が乱立していたため,シリア全土が政治的には一種の真空状態にあったためである。イスラム側の勢力を統一して十字軍に対抗するにはかなり時間がかかったが,ザンギー朝(1127‐1222)のヌール・アッディーンによってかなり推進されたこの事業を,サラーフ・アッディーン(サラディン)が完成させた。サラーフ・アッディーンはマムルーク(奴隷軍人)の力を結集し,その活動の結果,十字軍は地中海沿岸地方に押し込められた。…
※「サラディン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...
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